関ケ原には戦国ロードと呼ばれる道があり、町内を迂回するバイパスで普段は大型車が多く走っております。
今回は小早川秀秋です。
道の7割くらいは楽ですが最後の3割がきついです。
他にでっかい幟が立っているのは徳川家康と石田三成だけです。
石田三成の陣、徳川家康の陣と烽火も合戦状態すべてが見渡せる松尾山で戦況を眺めていた小早川秀秋
293mの松尾山は低山の割に見通しが良く三等三角点になっています。 関ケ原古戦場記念館より
長浜で生まれ秀吉の養子となり豊臣家の継承者の一人とみられたが秀頼が生まれたことにより小早川家の養子になり備前国の主になる。
東軍勝利の立役者となったが、後に東軍の武将たちからも「裏切り者」の烙印を押され21歳の若さで亡くなる。9歳のころから酒を
飲み12歳のころにはアル中になっていたとの記述がある。
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