浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

「垂訓」

2023-12-17 00:07:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


            第三章 天上界への道

  ◆癌の激痛から悔い改めて安楽往生した九十歳の老婆◆

先の続き・・・

「出すことはベロを出すのも嫌い。
もらうものは余所様の葬式でもほしいな」と、
実際にこのおばあちゃんは口にされていたそうです。
人の悪口は言う、嘘はつく、という人生だったと、
その息子さんが保証するのですから、
間違いありません。
それで、「どこから見てもいい所に行けそうにありません。
なんとか救うてもらえませんか」と、
息子さんからのご相談がありました。

「お歳は?」と聞くと、「九十近いです」と答えられるので、
「そりゃあもうあきまへんわ」と言いました。
九十年間、ご本人は自分を正しい人生と思って
人生を過ごしてこられたのです。
その頃は私は五十前後でしたから、四十年もの年齢の隔たりです。
私みたいな若造が言うことなど聞いていただけないでしょう。
だから、どうしようもないと思ったのです。
けれども、もし間違った人生を過ごせば、必ず清算の時が来ます。
貸借対照表で赤字か黒字かというのがはっきりと出てまいります。
正しければそれなりの、間違っていればそれだけの
結果の現れる時が来る筈です。
その時が訪れたならば、またいらしてください、
と言っておきました。

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「垂訓」

2023-12-16 00:52:56 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
    恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


                    第三章 天上界への道

          ◆癌の激痛から悔い改めて安楽往生した九十歳の老婆◆

先の続き・・・

落ち窪んでいたはずの目も若い時のようにふっくらとし、
とても死んだ方のお顔とは思えませんでした。
やはり、素晴らしいお方は、素晴らしい死を迎えられるものだと思いました。
しかし、有難いことに、あまり素晴らしくない人生を送られた方でも、
死の寸前にこの法をいただき、反省によって気づかされ、
ああ私の人生は間違っていました、
たくさんの過ちを犯してきました、と悔い改めたなら、救われます。

その一つの素晴らしい例を紹介します。
九十歳近いおばちゃんの息子さんにご縁がありまして、
「恥ずかしいことですが、私の母は
絶対にいい所へは行けないと思います」と言ってこられました。
このおばあちゃんは、自分の子供たちからさえ、
「死んだら地獄行きだ」と確信されていたのです。
「どうしてですか」と尋ねますと、「お恥ずかしいのですが、
私の母は恨みと憎しみの塊です」と答えられます。
人の悪口は言うし、人を信ずることはできない。
出すことは大嫌い。もらうことは大好き。九十年間のおばあちゃんの人生は
苦しい日々だったと思います。




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恩師の舟形光背と奇跡について。

2023-12-15 08:45:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真は恩師「長尾弘」先生の後光(光背)がカメラに収められたものです。


このお写真は恩師「長尾弘」先生がイギリスのロンドンを訪問された際に
後光を写す専門の写真屋さんで写されたものです。
このお写真を専門用語ではキルリアン写真と言うそうです。

この時、恩師と同行された学びの友の方々も恩師が写されたお写真と
同じ場所・条件で撮影され、その時のお写真を恩師に提供されていました。
提供された皆さんはそれぞれ素晴らしい方々だと思いますが、お写真は
恩師のそれとは異なり恩師のお写真のようには写らなかったようですね。
後のご講演会で恩師ご自身がこの時写された皆さんのお写真を提示しながら
説明されておられました。(ビデオにも残っています)

恩師の師「高橋信次」先生のご著書「心の原点」で後光について
説明されていますが、その説明によれば、ここで紹介しました
恩師の後光はその形状・大きさ・淡い黄金色・の総合判断からお釈迦様の後光や
如来様のそれとまったく同じものと判断できます。

この舟形光背のお写真について恩師ご自身のご説明では頭の上に出ている後光は
王冠を表しており、また両肩に出ている後光はガウンを着た状態を意味するものと
お聞きしました。

法を説く者は人の手をもって作られた金銀宝石を散りばめた物質的な
王冠やガウンを身に付けるのではなく、このお写真のようにご自身の
体から出た光による無冠の帝王でなければいけないとも恩師は
仰っておられました。

恩師のご講演会でのお話などで不思議な出来事、一般的に言うところの「奇跡」を
たくさん見聞させて頂きました。

例えば、
◎ 中国敦煌の砂漠で金が沢山噴出したこと。
◎ 恩師が訪問され、お釈迦様の涅槃像にお祈りされる度、
  沢山の金粉・金箔が空中から舞い降りること。(クシナガラ)
◎ お釈迦様の荼毘にされた山から金粉が沢山発生したこと。
◎ エジプトのピラミッドが光輝いたこと。
◎ イタリアの聖フランチェスコ大聖堂の内部が光輝いたこと。
(この時の奇跡は小生自身も自分の目で確認することができました)
◎ 臨終されたお方が生き返られたこと。(日本、米国、スリランカ)
◎ 恩師が歩かれた足跡から沢山の金粉が湧き出たこと。
◎ 数えきれないほどの難病・奇病が癒されたこと。
◎ 仏壇・仏像・教会の内部・外部が光り輝いたこと。
◎ イスラエルのイスラム教のドームが光輝いたこと。
   等、等、数え上げればきりがありません。


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「垂訓」

2023-12-15 00:23:55 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


           第三章 天上界への道

  ◆癌の激痛から悔い改めて安楽往生した九十歳の老婆◆

棺に遺体を納める際にマイナス八十度くらいの
ドライアイスを詰めるのですが、
私がこれまでにご縁があって見せていただいた方々の
遺体には不思議なことがよく起きます。
遺体の胸に手を当てるとまるでホカロンを入れたように温かく、
背中に手を回しても冷たくないといった奇蹟的なことです。

正しい法に触れて、心が救われた方は死後硬直も
冷たくなることもありません。
マザーテレサさんがお亡くなりになった時に、
死後四時間目の写真をいただきました。
以前お会いした時とはまったく違う
美しいお顔になっておいででした。


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恩師の癒しの御手

2023-12-14 06:42:17 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真は恩師(故)長尾弘先生の癒しの御手です。
(御手には沢山の金粉が出ているのが確認出来るかとおもいます)。


この御手で世界中の数えきれない難病・奇病の方が癒され、救われました。
昔、どなたかがこの御手をご覧になり「この手は総合病院ですか」
と恩師に尋ねておられましたが、
恩師のこの御手は総合病院でも治しきれない病でもいとも簡単に治されましたし、
薬にあるような副作用もなければ、後遺症もまったくありませんでした。
しかもどんな難病・奇病が治ってもまったくの恩師の愛の「無償の癒し」でした。


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「垂訓」

2023-12-14 01:08:46 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


                第三章 天上界への道

              ◆生き地獄とあの世の地獄◆

先の続き・・・

人間はみんな足ることを知らないでいつまでも
欲望にとらわれて右往左往している。
そして、やがて死ぬということも忘れている、
なんと浅はかなんだろうと考えたり、
仕事仲間のうちで友達がいじめられ、
根性悪くされるのを見てもとてもつらい時期があったし、
人の死を多く見せられたので、
なおさら実感をもってこの言葉の意味が胸に入ってまいりました。
あってもあっても充足しない心は、
そのまま餓鬼界の意識につながっていきます。

       「糞中の穢虫 居を争いて外の清さを知らず」

という諺も私たちに人間世界における真実を示してくれています。
政界や宗教界において組織の中で自分の地位を確保しようとポスト争いをする様が、
ウジ虫が糞の中にありながら互いに居場所を争っている様子にたとえられています。
権力闘争の思いは、事後保存の欲望や自我我欲の欲望から来るものです。
互いに自分の地位を守ろうとし、
また相手を失脚させて望む権力の座におさまろうという
権謀術数が渦巻く世界にあって、
やがて対立闘争の思いはカルマとなって、
阿修羅界に通じてゆきます。
そんな心の休まる暇もない世界を一歩外に踏み出せば、
清らかな世界があるとも知らずに、
自らの煩悩の火で自らの心を苦しめていきます。


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「垂訓」

2023-12-13 00:00:41 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


                第三章 天上界への道

              ◆生き地獄とあの世の地獄◆

先の続き・・・

昔か地獄というと、餓鬼界や阿修羅界など、
その苦しみの思いの種類によっていくつかに分類されてきました。
たとえば、「足ることを知る」ということを忘れ、貪欲に溺れれば、
その思いは自ずと餓鬼界へ通じていきます。
また、権力闘争など争いの思いは阿修羅界へと通じていきます。
これら二つの地獄は、人間の煩悩にうちでも最も気をつけなくてはならない
自我我欲の思いと自己保存の思いが原因となって現れてくるものです。

「残水の小魚 食を貪りて時に乾くを知らず」という諺が仏典にあります。

川の水が引いた後に残された水たまりの浅い水に
ピシャピシャと小さな魚たちが
尾びれを動かしながら群れて、餌を奪い合っています。
雨も降らず、もうじきに水が干し上がってしまおうとしているのに、
そのことにさえも気付かずに食を漁り貧ぼるのに夢中になっております。
「残水」とは余命のたとえです。
人間でもいろいろな欲望を追いかけて、
もっと財産や土地や家を手に入れたいと躍起になっているうちに、
だんだんと死が近づいてくるのですが、それにも気付かず、自我我欲に
とらわれたあさましい姿とその運命をうまく言い表わしたものです。
私は二十歳の頃からこれをすごい言葉だなあと思っておりました。


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「垂訓」

2023-12-12 00:08:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


              第三章 天上界への道

            ◆生き地獄とあの世の地獄◆

不調和な思いの波にさらわれ、
低い所に転落することから自らの心を守るためには、
出て来た嫌な思いや辛い思いをできる限り早く切り替えてしまうことです。
そうすれば、まず生きながら味わう生き地獄に喘ぎがなくなります。
魂の修行の場としてのこの世で出会う人々や起きる出来事の縁に触れ、
様々な課題や試練に遭遇することになります。

けれども、それらを乗り越えて行く時、今迄どうしても乗り越えられず、
自分が直そうとしても直らなかった癖や欠点などがやがて修正できて、
それが自信につながり苦しみは喜びとなります。
私たちは偽我の本当の姿に直面するのを恐れています。
そして、社会で人から期待される、
それぞれの人から都合がいいと見られる自分であろうとして、
仮面をかぶり、偽りの人格をまとってしまいます。
それでいて、自分の嫌な面や醜い面は人から見えないところに押し隠しています。
それが潜在意識にたまり、汚れや曇りとなって心の輝きを失わせてしまいます。
生きている間に真実の自己の姿に直面して、精一杯魂を浄化すべきです。




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「垂訓」

2023-12-11 00:07:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


              第三章 天上界への道

            ◆生き地獄とあの世の地獄◆

たった今幸せであったとしても、
次の瞬間に心を苦しめてしまいますと、
心は極楽から地獄へ一挙に転げ落ちてしまいます。
それが長く続き、苦しみの程度が甚だしければ
生き地獄ということになります。

ふつう地獄と称せられるあの世の苦しみの世界は、
肉体がなくなってもなお意識がけが存続し、
生きている時の苦しい心の状態を持ち越したまま、
別の次元に移行した時に、
自らの思いによって展開されてくるものにほかなりません。
宇宙の運行が一秒たりとも休まず、
自然界が変転すること絶え間のないように、
人間の心と身体の細胞組織も一瞬毎に変化しています。
それらが発する波動が常に変化しているとも言えます。
もう怒りっぽい自分は克服できたろう、
もう大丈夫と思っていても、
何かの縁に触れてまた激怒してしまったなどということは
誰にでもありそうなことです。


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「垂訓」

2023-12-10 00:05:29 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


              第三章 天上界への道

            ◆本当の神は罰など当てない◆

そしてまた、「汝らの喜びは我が喜びなり、
汝らの苦しみは我が苦しみなり」ともおおせられます。
「我が心と汝らの心と想念行為を照らし合わせよ、
もし我が心と離れし箇所に気づかばそれを悔い改めよ、
その時、汝らの魂は浄まれり」というのが神の御心です。
私たちの誤まてる行為さえも神様は大きな心で赦されておられるのです。
いつでも自ら間違いを反省によって知り、悔い改め、
つぐないの行為によって挽回するチャンスをくださっています。

だから、やり直しがきかないということも、
罰せられるということもありません。
自分の失敗なり過ちを素直に悔い改めて、
二度と再びその間違いを犯さないようにすればいいのです。
「人は先に過ちを犯せども後に過ちを犯さざれば、
その人の世間を照らすこと、
雲を離れてひとり輝く満月の如し」という仏典の言葉があります。

現れては消えて行く実体のない現象界の出来事にいちいちとらわれることなく、
過ちを繰り返さぬ前向きな努力をしていけば、過ちを犯して、
それを自覚したがゆえにかえって新しく生まれ変わり、
今度はより立派な人格となり、世間の人々に光を放つ存在となれることです。
希望を与えられる言葉だと思います。

内奥の神の御心罪深き この身を通し示す現わす。
我が行為 神の御心あらわさん 父(神)の御心世に示さんがため
                               

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「垂訓」

2023-12-09 00:04:09 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第三章 天上界への道

     ◆本当の神は罰など当てない◆

先の続き・・・
その時、自分の心は必ず苦しむはずです。
また、責める対象が他人であってもやはり自分の心は苦しみます。
もちろん、この場合相手の心にまで苦しみを与えてしまいます。
その結果、自分の心を暗くし、
人様の心をも暗くしてしまいます。
そして、同時に心は重くなり、光の量は減ってゆきます。
それはなぜかというと、神の御心にない心というには、
光に対する影となって心に闇をもたらし、
光の量を減らすからです。

自分の心が明るくならなければ、
いくら宗教をやってもなんにもなりません。
正しい法を実践すれば、正しいものの見方と
正しい心の持ち方と正しい言葉の話し方と
正しい行いというものが、その人の身に必ず現らわされてきます。
古い人格は消え去り、
それまでとはまったく違う生まれ変わったかのような
神の子としての本来性が現れてきます。
神様は、「己自身を苦しむることなかれ、己を愛し、
己を愛するが如く他を愛せよ」
とおっしゃいます。


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「垂訓」

2023-12-08 00:01:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


              第三章 天上界への道

            ◆本当の神は罰など当てない◆
先の続き・・・
「神のみ名において赦しません」
などと戒める宗教がありますが、
そんなことは絶対にありません。
神の心の中には責め裁く思いはありません。
太陽の心と同様に、神の心は無限の赦しです。
ただし、私たちの心は人に嘘をついても自分自身に
嘘をつくことは決してできません。
良心があるからです。

この良心が私たちが罪過ちを犯した時、
人は誰も知らなくとも自らを責め裁きます。
私たちが罰を恐れるのも、私たちの思いの中に
自らを責めたり裁いたりする心があるからです。
しかし、それが悔い改めて真理に
目覚めるためならいいのですが、
ただ不必要に自らに罪悪感を背負わせるためにだけ、
自らを責めさいなみ続けるのなら、
これも一つの業であり、心に潜む魔です。


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「垂訓」

2023-12-06 23:57:56 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


            第三章 天上界への道

        ◆宇宙を動かす力とつながる心の内奥◆

先の続き・・・

こういう方を如来と呼びます。
如来という言葉には、「来るが如し」という意味があります。
それは、今説明させていただきましたような、
あの世の実在界のほうから来た神の光その
ままであるということなのです。
つまり、この地上にあっても、肉体の五官に振り回されずに、
神様の御心を行いに具現し、
その存在自体が神の御姿を如実に示し現わすことができたなら、
その時その人の心は如来の心と言えます。

又、神人とも言えます。
心の奥にある神我に到達せんと心を磨き、
少しでも如来に近づく努力をしていこうとする人が
増えれば増えるほど、
この地球世界は実在界の写しのような大調和した
理想世界となってきます。
仏国土、ユートピア、神の国、
地上天国などと呼ばれる世界です。


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「垂訓」

2023-12-05 23:55:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


            第三章 天上界への道

        ◆宇宙を動かす力とつながる心の内奥◆

先の続き・・・

肉体の五感に影響された理性、知性、本能、感情などから見て、
神社仏閣や教会やお墓や仏壇などを死後の世界とイメージで
結びつけたがるのは、単なる習慣上の思いにすぎません。
まったく想念が浄化され、なんのとらわれもない
自在無礙の空そのものの意識になってしまいますと、
仕切り板がなくなったコップを常に神様から来る光が
サァーッと突き抜けいく状態となります。

その時、この世の現象界にまであの世の実在界の光が完全に通り、
すでに心は自由にこの世とあの世とを往還できるようになっています。
この世に肉体がありながら、もはや心は肉体の五感にとらわれずに、
自由自在に意識を働かせ、
宇宙大に意識が拡大しています。


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「垂訓」

2023-12-04 23:55:53 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


            第三章 天上界への道

        ◆宇宙を動かす力とつながる心の内奥◆

先の続き・・・

それまでは想念の厚い雲が実在界より来る
神様の光を遮っていたわけですから、
この曇りがなくなれば現象界のほうにまでその光が届き、
差し込んできます。
霊魂の器の内部に神我はあります。
表面意識のほうから見れば、いちばん内奥にある意識です。

想念の曇りを除きつつ奥に分け入ってはじめて到達できるのが、
潜在意識の最深部にある神の分け御霊としての神我であり、
キリスト意識であり、宇宙意識です。
ところで、私たちの命のふるさとは、
個別の霊魂の容器の彼方に無限に広がる大宇宙体を
つかさどる一つの偉大なる意識のほうにあります。
コップの口のあいたほうです。


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