はっぱと風とおひさま

風にゆれてさらさらなる。おひさまの光にきらきらひかる。だからはっぱがすき。そんな私のよかった探し

勝者の理

2007-09-10 | かんがえたコト
9月2日の毎日新聞・日曜クラブの「すぽおつ万華鏡」須藤靖貴を読んだ。

相撲のことを書いているその中に

『勝ち力士が喜ばないのもいい。勝って嬉しいのは見れば分かる。敗者をたたえ、おもんばかり、喜びをぐっと抑えて手刀を切る。』という文があった。

この部分だけで思ったことを今日は書きたい。

この夏、弓道の高校生全国大会決勝をTVでみた。

弓道だけあって、凛々しい袴姿の男子生徒がもくもくと的へと弓を射る。
接戦であったがとうとう優勝校がきまった。

こういうとき私たちがよく目にするのは両手の拳を高く上げて喜ぶ姿だ。
肩を抱きあい涙を流したり、手をとりあい満面の笑みで仲間とみつめあう姿だ。

それは応援しながら見ていた周りの人たちにも「よかったね」と喜びと感動を与えてくれるシーンだと思う。

現に夏の甲子園では例年そんな姿がみられ、雑誌の表紙を飾ったりしている。

ところがこのとき優勝した生徒達は、きちんと作法どおり表情1つ変えずひきあげていったのだ。
その後インタビューか、表彰だかがあったような気がするがその際も浮かれた姿はみなかったと思う。

わたしはこの時少し違和感を覚えた。

全国1位なんだからもっと嬉しそうな顔や態度でもいいんじゃない?と思った。

自分の気持ちを素直に出して喜ぶ・・・というシーンに慣れていたからだ。

嬉しい時は嬉しい、悲しい時は悲しい、自分に素直になればいいんじゃないかと思った。

あれ、でもこれってなんだか違う。

・・・私はいつからこんな風に感じるようになってしまったんだろう・・・

作法・所作を重んじ、「敗者をたたえ、おもんばかり、喜びをぐっと抑える」というのは日本に伝わる大切なこころの持ちようではないだろうか。

いまでは古来からの日本の武芸に通じるスポーツでしか見ることが出来ない、美しい姿だ。

なのに弓道部の高校生のその姿に違和感を感じてしまった。

勝負は勝つ者あれば、負ける者が必ずある。

負けたとき、相手が喜んでいるのを見て嫌な思いをするだろうか?
悔しい思いはするだろうが、スポーツにおいてはそれは実力だ。
運も誰に味方するかは誰にも分からない。
喜んでいる相手の姿よりも、自分のもたらした結果にがっかりするだろう。
勝ったほうに哀れんで欲しくないと思うかもしれない。

そういう意味では勝者が大喜びすることになんの問題もないと思う。

しかし、勝者側が静かに勝利を胸に抑えるのはなにも相手や作法のためだけではないと思う。

心をしずめ、勝って尚おごることなく、先を見つめる。
それこそが勝者の勝者たるゆえんである。

その姿に潔いかっこよさを感じる。

さっき、日本古来のスポーツでしかそういう姿をみないといったが、メジャーのイチローや松井にはそういうところがあるようなきがする。

そしてそういう人達が外国で活躍していることがすごくうれしい。







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