実家のロウバイがなかなか美しかったが、写真はだめだなあ。写真を撮るのって難しい。
パッチギ!を見た。見ておかなきゃ、教養だ、と思って見たのだが、とてもおもしろかった。
wikiによれば「京都における日本人の少年と在日コリアンの少女との間に芽生える恋を中心とした青春映画。」と言うことでそれは確かにそうで、でも特に恋愛のほうはとても淡いもので、在日コリアンをめぐる現実をあれこれうまく描いているのだと思う。
昔あまりよくなかった知り合いが、昔朝鮮学校の奴らと喧嘩した、あいつら体は小さいけどこえーんだよ、顔を近づけるといきなりチョウパンだよ。知ってる?頭突きのことなんだけどさ、朝鮮パンチだな、などと言っていたのを思い出した。(差し障りがあったらすみません)
レビューも絶賛の嵐のなかに、クソ映画だというのもたくさんあり、それにはたいていあいつら(韓国・朝鮮人)とんでもない奴らだ、みたいなことが書いてある。そういう部分をうまく描いているのだと思う。
もちろん沢尻エリカは新人女優賞ですばらしいが、そのほかにもたくさんその後成功する俳優が出ている。加瀬亮はたいしたことないが、オダギリジョー、真木よう子、桐谷健太、、、。
wikiによれば「京都における日本人の少年と在日コリアンの少女との間に芽生える恋を中心とした青春映画。」と言うことでそれは確かにそうで、でも特に恋愛のほうはとても淡いもので、在日コリアンをめぐる現実をあれこれうまく描いているのだと思う。
昔あまりよくなかった知り合いが、昔朝鮮学校の奴らと喧嘩した、あいつら体は小さいけどこえーんだよ、顔を近づけるといきなりチョウパンだよ。知ってる?頭突きのことなんだけどさ、朝鮮パンチだな、などと言っていたのを思い出した。(差し障りがあったらすみません)
レビューも絶賛の嵐のなかに、クソ映画だというのもたくさんあり、それにはたいていあいつら(韓国・朝鮮人)とんでもない奴らだ、みたいなことが書いてある。そういう部分をうまく描いているのだと思う。
もちろん沢尻エリカは新人女優賞ですばらしいが、そのほかにもたくさんその後成功する俳優が出ている。加瀬亮はたいしたことないが、オダギリジョー、真木よう子、桐谷健太、、、。
職場のストーブに
「故障しました。応急処置がしてありますが、労るために座らないでください」
と張り紙されている。ストーブに「労る」ねえ、、、、
「労る」は「いたわる」だろうけれど、こんなところでこの漢字使うか?たしか労は「ねぎらう」とも読むはずだ。
だいたい、ワープロというかPCが普及して以来、みんな漢字を使いすぎる。もっとひらがなを使うべきだ。上の二つの読みももともと和語だと思うし。
最近のはやりなのか「承前」というのが大嫌いだ。なぜ「続く」「続き」を使わないのだ?
でも一方、ヴァイオリンはヴァを使いたい。もともとの日本語にないから使うべきではない、という意見には大いに反対だ。それなら濁点使うな。もともと日本語に濁点なんてないだろう。なんてことだ、今調べたら、濁点を公式文書に使うようになったのは昭和になってからだというじゃないか。
読みをそのまま表現できる「かな」は本当にすばらしいと思う。
ついでながら、本当は「r」の発音はら行に゜をつけて米はラ゜イスと書くようにすべきだと思う。ライス(ってのはもちろんLの発音)ではシラミのことだってよ。
「故障しました。応急処置がしてありますが、労るために座らないでください」
と張り紙されている。ストーブに「労る」ねえ、、、、
「労る」は「いたわる」だろうけれど、こんなところでこの漢字使うか?たしか労は「ねぎらう」とも読むはずだ。
だいたい、ワープロというかPCが普及して以来、みんな漢字を使いすぎる。もっとひらがなを使うべきだ。上の二つの読みももともと和語だと思うし。
最近のはやりなのか「承前」というのが大嫌いだ。なぜ「続く」「続き」を使わないのだ?
でも一方、ヴァイオリンはヴァを使いたい。もともとの日本語にないから使うべきではない、という意見には大いに反対だ。それなら濁点使うな。もともと日本語に濁点なんてないだろう。なんてことだ、今調べたら、濁点を公式文書に使うようになったのは昭和になってからだというじゃないか。
読みをそのまま表現できる「かな」は本当にすばらしいと思う。
ついでながら、本当は「r」の発音はら行に゜をつけて米はラ゜イスと書くようにすべきだと思う。ライス(ってのはもちろんLの発音)ではシラミのことだってよ。
そんな機会はないのだが「あなたの棋風は?」と聞かれたら、どう答えよう。「踊っている碁」とか「筋ばった碁」とか「軽いつもりなのだが、薄い碁」とか、そんなのしか思い浮かばない。要するに地に足がついてないのだ。そもそも実生活でもそうだよなあ。あらかんになって、こんな中学生のようなことを言ってどうする?
ちなみに「踊っている碁」と言うのがまさに地に足がついてないという感じで、「筋ばった碁」の筋というのはスポーツなどで言う「すじが良い」のすじとやや近いだろうか。だが「筋ばった」と、「ばった」がつくろ、筋らしいのに筋とは違う、という意味になる。
碁の重い軽い、厚い薄いは、碁を知らない人にも感じは伝わるのだろうか?
ここんところnet碁も囲碁クエストも調子が悪い。どうして地に足がついてないのだろう?負け始めるとやたらに負ける。自分でいやになる。本当に中学生のようだなあ。
こんな時は、ごくやさしい手筋と詰碁をやる。そうするとやっぱり凡ミスをくりかえし、中学生のように自己嫌悪におちいってしまう。まいった。
僕自身は手塚治虫をリアルタイムで読む世代より若いし、もう大人になってしまって、だから鉄腕アトムとか、あるいはブラックジャック(は週刊誌でだいぶ読んだけれど)より、もっと後のものが好きだ。火の鳥も僕はあまり「感じ」なくて、この「アドルフに告ぐ」とか「きりひと賛歌」とか、あるいは「時計仕掛けのりんご」のようなものが素晴らしいと思う。
ひさしぶりに図書館で借りて読んだ。図書館にあることがまた素晴らしい。文庫版なので、小さすぎてもったいない。それでなくても老眼なのだ。手書きのところが読めやしない。
今の、このきな臭い時代が、第二次世界大戦からいや、その前からの連続なのだと思い知るし、人類は何も学んでない感じだし、なんとも暗澹たる気持ちになる。
叔父が死んだ。インフルエンザからの肺炎らしく、割と急に亡くなった。昨日は通夜。こういうことでもないと会わない叔父叔母やいとこ、いとこの子らと会えて、こういう儀式はそういう血縁などと久しぶりに会う機会なのだなあと実感。儀式は嫌いで、おっくうでしかたがないのだが、それはそれで意味があるのだろう。
次女は自閉症で、要介護なのだ。23歳だが、頭はまあ2歳から6歳くらいかな。というのは言語能力は極端に低い。要するに知恵遅れという感じだが、でも、専門家に言わせると典型的な自閉症だという。というのは自閉症自体が「スペクトラム」というほど幅広いから、その中に完全にハマっているのだろう。
言語以外はそれほど遅れていないというか、頭が良い!と思うことがときどきある。言語能力の部分を別のことに使っているらしい。特に食い物のことは自分が何をおいしく食べることができるのか、よくわかっている。こだわっているところは驚くほどの記憶力だったりする。でも人間、頭脳は言語を道具として使っているので、この、優れた道具がないとあまり能力が発揮できないのだ。頭の良さというのはこの道具の使い方がうまい、ということなんだなあ。
この子と暮らせて本当に幸福だ。日々明るく暮らせる。いまだにニコニコさせてくれるし、ときどき爆笑させてくれる。
楽しみでしょうがないプールに行くときのかっこうがお姉さんだったので、ちょっと良い感じで写真を撮りたくなってしまった。
ふだんは自閉症の典型で、服を着るのが嫌いなのだ、いつもシャツパンツのみでストーブの前にいる。23の女なのだ。困る。いや、なれてしまって、それに頭が3歳だということが現れていて、目のやり場に困る、という感じがほぼない。うーん、困った。
念願の、隣町のホルモン屋に行ってきた。とても良かった。おいしくてとても安い。
もう1年以上前だと思うのだが、同僚のおじさんが行きつけの怪しい店のことを話していて、あまり割り込んじゃいけないと思うから店の名前も聞いてなかった。そのうち良い店なら聞いてみよう。
そのころ母が大腿骨骨折をして、隣町の病院に入院した。病院に通う道すがら、なんだか怪しい店があるのだ。オレンジ色(昨日見たら黄色だった)のネオンがコウコウと光っていて、飲み屋らしいのだが、どう見てもきっと透明ガラスなのだが、磨りガラスにしか見えない間口二間か三間の透けて見える店の中にはガテン系の人たちがたむろっている。看板をよく見ると「内蔵屋」と書いてあるのだ。店の名前を聞いてないけど、この店だろうかと思って、次の月曜日に聞いてみたら、バッチリ大当たりだった。
ちょっとひとりで入る雰囲気ではない。こんど連れてってくださいよ、と女性陣とねだってやっと付き合ってもらった。そういうわけで店はとても汚い。うまくて安い。ネットの評判もその通りで、ちゃんとビールサーバーを掃除しろ、すっぱい、などと書いてある。いや、そんなことなく、ビールもうまかった(と思う)。店の中が、けむいか、寒い。(ものすごくけむくなってそうすると換気扇を回すらしく、そうすると足下からピューピュー隙間風が入ってくる。止める、けむくなる。繰り返し。)
様子がわかったので、今度はかってに行ってみよう。