浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

恩師の癒しの御手

2023-12-14 06:42:17 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真は恩師(故)長尾弘先生の癒しの御手です。
(御手には沢山の金粉が出ているのが確認出来るかとおもいます)。


この御手で世界中の数えきれない難病・奇病の方が癒され、救われました。
昔、どなたかがこの御手をご覧になり「この手は総合病院ですか」
と恩師に尋ねておられましたが、
恩師のこの御手は総合病院でも治しきれない病でもいとも簡単に治されましたし、
薬にあるような副作用もなければ、後遺症もまったくありませんでした。
しかもどんな難病・奇病が治ってもまったくの恩師の愛の「無償の癒し」でした。


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「垂訓」

2023-12-14 01:08:46 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


                第三章 天上界への道

              ◆生き地獄とあの世の地獄◆

先の続き・・・

人間はみんな足ることを知らないでいつまでも
欲望にとらわれて右往左往している。
そして、やがて死ぬということも忘れている、
なんと浅はかなんだろうと考えたり、
仕事仲間のうちで友達がいじめられ、
根性悪くされるのを見てもとてもつらい時期があったし、
人の死を多く見せられたので、
なおさら実感をもってこの言葉の意味が胸に入ってまいりました。
あってもあっても充足しない心は、
そのまま餓鬼界の意識につながっていきます。

       「糞中の穢虫 居を争いて外の清さを知らず」

という諺も私たちに人間世界における真実を示してくれています。
政界や宗教界において組織の中で自分の地位を確保しようとポスト争いをする様が、
ウジ虫が糞の中にありながら互いに居場所を争っている様子にたとえられています。
権力闘争の思いは、事後保存の欲望や自我我欲の欲望から来るものです。
互いに自分の地位を守ろうとし、
また相手を失脚させて望む権力の座におさまろうという
権謀術数が渦巻く世界にあって、
やがて対立闘争の思いはカルマとなって、
阿修羅界に通じてゆきます。
そんな心の休まる暇もない世界を一歩外に踏み出せば、
清らかな世界があるとも知らずに、
自らの煩悩の火で自らの心を苦しめていきます。


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