オリンピックは中止すべきだ。昨日はとうとう全国で一万人の新規感染者を確認したらしい。実数は10万人を超えるはずだ。政府の一部は打つ手がないと言ったとのこと。バッカじゃなかろうか。
スポーツ選手に罪はないし責任もあまりない。特にマイナースポーツのトップの者はさぞかしオリンピックをやりたいだろうよ。それしか生きる道がないのだから。責任はトップ、政治家にある。
スポーツ選手に責任は「あまり」ない。少しはある。いや、相当ある。スポーツは所詮衣食住に関係ない。生きるのに必要ない。「誤解をおそれずに」ではなく、とても誤解をおそれているが、それでも、スポーツ、特に見るスポーツなんて生きるのに必要ない。音楽だって美術だってみんな必要ない。
もちろん人はパンのみに依って生きるのではない、そんなことは知っているが、本当の本質的には、ない。
人間が余裕ができたからか、いや、余裕がなくなったからこそパン以外のものが必要なのだ。それでも、だからみんなの投げ銭だったり、税金だったり、つまり政治的に金がつぎ込まれている。企業がスポーツのスポンサーになることを消費者が支えているということは、それは「政治的」なのだ。
だからスポーツ選手も芸術家も芸人も政治的でなければならない。社会のしくみについて、より公正になり、多数の人間が幸福になるように力を尽くす義務がある。それだけの強い力を持っているからだ。どんなに理を尽くした発言より、バカ芸人が言うことの方が世に知られてしまう。
個人的なことだが、理系に進むときに、原子力はいやだなあと思った。音楽は才能もなかったし、そもそもそんな虚業(失礼!)はいやだった。仕事をすると言うことは社会に貢献することだと無意識に思っていた。もちろん芸術家を否定するわけではないが、そういうことだ。