生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(161)はやぶさ-生みの親がはじめて明かすプロジェクト秘話

2020年02月02日 08時39分38秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(161)
TITLE: はやぶさ-生みの親がはじめて明かすプロジェクト秘話
書籍名;「はやぶさ」[2010]
著者;川口淳一郎 発行所;宝島社
発行日;2010.12.24
初回作成日;R2.2.2 最終改定日;
引用先;メタエンジニアリング



このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
 
 この本は、区立図書館の放出本の中から、偶然見つけた。副題は「そうまでして君は、生みの親がはじめて明かすプロジェクト秘話」で、プロジェクトの発想から、帰還後の成果評価まで、プロマネならではの逸話も含めて、記されている。川口教授には、20年位前に淵野辺の宇宙研でお会いしたように思うが、その穏やかな口調は変わりない。ここでは、この著作に向けた心の中だけに注目をしてみる。
 
「はじめに」は、この言葉で結んでいる。
 『やぶさ」のプロジェクトで目指したものは、もちろん技術実証もありますが、次代を担う人材を育成することです。宇宙や科学技術にはまだまだ夢があるんだと示すことで、若い方に希望を与えたい。子どもにもその親にも、宇宙開発や科学技術に少しでも関心をもってもらいたい。「はやぶさ」で刺激を受けた子どもたちが、たとえその後、宇宙を目指さなくても、どんなジャンルでもい これほどうれしいので、新しい知的な挑戦を志すようになってくれれば、一技術者として、これほどうれしいことはありません。本書がそのきっかけになれば幸いです。 2010年12月川口淳一郎』(pp.11)

 彼の頭の中に、このプロジェクト以前から終始あったことは、此のことではないだろうか。
 
『「二番ではダメなんですか?の裏側にある危険 」
「一番でなければダメですか?二番ではダメなんですか?」 事業仕分けのとき、こんな言葉が話題になりましたが、宇宙開発の現場からいわせていただくと、「二番じゃ話になりません。一番を狙わないと、永遠に一番にはなれません」というのが本心です。 そもそも、「二番を狙う」などという、器用な真似はできません。一番にNASAがあり、「その次でいい」と考えていたら、あっという間に他の国に追い抜かれてしまいます。それでいいのでしょうか。 投資に対する考え方がおかしいと思います。宇宙開発への投資を無駄と思うのは、目先の利益につながらないからでしょう。でもそれは、あまりに短絡的です。なんのために投資を行うのか。日本で暮らしている人が、この国に対する自身と誇りをもてるようにするためだと私は思います。豊かな国に生まれ、育ち、自分の子孫たちにもこの国を残したい。そんな誇りをもってもらうために投資しているはずです。「二番でいい」という国に誇りがもてますか?』(pp.217)

 「「二番でいい」という国に誇りがもてますか?」とは、言いえて妙と思う。「なんのために投資を行うのか」の「なぜ?」が、当時は抜けていたのだろう。

そして、アメリカの事情を例にとり、このように結んでいる。
 『そのことをもっともよく知っているのがNASAです。NASAのホームページを見ると「日本の『はやぶさ』は、小惑星への往復に成功した二番目の探査機である」となっています。一番は「アメリカの『スターダスト』である」と。
また、小惑星に最初に着陸したのは「アメリカの『ニアシューメーカー』である」で、「はやぶさ」は二番目になっています。
確かに 、スターダストが彗星を往復したのは事実ですが、やったのは彗星の近くを通過しながら宇宙の麟を集めることで、 着陸はしていません。しかも、飛行は弾道でした。 ニアシューメーカーは、着陸させたのではなく 、「燃料がなくなって小惑星に落とした」が正しい。「はやぶさ」とはやっていることの意味がぜんぜん違いますが、向こうのホームページでは必ず二番目の扱い。小惑星に着陸して、その後、離陸し、さらに帰還したのは「はやぶさ」しかありま せんが、そのことにはまったくふれていません。とにかく、徹頭徹尾、「アメリカが一番である」としか書いていないのです。』(220)

多民族国家のアメリカの事情からは、「アメリカが一番である」という発言が、いかに威力のあるものかは、期せずしてトランプが証明してくれた。一方で、国家に対する愛国心が薄れてしまった日本では「日本が一番である」は、予算獲得にすら通用しない。この状況をただすのに、あと何十年かかるのだろうか。
「幸運を、本当の実力に変えなくてはならない。」とも、彼は言っています。