浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「講演集」より。

2015-05-16 00:45:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 三


       魂のふるさとへ持って帰るお土産


先の続き・・・

「あの世に修行に出て頂いた方で、肉体を持ったまま、
この世に帰ってこられる方は極く稀れでございます。
あなた様はあの世に肉体を持ちながら、よくこの世に帰って下さいました」
と言って、迎えていただきました。
そこで私は、「いや、ほんとうに厳しい所でございます」と、もう泣いて泣いて、
泣きながら話をさせていただきました。

「愚かにも過ちを犯し、罪をつくって数々の失敗を犯しました。しかし、
その過ちを犯すことによって、過ちを犯していない人の心の楽なことを知り、
なぜこんな過ちを犯したのかと善の尊さを知って、その償いとして、少しでも
善い行いを積ませていただかなくてはいけないと思います。

もちろん、懺悔も精いっぱいさせてもらいました」それから、
人さまに喜んでいただいたことも報告させていただきますと、
「よくそのように尽くしてくれました」と言って、喜んでいただきましたね。
これは、私たちがこの世を去った時、必ずそのような魂の兄弟方と巡り合うのです。
そして報告をしなければなりなせん。

「あなたはいったいあの世で何をしてくれましたか」と聞かれた時に、
その魂の兄弟方に持って帰るお土産ですが、
私たちは少しでも多くのお土産が持って帰れるように、
日々の生活で善き行いを積み重ねることが大事だと思います。
すばらしい魂のふるさとです。
ただ私一人が帰ったものですから、証明者がございませんので、
証明者のいないこのお話をしても通じないことと思います。
しかし現実にあります。


              ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-05-15 00:13:41 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 三


        魂のふるさとへ持って帰るお土産


先の続き・・・

「ふるさとは遠きにありて思うもの」私たちは、天上の「魂のふるさと」から
最も遠いこの現象の世界へ、自分の魂の修行に出させてもらいました。
魂の修行とは、つまり自分の悪い癖、欠点を正し、人々と互いに手を取り合い
助け合い調和することで、私たちはそれを目的としてこの世に生まれてきました。
その目的を果たすことなくあの世に帰りますと、
自分の魂の兄弟の前で合わす顔のないような、つらい思いを受けます。
その約束、使命を果たして帰りました時、「よく頑張ってくれました。
ご苦労様でございました」と言って、魂の兄弟達が喜んで手をさしのべて迎えてくれます。
これは作り話ではございません。

曾(かつ)て、もう十年近く前ですが、「ふるさと」の歌を口ずさみ、自分の
ふるさとに思いを馳せておりました時に、私はあのすばらしい天上の世界に
帰らせていただいたことがあります。
その世界は、ほんとうに光り輝き、緑の木の葉も一枚として枯れた葉がなく、
落ちる葉もなく、全部光り輝いていました。
すばらしい世界です。
そして私たちの魂の兄弟の方が「よく帰ってくれました」と言って、
それぞれの国の衣装をなさって迎えてくれました。

私の魂の兄弟の中には黒いアフリカの方もおられました。
その関係で、私も、どうも黒い色が残っているようです(笑い)。
そして中国の方、イスラエルの方、インドの方がおられて、「あの世に修行に
出ていただいてほんとうに御苦労さまでございます」と言われました。
あの世からこの世を見ますと、この世はあの世になっておりますので、
「あの世の厳しい環境の中に、私たちを代表して魂の修行に出ていただき、
ほんとうにご苦労様でございます」と言って、この世の肉体を頂いたお父さん
お母さん、或いは親しいお方、尊いお師匠さんなどの誰方よりも親しく、
いとおしく迎えていただきました。


              ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-05-14 00:12:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 三


      魂のふるさとへ持って帰るお土産


お話に先立って、Fさんのお譲ちゃんに、すばらしいバイオリンの演奏を
していただきます。
美しい音楽を聴きますと、心が安まりますので、毎回お願いしております。
ではお願いします。(拍手)。
―――バイオリン演奏(ユーモレスク、他)―――
今から「ふるさと」の歌を弾いていただきます。
私たちのこの世のふるさととして、各自生まれた場所がございます。
しかし、ほんとうの「魂のふるさと」は光り輝く天上の世界です。
その世界で私たちは両親に対して、「どうかお父さんになって下さい。
お母さんになって下さい。この地上の世界に魂の修行に出させて下さい」
と言って、私たち自身が、お父さんお母さんにお願いして、そして了解を
いただいてこの地上に迎えていただきました。

そして魂のふるさとへ、いつの日にか志を果たして帰った時、
「私は地上でこれだけのことをさせてもらいました」といって、私たちは
人々への無償の愛をふるさとへのお土産として持って帰るのです。
「生まれる前の世界」そして、
「やがて帰っていく世界」のふるさとを思い浮かべて、
共に合唱していただいたら結構かと思います。
では、Uちゃんお願いします。
―――「ふるさと」の歌合唱―――(拍手)


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-05-13 00:09:05 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 三


        新しい道場「心のふるさと」


このたび大工さん、庭師さん、石屋さんが一生懸命になって、
全員が自分のことのようにして、新しい道場を作って下さいました。
私個人はすごくケチでございまして、こういうことはようしないのです。
しかし、皆様の「心のふるさと」と思えば、喜んで作れます。

ご寄付をお願いしたり、強要したりすることは一切ございませんから、どうぞ
ご安心していただき、又、遠方の方は来て泊っていただいたら結構でございます。
無料宿泊所でございますから、安心して泊って下さい。
その代わり、食事のおもてなしはできないのです。
お一人お二人なら何とかさせていただけますが、十人、二十人となりますと、
家の者も大変ですから、それはご勘弁願っております。


                ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-05-12 00:23:00 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

             恩師のご著書「講演集」より


                 講演集、 三


            相手の立場に立って見る訓練


私たちはどれほど「私は間違っていない、私は正しい」と思いましても、
五官を持つ私たちは、
すでに自己保存と自我我欲という色眼鏡がかけられていますから、
見た時、正しいと思っていても間違っているのです。
自己中心に物を見た時、もう自己保存と自我我欲の色眼鏡から逃れることはできません。
ではどうすれば、その煩悩の色眼鏡を取り外すことができるかといいますと、
これはただ一つ、相手の立場に立って見ることです。
そして、善意なる第三者の立場に立つことです。
天の立場、或いは神様の立場に立って、自分と相手を見る訓練をすることが大切です。

自分を中心にしたら、間違います。
それは、感謝を失い、不足や愚痴に囚われることになります。
ご夫婦の間でもそうですね。
ご主人が一生懸命に働いて、そして奥さんは結構に暮らさせてもらっていて、
それでいて、「私は嫁さんだから、主人が養ってくれるのは当たり前だ」と、
感謝を忘れると、主人が有難い存在だということを忘れてしまうのです。
また主人もそうです。

奥さんが家庭の中で掃除、洗濯、家事、留守の間のお付き合い一切をやってくれていても、
それに対して、「おれが働いて不自由な目をさせずに養ってやっているのに、
毎日何してるのか」と、奥さんに対してぼろくそに言います。
しかし、相手の立場に立った時は、主人の側は奥さんの一日の生活―――
主人より一足先に起きて、弁当の用意をして、お子さんがあれば、又大変です。
その一日の間に女の人がこれだけのことをしてくれるのだなと、奥さんの
立場に立った時、「ああ、女の人も御苦労さんだなあ、あんた無理せずに、
適当に一服しなさいよ」と、いたわりの言葉も出てきます。
又、奥さんもそうですね。

「私は家の用事をバタバタと精一杯してるのに、帰ってきたら、
洗濯物ぐらいちょっと取り入れてください」と言って、主人をこき使おうとしていますが、
しかし、ご主人の立場に立った時、「男は家を出たら、外に七人の敵ありで、
随分とご苦労さんなことです。
毎日、会社に通ってもらって、
そのおかげさんで私たちはこうして生活させてもらい、有難いことだなあ」と思えば、
ご主人が帰って見えたら、
「ああ、ご苦労さんでございました。お疲れさまでございました」という言葉
が出るはずです。
自分を中心にして見ると、お互いに不足ばかりを言い合うことになります。
常に相手の立場に立って見させてもらう訓練を日々にすることですね。


              ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-05-11 00:26:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 三


            ほんとうの心の安らぎ


先の続き・・・

人間は、自分がいとしいがゆえに人を責めているのですね。
人間の心は簡単にできています。
難しいと思うけれど、心の奥をつかんだら、
神様は私たちを簡単に作って下さっているのです。
「自分にとって都合の良いものはみな好き、都合の悪いものはみな嫌い」、
これは地球上の人類全部がそうです。
動物もそうです。

自分のいとしいものを他の人がいじめた時、自分にとって憎い人を他の人が
褒めた時、或いは庇(かば)った時、人は腹が立つのですね。
そういう法則があるのです。
私たちは平気で自分の心を苦しめます。
肉体を少しぐらいド突かれても、傷つけられても、
これはもう死んだら捨てるものです。

ところが、ちょっと叩かれても腹を立てて、
「やったな」と言って、一つやられたら三つぐらいド突きにいっています。
悪口を言われたことぐらいのことで、一言言われたら、
今度は十ぐらい言い返す人がおります。
自分のこの肉体というのは、この世限りのものです。
しかし、心はあの世、来世まで持っていかなければならない大事なものです。
肉体は物質です。

買い物に行って、お釣りが三十円或いは五十円不足していると、
「えらいことだ」と言って、取り返しに飛んでいくのですけど、
肝心の心を失うことを何とも思っていません。
しかし、このお金とか肉体とかの物質は、全部この世に置いていくものです。
持っていくのは心一つです。

その心をズタズタに傷付けて、或いは真っ黒けにして、或いはいっぱい錘を
つけてこの世を去った時には、天上にあがることができないのです。
自分の心を常に安らかに、或いは軽く、或いは広く豊かに、守るべきです。
そのほんとうの心の安らぎは、人さまへのご奉仕です。
人さまに喜んでいただいたという喜びによってしか、
ほんとうの心の安らぎを頂くことはできません。


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「講演集」より。

2015-05-10 00:15:46 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 三


         ほんとうの心の安らぎ


この世に男性として生まれ、女性として生まれ、
心から許し合い、心から甘えられ、心から任せられるのは、
夫婦というの名においてのでみです。
もし、夫婦という名以外の方に甘えたら、これはややこしくなります。
だから、神が許された神です。

安らぎを得られるのも夫婦、
それ以外のところに安らぎを求めにいったら、
それは大変な苦しみの中にはまってしまいます。
そうならば、夫婦は万難を排して仲良くすることです。
どんな努力をしてでも、仲良くすることです。
これが幸せというものです。

自分の家庭以外に幸せの場所はありません。
どこを探しても、自分の家庭以上の安らぎの場所はないのです。
どんなにぜいたくな旅行をしましても、
どんなに豪華なご馳走を頂きましても、
三日もすれば、
「ああ、家に帰ってお茶漬けで梅ぼしやおいしいおこうこなどを
頂きたいなあ、足腰をのばしてゆっくりしたいなあ」と皆思います。

自分の家以外にほんとうの安らぎの場所はないのです。
その安らぎの場所を、自分達が苦しみの場所に変えてしまっているのです。
結婚した当初は、皆バラ色の人生を夢見ていたはずです。
これから苦労しましょう、これから喧嘩しましょうといって、
結婚する人は一人もありません。

みな幸せなろう、幸せになろうと結婚するはずですね。
そして、大勢の方から祝福していただいて、或る場合は、
駄目だと言って反対されているのに、
親に背いてやっと一緒になりながら、一緒になったと思ったら、
喧嘩しています。
それは互いに感謝を忘れるからです。


              ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-05-09 00:17:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 三


         自分の為に相手を「許させていただく」


先の続き・・・

「もし、そのままいられたら、また、そこへご主人が行かれます。
あなたに冷たくされて、ご主人が淋しくなって、
その女の人の所へ行きたいという心が起きてもしようがないと思います。
しかし、きちんと嫁いでっくれて、ご主人も、
もうそういう心配はないのだと言ってくれているのだから、
自分の為に主人を許させてもらいなさい」と言いますと、
「ほんとうにそうでした。許させてもらいます」と、心に決めてくれたのです。
「そうです、そして過去を忘れなさい。ご主人に精いっぱい甘えていきなさい。
あなたの甘える方はご主人以外にないのです。

他の人に甘えたら、絶対にいけません。
心の底からご主人に甘えていきなさい」と重ねて言いますと、
「そうさせてもらいます」と、言われました。
それから一週間ほど経って見えたら、
「嬉しい顔」に変わってしまっています。
そして「甘えていますか」と言いましたら、
「はあー、甘えさせてもらっています」とう返事です。
「もう心の底から許させてもらった時、過去はないものと思って捨てなさい。
自分の幸せの為に許させてもらいなさい」と、話させてもらったのです。
今はご夫婦が幸せに仲良く暮らしてくれています。


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「講演集」より。

2015-05-08 00:11:30 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 三


     自分の為に相手を「許させていただく」


先の続き・・・

ご主人は「鍵っ子だ」と言って、
いつも自分のポケットに鍵を入れて持ち歩いており、
自分で鍵を開けて家に入るのです。
そういう具合ですから、奥さんは、
主人の食事の世話から風呂の世話まで何もせず、
勝手にしなさいといって知らん顔です。

まあ、男もこうなったら哀れなもので、ほんとうにみじめです。
何回目かの時、ご主人もいっしょに見えたのです。
「そこにパジャマあります」と奥さんが言いますと、
大きなご主人が、「ハイ、ハイ」と言っているのを見て
、何かおかしな夫婦だなと思っていたのです。
不思議なことで、親がこんなふうにやっていますと、
子供さんにやっぱり不調和が出てきます。
両手を腱鞘炎で手術されたのですね。

左手はどうにか治ったのですが、右手は全然動かないのです。
女の子ですから、花嫁修業で家では炊事もするでしょうが、
動かない手をこんなふうにして野菜を刻んでいたのです。
それがね、「どう、ちょっと見せて下さい」と言って、
触れさせてもらったら、すうっと治ってしまって、
お医者さんが
「もう手術をしても治らないからどうしようもない」と言っていた手が、
見せて下さいと触れただけで治ってしまったのです。

連れてきてくれた方というのは、同じ会社の方で、
結婚前のお譲ちゃんが可哀そうだから、
家には内緒にして連れてきたということです。
それがパッと治ったものだから、その連れて来た人が泣き出して、
その当人も
泣き出して今度はびっくりしてお母さんが私のところに来たのです。
そしてお父さんも来て、お母さんがその主人の悪口を言い、
告発をしてくれたのですね。

そのお母さんにも言ったのです。
「主人は外で女の人をつくり、子供までできた、
これを絶対に許せないとおっしゃるのですけど、許しというのは、
主人を許すのとは違うのです。
許させてもらうとことによって、あなたご自身が救われることを知って下さい。
腹が立つ時、うれしいですか。

主人を恨んでいる時、あなたの心は安らかですか。
憎しみのある時、あなたの心はどんなですか。
それは全部自分の心を苦しめているのです。
いとしい自分の為に、その苦しみから救われる為に、
過ぎたことは帰らないことを悟って、ご主人を許しなさい、
許させてもらいなさい」すると、賢いお方で、理解が良かったのですね。
「先生、私の為ですね。許させて貰うのは私の為ですね。

主人の為と違いますね。私が幸せになれるのですね。
私の為だったら、許させてもらいます」と言ってくれました。
過ぎた過去は帰りません。
しかも相手のその女の人は、
幸いにして子供を連れてちゃんとした所にお嫁に行ったそうですから、
こんなに有難いことはありません。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-05-07 00:06:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 三


        自分の為に相手を「許させていただく」


先の続き・・・

以前、この話をさせてもらいました時、
或る六十代の女の方が言われたのです。
ご主人がもう好き放題で、ギャンブルはするわ、
女道楽はするわ、酒は飲むわ、好き勝手のやり放題で、
大きな借金を残して、他の女性の家でぽこっつと死なれたのです。
その奥さんは、苦労して残された二人の子供を育てて二十五年過ぎた今、
まだ借金を払い終わらないそうです。

子供さんはちゃんと片付いて、今は一人で住んでおられます。
ところが、普段は忘れているのですが、食事を頂いている時、
そのほっとした時に、ご主人のことを思い出してきたら、
もうこの心の持っていきどころがなくなるそうです。
さあ、ご飯をいただいている時、お茶碗の御飯が入っていても、
お汁が入っていても、とにかくぶっつけて叩き割らないと、
この心がおさまらない。

もう、死んで二十五年も経っている主人に対してです。
その人が、「よう分かりました。ほんとうに許させてもらうということは、
自分の思いだということが良く分かりました。
憎む相手はもうこの世におらないのですね。
もう、今日からは心から許させていただきます」と、懺悔されました。
許させていただくのですね。

またある方は、ご主人が会社の部長さんで、
そのご主人が九州のほうに単身赴任なさっていた時に、女の方ができたのです。
飲み屋の女の方だそうです。
そして、その人との間に子供ができて、それがばれてしまったのです。
さあそれから、奥さんは堪らないのですね。

それで、私の所にご縁があって来ていただいたのです。
「一度聞いて下さい。主人は絶対許せません。外に子供まで作っていました」と。
それは、ショックが大きいと思います。
しかし、その許せないという心の為に、可哀そうにご主人は、
もう悔い改めているのに、奥さんから許してもらえないのです。
家に帰っても、自分で鍵を開けないと、家に入れない。
普通なら「ああ、お帰りなさい」「ああ、ご苦労さま」と、
奥さんに迎えてもらうところです。


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「講演集」より。

2015-05-06 00:56:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 三


     自分の為に相手を「許させていただく」


「あんたは、前にあんなことをした。
私をあんな目に遭わせたではないか」と言って、
いつまでも根に持っている人、
これは、その人の心から過ぎた過去が消えないのですね。

「許し」も愛です。
神は絶対の許しもって私たちを許して下さっているのですから、
許されている自分を知って、私たちも人さまを許さなくてはいけません。
しかし、憎い人を許すのは、これは大事業です。

辛い目に遭わされたり、痛い目に遭わされた人を許すのは、
大変なことです。
しかし、これは、その人が憎いから許すのであり、
この許すというのは相手を許すのとは違います。
私たちは相手を許すと錯覚していますが、許すということは、
許させていただくことによって、
自分自身が怒り、憎しみ、恨み、という苦しみから、許されるのです。
自分が許されるのです。

許させていただくのは、自分の為です。
その許すことを知らない限り、自分が許されませんが、
有難いことに、時間と共に私たちは忘却します。
これも神の愛です。
経験したことが全部頭に詰まっていたら、
コンピューターが爆発しますから、
適当に忘れさせてもらえるのも神の慈愛です。

しかし忘れたと思ってもおりましても、縁に触れた時、
つまり、憎い人の噂が出たり、また誰かが憎い人を褒めたりした時、
「あの人は私をえらい目に遭わせた、あの時はああだった」と、
その時の苦しみがそのまま再現してきて許せないのです。
許させていただくとは、自分が救われることです。
憎しみが大きいほど、その人を許させてもらった時、
自分の安らぎが大きいのです。


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「講演集」より。

2015-05-05 01:24:12 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 三


        今の一瞬の行いと思いを大切に


私たちは自分の心を拠り所として生きたらいいのです。
そして、法を実践することですね。
行うことなく、智識で得たものをどれほど理屈をこねて喋ってみましても、
その行いがなかったら、何のご利益も現れません。
行いの中に、その法の力が現れます。
ものすごく簡単なことです。
笑顔をもって接してみなさい。
忽ちにして、笑顔というその行為によって相手の方に安らぎを与えます。
即、現れます。

その代わりに、怒りの思いをもって接しみなさい。
相手の方が、忽ち怒りの相を現わしてくれます。
毎日の生活で、私たちは人によって苦しめられると思っておりますが、
しかし苦しみの原因は、自分が作ったのです。
人が悪いのとは違います。
地獄に落ちて迷える諸霊方は、自分が原因を作って、
その結果の苦しみが自分に現れているのですが、全部「私が正しい」と主張します。
「私が悪うございました」と言う人は、地獄に落ちていません。
これは、肉体のある私たちにしても同じです。

「ああ、申し訳ないことだった。私は至りませんでした」と言えるような方の心は、
安らいでおります。
「私は正し。私は間違いない。あなたが悪い」と言う人の心は、
地獄界を展開しています。そして、その思いがやがて肉体を去った時、
苦しみの世界へと自ら入っていくのです。
「人は今を生きるものである。過去に生きるものではない。
また未来に生きるものでもない」今現在生きているのです。
今のこの一瞬一瞬に、私たちの人生が展開しているのですね。

今悲しんで苦しめば、この続きが未来の姿です。
そして、今もし悲しい苦しいことがありますと、その元は過去にあるのです。
原因があって、結果が現れているだけですね。
そして今が原因となって、未来が展開します。
だから、今現在がいかに大事かということを知ることですね。
私たちの人生の時間は限られており、しかも過ぎた日は取り返すことは
できないのです。

悲しい、苦しい、辛い、或いは喧嘩して憎い、腹が立つ、
こういう思いをしておりますと、
貴重な今日一日が苦しみの中に消えてしまいます。
もう再び帰りません。
いや、明日もあるわいと思いますが、明日の日もまた消えるのです。
絶対に取り返すことのできないその得難い時を、今生きているのですね。
一瞬一瞬をどれだけ大切にするかです。
泣いて暮しても、一日は過ぎます。
腹を立てて文句を言って暮らしても、一日は過ぎていきます。
同じ取り返すことのできない一日であれば、この一日を喜びに、感謝に、
安らかに過ごせば、私たちの人生を幸せにしていくことができます。


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「講演集」より。

2015-05-04 00:42:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 三


        苦しみは神のご意志に背く


私たちは毎日生活させていただく中で、
自分の心を苦しめないこと、どのような出来事が起きても、
自分の心を苦しめないようにすることが大事です。
喧嘩をしたら、必ず苦しいです。
親子喧嘩、夫婦喧嘩、兄弟喧嘩そして友達との喧嘩、
こんな時はもう自分の心をものすごく苦しめます。
仲良くしている時は、たいへん心安らかです。

「仲良きことはうるわしきかな」で、
仲が良いのは側で見ていても気持ちのいいものです。
しかし、喧嘩をしておりますと、傍目にも嫌ですし、本人も苦しいです。
神は自分の心を苦しめてはならないとおっしゃっています、
なぜ神の子である私たちが自分の心を苦しめて神に背くのですか。
どんなことがあっても、神の意志に背いては絶対に幸せにはなれません。
怒りもそうです。
愚痴もそうです。

人の悪口もそうです。
或るはい自分を良く見せる為に人を陥れるような行為、
これも自らを苦しめます。
人の悪口を言っている時の自分の心はサタンです。
また人を憎んでもなりません。
恨んでも、或いはまだ来ていない未来を思い煩う不要の取越し苦労、
怖いと思う不安とか恐怖も嘘も心を苦しめる中に入っています。
それから、盗む、足ることを知らぬ欲望、つまり貪欲、このような思いも、
すべて神のみ心に背く行為です。

しかし、これを分かり易く説く指導者が、今まであまり出ておられません。
苦しみの原因はここにあるのです。
なぜ苦しむかというと、神のご意志に背くから苦しむのです。
神のご意志とは、自然の法則ですね。
自然の法則に背いて自然の中に生きることはできないのです。
苦しみとなって現れてきます。

神様は、すべての人間が自分の子や孫がいとしいように、
神様の目から見ましたら、
私たちがいとしくていとしくてたまらないみ心でいられます。
「我がいとし子よ、どうぞ幸せになってほしい、健やかに生きてほしい、
健やかに幸せに生きてほしい、その為には自分を苦しめないでほしい、
自分を大事にしなさい」と、私たちが自分をいとしいように、神は私たちを
いとおしんで下さいます。

そして、この世の中で誰が大事か、
誰がいとおしいかと究極的に問い詰めましたら、
自分ほどいとしいものはないのです。
なぜかと言うと、それは神の子だからです。
そして、その自らがいとしように、他の方も皆さん自らがいとしいはずです。
まず自分を大事にして、そして他を大事にしていくことですね。
これが神のご意志です。
私のグループの「心の友」では、「神様という言葉を使っても、
これは宗教ではありません。心の勉強会です」と言って、
そのような気持ちで学んでいます。
組織とか宗教に片寄らないことが大事だと思います。


                ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-05-03 00:24:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 三


             「法」に生きる日々


先の続き・・・

自分の心に目覚めてほしい」それだけです。
そして今、日本国中に招いていただいておりますが、一切の制約―――
こうしなさいとか、研修会があるとか、そんなものは何もありません。
もし私の心に、これぽっちでも、望む心、或いは自分の名声、地位、
お金への思いがありましたら、これはもう「法」ではないのです。
法とは、自らを犠牲にして他を生かす行為です。

自分自身を犠牲にして他の幸せの為に奉仕することが、法の実践ですね。
その行為を少しでも真似させていただくのです。
私も、完成された立派な人間とは違いますが、しかし真似ぐらいはできます。
お陰様で三百六十五日ただの一日も休みをいただけません。
ゆうべも東京からお客様が七人来て下さいました。
私にとりましては、大事なお客様です。

せっかくお見えになっていますのに、お愛想もできないのです。
ほんとうに申し訳ないことだなあと、心からお詫びいたします。
というのは、交通事故に遭われた方が、約一か月ほど植物人間のようになって
しまわれて、熱が四十一度にも上がったそうです。
物は吐く、うわ言を言う、胸が苦しい苦しいと、苦しまれたそうです。

その日のお昼、ご主人から電話を頂いて、「先生、何とか家内を助けて下さい。
助けて下さい」と言われたので、「私は、今たくさんの方が見えていて、病院に
行くことができないのです。しかし、祈ることはできます。ご主人、あなたも
心から祈って下さい。私もこちらで心の中は自由に動かしてもらえます」と
言って祈りました。

ご主人にも、四十分ぐらい祈っていただいたのですね。
そうしますと、熱が下がって、それから四日間、
奥さんが突然スースーと眠られたそうです。
それまで、目をむいたまま一睡もできないでいた方がです。
ところが、このことを知らないで、今度はご主人のお母さんから
「先生、助けて下さい。助けて下さい。
触らず、何もできなくていいから、病院に来て下さい。
病院に来てもらえませんか」と泣いて頼まれたのです。
ところが、昨夕は運悪く禅定の日に当たっておりました。

そして、六時前まではお客さんが治療に見えていましたし、
「六時十五分から約一時間禅定の為に坐らせてもらいますので、七時半には
出られると思いますから、七時半に迎えに来て下さい」と言いまして、
皆さんに待ってもらったまま、お客さん全部を放っておいて、
私はちょっと用意をさせていただき、お茶漬けをこそこそ頂いてから、
病院に行かせてもらいました。

すると、嘘のようによく休んでおられたのですが、パチッと目を開かれて、
「ああ、長尾先生ですか」と言われます。
「分かりましたか、ここの苦しいの如何ですが」と胸をさすりましたら、
「何の苦しみをありません」と言ってくれました。

熱も三十八度ぐらいまで下がってきましたので、
「よかった、よかった」と言って、すぐ送ってもらって、飛んで帰りました。
しかし、家のほうには入らず、すぐまた今度はお客様のほうに飛んでいきまして、
十時までお話させていただいたのですけど、
今日、こちらの寄せていただくのに用意もしなくてはいけませんし、先に失礼したのです。
皆さんは、そのあと十二時過ぎまで話し合いをしていただいたそうです。


              ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2015-05-03 00:24:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 三


             「法」生きる日々


先の続き・・・

自分の心に目覚めてほしい」それだけです。
そして今、日本国中に招いていただいておりますが、一切の制約―――
こうしなさいとか、研修会があるとか、そんなものは何もありません。
もし私の心に、これぽっちでも、望む心、或いは自分の名声、地位、
お金への思いがありましたら、これはもう「法」ではないのです。
法とは、自らを犠牲にして他を生かす行為です。

自分自身を犠牲にして他の幸せの為に奉仕することが、法の実践ですね。
その行為を少しでも真似させていただくのです。
私も、完成された立派な人間とは違いますが、しかし真似ぐらいはできます。
お陰様で三百六十五日ただの一日も休みをいただけません。
ゆうべも東京からお客様が七人来て下さいました。
私にとりましたては、大事なお客様です。

せっかくお見えになっていますのに、お愛想もできないのです。
ほんとうに申し訳ないことだなあと、心からお詫びいたします。
というのは、交通事故に遭われた方が、約一か月ほど植物人間のようになって
しまわれて、熱が四十一度にも上がったそうです。
物は吐く、うわ言を言う、胸が苦しい苦しいと、苦しまれたそうです。

その日のお昼、ご主人から電話を頂いて、「先生、何とか家内を助けて下さい。
助けて下さい」と言われたので、「私は、今たくさんの方が見えていて、病院に
行くことができないのです。しかし、祈ることはできます。ご主人、あなたも
心から祈って下さい。私もこちらで心の中は自由に動かしてもらえます」と
言って祈りました。

ご主人にも、四十分ぐらい祈っていただいたのですね。
そうしますと、熱が下がって、それから四日間、
奥さんが突然スースーと眠られたそうです。
それまで、目をむいたまま一睡もできないでいた方がです。
ところが、このことを知らないで、今度はご主人のお母さんから
「先生、助けて下さい。助けて下さい。
触らず、何もできなくていいから、病院に来て下さい。
病院に来てもらえませんか」と泣いて頼まれたのです。
ところが、昨夕は運悪く禅定の日に当たっておりました。

そして、六時前まではお客さんが治療に見えていましたし、
「六時十五分から約一時間禅定の為に坐らせてもらいますので、七時半には
出られると思いますから、七時半に迎えに来て下さい」と言いまして、
皆さんに待ってもらったまま、お客さん全部を放っておいて、
私はちょっと用意をさせていただき、お茶漬けをこそこそ頂いてから、
病院に行かせてもらいました。

すると、嘘のようによく休んでおられたのですが、パチッと目を開かれて、
「ああ、長尾先生ですか」と言われます。
「分かりましたか、ここの苦しいの如何ですが」と胸をさすりましたら、
「何の苦しみをありません」と言ってくれました。

熱も三十八度ぐらいまで下がってきましたので、
「よかった、よかった」と言って、すぐ送ってもらって、飛んで帰りました。
しかし、家のほうには入らず、すぐまた今度はお客様のほうに飛んでいきまして、
十時までお話させていただいたのですけど、
今日、こちらの寄せていただくのに用意もしなくてはいけませんし、先に失礼したのです。
皆さんは、そのあと十二時過ぎまで話し合いをしていただいたそうです。


              ~ 感謝・合掌 ~




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