生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(163)地頭力とメタ認知

2020年02月11日 07時14分53秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(163)
TITLE: 地頭力とメタ認知
書籍名;「地頭力を鍛える」[2019]
著者;細谷 功 発行所;東洋経済新報社
発行日;2019.8.8
初回作成日;R2.2.9 最終改定日;
引用先;メタエンジニアリング

 

このシリーズは企業の進化を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です

 ここ数年、地頭力という言葉をよく耳にする。どうも、学校や企業での教育方針に関連することが多い。
「はじめに」では、次のようにある。
 『学校や企業における「従来の優等生」が持っている資質、能力は、実はAlが最も得意とする領域でもあり、ここはAlに任 せればいいでしょう。人間はその上流、つまりそもそも解決す べき問題や目的を見つけことにシフトしていくべきなのです。』(pp.2)

 そして、「この書は、思考法を学ぶための入門書」と位置付けている。
 『「人間の知的能力に対する問題提起」という課題は、私自身がもう10年以上も著作や研修活動で取り組んできたことです。 「地頭力を鍛える一一問題解決に活かす「フェルミ推定」」を はじめとするさまざまな著作においてそれを表現し、人間の知 的能力がどうあるべきかという間いに対する私の考え方を提示してきました。』(pp.3)

フェルミ推定(英: Fermi estimate)について、Wikipediaには、次のようにある。
『実際に調査するのが難しいようなとらえどころのない量を、いくつかの手掛かりを元に論理的に推論し、短時間で概算することを指す。オーダーエスティメーションや封筒裏の計算(英語版)ともいわれる。
 フェルミ推定で特に知られているものは、「アメリカのシカゴには何人(なんにん)のピアノの調律師がいるか?」を推定するものである。これはフェルミ自身がシカゴ大学の学生に対して出題したとされている。この問題に対して、例えば次のように概算することができる。
まず以下のデータを仮定する。
1. シカゴの人口は300万人とする
2. シカゴでは、1世帯あたりの人数が平均3人程度とする
3. 10世帯に1台の割合でピアノを保有している世帯があるとする
4. ピアノ1台の調律は平均して1年に1回行うとする
5. 調律師が1日に調律するピアノの台数は3つとする
6. 週休二日とし、調律師は年間に約250日働くとする
そして、これらの仮定を元に次のように推論する。
1. シカゴの世帯数は、(300万/3)=100万世帯程度
2. シカゴでのピアノの総数は、(100万/10)=10万台程度
3. ピアノの調律は、年間に10万件程度行われる
4. それに対し、(1人の)ピアノの調律師は1年間に250×3=750台程度を調律する
5. よって調律師の人数は10万/750=130人程度と推定される

フェルミ推定では、前提や推論の方法の違いによって結論にかなりの誤差を生じることもある。フェルミ推定を模倣したケーススタディと呼ばれるテストが、80年代90年代のアメリカ企業の採用活動でよく行われていた。』

 これが、地頭力の基本なのかもしれない。しかし、この思考手順は、メタエンジニアリングのMECIに似ている。そして、それらは次の「3つの知的能力のベース」のうえで実現する。
① 知識力 ②対人感性力 ③地頭力

『WHAT  3つの思考力と3つのベースの組み合わせ
地頭力の中心は、「結論から」「全体から」「単純に」考える3 つの思考力です。「結論から」考えるのが仮説思考力、「全体から」考えるのがフレームワーク思考力、「単純に」考えるのが抽象化思考力です。
拙著「地頭力を鍛える」では、この3つの思考力と、 ベースとなる論理思考力、直観力、そして知的好奇心を組み合わせて、「地頭力」の全体像としました』(pp.142)

 しかし、ここで②と③は両立することが少ない。
 『地頭力では一貫性(論理的であること)を重視するのに対して、対人感性力では相手の矛盾を許容することも大切です。 地頭力では「まず疑ってかかる」 のに対して、対人感性力では「まず共感する」ことが求めらます。また、地頭力では「批判的に考える」のに対して、対人感性力では「批判はしない」 のが求められる姿勢だからです。』(pp.145)というわけである。つまり、「使いどころの違い」をよく認識しなければならない。

 そして、最後の32番目のキーワードとして「メタ認知」を上げている。
 『メタ(meta-)とは、「高次な~」「超~」などを意味するギリシア語から由来する接頭語です。 メタ認知とは、認知を忍知する、つまり自分を客観視することです。自分の思考や行動そのものを客観的に把握し、認識す ることです。自分自身の思考や行動を上から見るイメージで す。思考回路を起動するための基本中の基本です。』(pp.218)

これは、例えば『「幽体離脱」して、自分自身を上から見ることで、見えてい ない領域(の存在)が見えるようになるのです。言い換えると、それが気づきのメカニズムでもあります。』(pp.219) だそうだ。

 最後に、『メタ認知とは、「気づく」と同義』(pp.220)としている。
 『この構図が、気づいていない人が気づきに至る、つまりメタ認知のきっかけをつかむためのヒントを与えてくれます。つま り、「気づいていない人」から「気づいた人」を見ると、「訳のわからない、常識かつ不快なことを言っている人」にしか見 えないので、そのような経験をしたときに相手を否定するのではなく、「おかしいのは自分のほうで、何か見えていないことがあるのではないか」と考えてみることです。
これがメタ認知を促します。』(pp.223)
 メタ認知は、メタエンジニアリングの入り口のように思える。