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会議には「自分の意見を変える覚悟」で臨まなければならない

2005年01月30日 | シロート考え
 しごく当たり前のことなのだけれど、およそ会議というものは、参加者が「誰かの意見が良い考えなら、自分の意見を変えてもいい」という覚悟というか用意をしていかなければ、意味がない。
 逆に、国会の議論がいつもすれ違いなのも当然で、どちらも自分(達)の意見を変えようなんて気はさらさらなくて、自分の意見をただ開陳するだけだ。
 特別ひどいのが、小泉と石原で、まったく話にならない。他人の意見を聞くどころか、説得力のあるきちんとした主張をしようと言う気もない。小泉の「自衛隊は非戦闘地域に派遣する。」そして、「非戦闘地域とは自衛隊の派遣されている場所のことだ。」=「白とはおれが白く見える色のことだ」は民主主義の根底を否定する最悪の言葉だと思う。


 我が身に振りかえって、身近な会議で、上司や会長とかに、最初から全てをわかっていて、最初から正しい判断をしている、と言う状態を期待してしまう。「良い独裁者」を期待してしまっているのだ。
 だが、それなら会議など無用だ。
 良い会議参加者とは、他人の意見をきちんと聞くことができ、自分の意見をきちんと論理的に変えることが出来る人なのだ。
 会議に出す原案も同じ。良い原案とは「正しい結論」ではない。原案を作るに当たって、何を決めなければならないのか、様々な周りの状況、判断材料、原案や考えられる対案のメリットデメリット、考えられる周りの状況への影響、それらが会議参加者にわかりやすくまとめてある、それこそがよい原案(会議資料、説明)であるし、参加者はその資料に基づいて議論し、よりよい結論にたどり着くべきなのだ。

 マスコミにも同じ事を言いたい。前に書いたけど、政治三面記事 はいらない。読者がよりよい判断を出来るような「材料」を提供して欲しい。