メタエンジニアの眼シリーズ(159)
TITLE: 「森の時代」
書籍名;「ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス(ZEH)が切り開く未来」 [2020]
発言者;隈研吾 発行所;読売新聞 朝刊
発行日;20120.1.28
初回作成日;R2.1.28 最終改定日;
引用先;メタエンジニアリングとは何か
この記事は、今月行われた「日経 社会イノベーションフォーラム」の特集記事で、4つの主だった討論が2面にわたって書かれていた。その記事を読んで、通常のエンジニアリングとメタエンジニアリングの違いを強く感じた。
私は、メタエンジニアリングの研究に携わって以来、常にまず考えることは、この区別であるからだ。近年はイノベーション議論が盛んで、特にどうやって新たなイノベーションを起こすかの議論が氾濫している。しかし、過去のほぼすべてのイノベーションは通常のエンジニアリングか、またはその組み合わせ、すなわちマルチ・エンジニアリングの範囲内で起こっている。人類の全歴史を通してみると、農業・灌漑革命、鉄器文化、機械化による大量生産などは破壊的イノベーションだった。現代のそれはパソコンとインターネットと様々なソフトを利用するSNSになっている。しかし、これらの末路は、いずれも大きな環境破壊か社会不安定化などに繋がってゆく。つまり、メタエンジニアリングが適用されていなかった。
メタエンジニアリングの「メタ」は、ある物事をとことん考えて実行した後に、一つ上の次元に視点を移して、もう一度深く考えてみる、ということで、そのことをこの記事に当て嵌めてみる。
結論は、第1の建築物は通常のエンジニアリングから出来上がったゼロ・エネルギー・ハウスで、第2の考え方がメタエンジニアリングから出来上がったゼロ・エネルギー・ハウスということだ。
第1は、現在のゼロ・エネルギー・ハウス(ZEH)推奨論で、その省エネ効果は抜群であり、いかにしてさらに普及させるかの議論になっている。現在のゼロ・エネルギー・ハウスは、勿論様々なエンジニアリングの組み合わせでできており、一向に減らない民生用エネルギーの軽減には役立つだろう。しかし、メタエンジニアリング的に考え始めると、大きな懸念が沸き上がる。それは、この住居がすべてに行き渡って、何世代か経った後のことだ。ゼロ・エネルギー・ハウスに囲まれた街で育った子供たちに、自らコントロールしてエネルギーを節約しようという倫理観念が育つだろうか、といった疑問だ。日常の身の回りのエネルギーが、すべて自分の意志に係わらず自動的にコントロールされるなかで育った子供には、その観念は生まれないのではないだろうか。
私のこの考え方は、品質管理の問題から起こっている。最近の大企業で頻発する品質に関する不祥事は、すべて共通の原因がある。それは、どの企業も立派な品質規定があり、それの中で作業をしていれば、品質問題は起こらないと考えていることだ。つまり、ひとりひとりが品質を自らコントロール(品質管理は、Quality Controlの日本語訳)しているという観念が死んでしまっている。私は、長年の実務経験からそう考えている。つまり、第1のZEHは自らエネルギー消費をコントロールしようという意識をなくすことに繋がる。
第2は、メタエンジニアリング的な発言で、それは隈研吾氏の国立競技場の設計のやり方に、見事に表れている。途中で廃案となったザハ・ハディットの設計は明らかに通常の建築士のモノだったが、隈研吾のそれは、メタ建築士のエンジニアリングを強く感じる。
彼の経験では、1959年に伊勢湾台風で多くの木造家屋は流されて、当時の建築学会が木造家屋禁止決議を行ったそうだ。そこで、鉄とコンクリート建築時代が始まってしまった。しかし、数十年後の結果はコンクリート・ジャングルであり、インフラの維持管理費の爆発的な増大が残されただけだった。
彼は先ず、森の時代への移行を唱えて、異なる観点からのエネマネハウスを語っている。それは、先ず最頂部の高さをできるだけ低くすること。その点で、彼は恩師の丹下健三やザハ・ハディットの設計と反対の思想を取り込んだ。次に、法隆寺の五重塔から、庇の下の構造部材の耐久性と修理性・交換性の容易さを重視する基本設計を行った。つまり、将来のメインテナンス費用の最小化を図った。この設計は、ジェットエンジンの設計と全く同じ基本姿勢になっている。さらに、有名な話になっているのだが、その地域の風の流れを考慮して、冷暖房を使わずに暑さと寒さをコントロールする設計を随所の詳細設計に織り込んだ。
私には、これこそが本来の正しいゼロ・エネルギー・ハウス思想に思えるのだが。
TITLE: 「森の時代」
書籍名;「ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス(ZEH)が切り開く未来」 [2020]
発言者;隈研吾 発行所;読売新聞 朝刊
発行日;20120.1.28
初回作成日;R2.1.28 最終改定日;
引用先;メタエンジニアリングとは何か
この記事は、今月行われた「日経 社会イノベーションフォーラム」の特集記事で、4つの主だった討論が2面にわたって書かれていた。その記事を読んで、通常のエンジニアリングとメタエンジニアリングの違いを強く感じた。
私は、メタエンジニアリングの研究に携わって以来、常にまず考えることは、この区別であるからだ。近年はイノベーション議論が盛んで、特にどうやって新たなイノベーションを起こすかの議論が氾濫している。しかし、過去のほぼすべてのイノベーションは通常のエンジニアリングか、またはその組み合わせ、すなわちマルチ・エンジニアリングの範囲内で起こっている。人類の全歴史を通してみると、農業・灌漑革命、鉄器文化、機械化による大量生産などは破壊的イノベーションだった。現代のそれはパソコンとインターネットと様々なソフトを利用するSNSになっている。しかし、これらの末路は、いずれも大きな環境破壊か社会不安定化などに繋がってゆく。つまり、メタエンジニアリングが適用されていなかった。
メタエンジニアリングの「メタ」は、ある物事をとことん考えて実行した後に、一つ上の次元に視点を移して、もう一度深く考えてみる、ということで、そのことをこの記事に当て嵌めてみる。
結論は、第1の建築物は通常のエンジニアリングから出来上がったゼロ・エネルギー・ハウスで、第2の考え方がメタエンジニアリングから出来上がったゼロ・エネルギー・ハウスということだ。
第1は、現在のゼロ・エネルギー・ハウス(ZEH)推奨論で、その省エネ効果は抜群であり、いかにしてさらに普及させるかの議論になっている。現在のゼロ・エネルギー・ハウスは、勿論様々なエンジニアリングの組み合わせでできており、一向に減らない民生用エネルギーの軽減には役立つだろう。しかし、メタエンジニアリング的に考え始めると、大きな懸念が沸き上がる。それは、この住居がすべてに行き渡って、何世代か経った後のことだ。ゼロ・エネルギー・ハウスに囲まれた街で育った子供たちに、自らコントロールしてエネルギーを節約しようという倫理観念が育つだろうか、といった疑問だ。日常の身の回りのエネルギーが、すべて自分の意志に係わらず自動的にコントロールされるなかで育った子供には、その観念は生まれないのではないだろうか。
私のこの考え方は、品質管理の問題から起こっている。最近の大企業で頻発する品質に関する不祥事は、すべて共通の原因がある。それは、どの企業も立派な品質規定があり、それの中で作業をしていれば、品質問題は起こらないと考えていることだ。つまり、ひとりひとりが品質を自らコントロール(品質管理は、Quality Controlの日本語訳)しているという観念が死んでしまっている。私は、長年の実務経験からそう考えている。つまり、第1のZEHは自らエネルギー消費をコントロールしようという意識をなくすことに繋がる。
第2は、メタエンジニアリング的な発言で、それは隈研吾氏の国立競技場の設計のやり方に、見事に表れている。途中で廃案となったザハ・ハディットの設計は明らかに通常の建築士のモノだったが、隈研吾のそれは、メタ建築士のエンジニアリングを強く感じる。
彼の経験では、1959年に伊勢湾台風で多くの木造家屋は流されて、当時の建築学会が木造家屋禁止決議を行ったそうだ。そこで、鉄とコンクリート建築時代が始まってしまった。しかし、数十年後の結果はコンクリート・ジャングルであり、インフラの維持管理費の爆発的な増大が残されただけだった。
彼は先ず、森の時代への移行を唱えて、異なる観点からのエネマネハウスを語っている。それは、先ず最頂部の高さをできるだけ低くすること。その点で、彼は恩師の丹下健三やザハ・ハディットの設計と反対の思想を取り込んだ。次に、法隆寺の五重塔から、庇の下の構造部材の耐久性と修理性・交換性の容易さを重視する基本設計を行った。つまり、将来のメインテナンス費用の最小化を図った。この設計は、ジェットエンジンの設計と全く同じ基本姿勢になっている。さらに、有名な話になっているのだが、その地域の風の流れを考慮して、冷暖房を使わずに暑さと寒さをコントロールする設計を随所の詳細設計に織り込んだ。
私には、これこそが本来の正しいゼロ・エネルギー・ハウス思想に思えるのだが。