今日はなにもない日曜日。定番の回転寿司に行き、妻もつきあって、なまものはやめておいた方が良いということで、サラダなどをメインに。その後も定跡。昼寝。なにもせず。まとまったことをなにかする、という気になれなくて、本を読んだり、最近ハマっている麻雀ゲーム(ほんの数分ずつできてとても良い)をやったり、そうか、NHK囲碁は1時間半見たな、友達が送ってくれたおいしいブドウを食べたり、グズグズしていた。HPをほんの少し追記した。明日もなにもない。うれしい。
米原万里はいつもおもしろい。まだ読んでないのがいくつかあるようなので、まだまだ楽しみだ。この対談集もおもしろかったが、つまり対談はホストが大切ね。
中に、米原万里ではなく、イタリア人のラブレターの話がのっていて、それが
「愛しい愛しい私の宝のマリアちゃん。君の瞳に見つめられるためだったら、アルプスを裸足で越えるのも厭わないだろう。君の優しい腕に抱きしめられるためなら、どんな深い海も泳いでいけそうな気がする。……君のためなら何でもするよ。愛しいマリアへ。ピエロ
P.S.次の土曜日、もし雨が降っていなければ会いに行きます。」
黒岩幸子の「素顔の万里さん」(解説にかえて)が、米原万里の人となりがわかってとても良かった。
ミントはどうしようもなく(というほどでもないか)増殖する。生命力旺盛だ。蚊が嫌うと聞いて瓶にさして玄関に置いたのだが、たいしたことない。香りも触ると良いのだが、まあたいしたことない。
こうして写真に撮るとちょっと美しい。
今日のこと
同僚「放射線同位体の半減期ってずいぶんいろいろだけど、一番長いのでどのくらいなの?」
ぼく「えー、どうだろう?すぐ思い出すのはウランの45億年とかですかねえ。他にも知られているのあるかなあ?」
同僚「45億年ねえ、、、」
ぼく「でも厳密な意味では、すべての元素って永久不滅じゃあないんじゃないですかねえ。(ノーベル賞の)梶田さんは陽子の崩壊現象を捉えられないかとしばらく調べていたそうですよ。だから陽子も寿命もあるし、半減期というのもあると言えばあるんじゃないですか?」
同僚「すべては絶対じゃないってわけだ。」
ぼく「ええ、それが100兆年なのか、10×10E100年なのかしれませんけれど。」
同僚「なるほど、、、ただ、あれだ、バカだけは永久不滅だな。永久にいなくならない。」
ぼく「え?、、、、、ははは、まったくですねえ。」
家に帰ってきて妻に話したら
「ははは、そうね。でも人類がそのうち滅びちまいそうだし、人類と共にいなくなるんじゃない?」
「ははは、そうね。まったく滅亡しそうだよなあ」
同僚「放射線同位体の半減期ってずいぶんいろいろだけど、一番長いのでどのくらいなの?」
ぼく「えー、どうだろう?すぐ思い出すのはウランの45億年とかですかねえ。他にも知られているのあるかなあ?」
同僚「45億年ねえ、、、」
ぼく「でも厳密な意味では、すべての元素って永久不滅じゃあないんじゃないですかねえ。(ノーベル賞の)梶田さんは陽子の崩壊現象を捉えられないかとしばらく調べていたそうですよ。だから陽子も寿命もあるし、半減期というのもあると言えばあるんじゃないですか?」
同僚「すべては絶対じゃないってわけだ。」
ぼく「ええ、それが100兆年なのか、10×10E100年なのかしれませんけれど。」
同僚「なるほど、、、ただ、あれだ、バカだけは永久不滅だな。永久にいなくならない。」
ぼく「え?、、、、、ははは、まったくですねえ。」
家に帰ってきて妻に話したら
「ははは、そうね。でも人類がそのうち滅びちまいそうだし、人類と共にいなくなるんじゃない?」
「ははは、そうね。まったく滅亡しそうだよなあ」
常々、原典にあたる大切さとか、大事件だったらあとでその真相(なんてあるのかどうか知らないが)をまとめて読まなければならないと思っている。まったくマスコミはひどい。しかたがない部分もあるだろうが、それだけでなくひどいと思う。
この本は「裁判の記録」なので、真相を暴くというようなものではないが、読んでおくべきだったし、読んで良かった。実はこの著者とは気が合わないのだが、(いや、それほどでもないかな?)それは視点(視座?)が違うという意味で、どちらが悪いという訳ではないと思う。著者の目指す、記録をきちんと残すということはきちんと意味ある形で実現していると思う。(シロートが偉そうにすみません。)
「宮崎勤よ、お前は何者だ?」なんて問いはまったく無意味だと思うが、まあいいや。
裁判制度、特に日本のそれについて、あるいはさらに人を裁くこと、あるいは犯罪と責任などについてぐるぐるとそれこそ無意味な考えが頭のなかで渦巻きながら読んだ。
現代日本成人の常識らしいけれど、裁判というのは裁判官、裁判所が真相を究明するわけではない、刑事事件だったら検察と弁護士双方の言い分を聞いて(聞くだけ!)そして「こっちの言い分が正しい」と判決するだけなのだ。この仕組みからして間違っている、と思ってしまう。
この本を読んで一番感じるのはやっぱりまた裁判所、裁判官の傲慢さ。公正にとか真相の究明とかそんなこと考えてなくて、自分らが偉そうにしているだけだと思う。たとえば、
裁判官だけでなく、検察も弁護士もそうなのだが、シロートのくせして専門家(精神科の権威)の言うことをまったく否定するってどれだけ自分は偉いの?それならなぜ精神鑑定なんかするのだ?
いくらでも思ったことはあるのだが、もうひとつこれだけは。
この本の中で、読売新聞の大ねつ造記事のことが取り上げてあってとても良かった。あれは誤報でないねつ造記事で、新聞史上最大のスキャンダルだと思うのだが、こうやってきちんと記録されているのを見たことがなかったので、よかった。もっともこれも著者は異常に好意的で、それは不快極まりない。(と思ったが、今調べたら、実は今やwikiに載ってる、すごい。)