ボン(宮内 淳)の髪型が、ほぼセンター分けに落ち着いて来ました。
後のオーストラリア・ロケを除けばとっくりセーターも着なくなり、ジャケットのボタンを1つしか留めない「ヤクザ・ルック」も定着し、ほぼ後期ボンのビジュアルが完成しつつあります。
低めの発声を意識し、ロッキー(木之元 亮)加入後は一人称が「ぼく」から「おれ」に変わり、クールな一面も見せるようになって、殿下(小野寺 昭)と並ぶイケメン刑事として番組の女性人気を支えて行くことになります。
ただ、ボンと殿下には決定的な違いがあります。それはズバリ、ユーモアのセンス。要するにボンは面白くて、殿下は面白くないw だからボンは私みたいな男のガキンチョにも好かれたワケです。
特にロッキーという天然キャラの後輩が加入してから、ボンがツッコミ役となって遺憾なくユーモアセンスを発揮する事になる。私がボン=宮内淳さんの大ファンになった理由は、間違いなくそこにあると思います。
笑いの要素を軽視する風潮がいまだに絶えない世の中だけど、ボンがいた4年間が視聴率的に『太陽にほえろ!』の絶頂期だったのは、常にユーモアがあったからだと私は思ってます。
それまでユーモア要素を担ってたゴリさん(竜 雷太)もベテランになってバカがやれなくなり、ボンがいなくなった途端に番組のトーンが重苦しくなっちゃった。
内容のマンネリ化や強力な裏番組の登場も確かに痛手だったけど、ボン殉職後に訪れる視聴率急降下の最大の原因は、ユーモアの欠如にあったんじゃないでしょうか?
マジメ一辺倒の殿下が番組を去り、軽妙キャラのドック(神田正輝)が登場してから人気を回復したという事実も、ユーモアがいかに大切な要素であるかを物語ってます。
ボンのいた時代が番組の絶頂期だったのは、決して偶然じゃないんですよね。
宮内さんはデビュー当時から笑いを取れてたし、もっと作品に恵まれてたら俳優人生も違ったものになったでしょうけど、ご本人がそこに執着されてなかった様なので仕方ないですね。
知人男性に(一応)俳優が居ますが、以前聞いた話によれば、本の内容から様々な情景や心情をイメージして演じるんだそうです。
小野寺昭さんの話によると、「太陽にほえろ!」は細かい指導は少なくて割と自由にやらせてもらったとか。メンバーの表現力で成り立っていたドラマと言えるでしょう。
宮内さんはとても繊細な人だと思います。子ども時代は幸せじゃなかったと言ってましたが、苦労した人は感性が違うというか、努力ではどうにもならない感性を持っているタイプかと思いました。俳優をしてる知人も苦労人で、ラガー刑事を通り越して力士並みの体型のせいか、本業はダメでも音楽指導等の副業で食いつないでるわけですが、歌はうまくて生徒のいいところを見つけていい指導をしてくれるので、そこは彼のいいところです。
もちろん4年間の中でボンがどうあるべきかを模索してきた面もあると思いますが、宮内さんの感性が発揮できた結果かもしれません。
また「太陽にほえろ!」はドリフのコントを思わせる場面も数多くありましたし、ユーモアあふれる役は知性と感性がものをいう世界だと思います。
頑張りすぎてつらくなったかもしれませんが、俳優業から足を洗ったのはもったいない気もします。
いずれにしても宮内さんは皆に愛されて幸せですね。
それを踏まえた上で、ロッキーの先輩になってからのクールな格好良さに男女ともシビれたんだと思います。それが全て計算だったとしたら、宮内さん凄い!
ユーモアのセンスは男女間でも通用することで、
ボン刑事は最初は失敗ばかりで頼りない感じに見えても、女性から好かれる要素はたくさんあったと思います。昭和の時代にありえないくらいの(当時は手足が短くて頭身が今と基準が異なる)手足が長くてカッコイイ宮内さんが新人刑事として配属されて、ドジってばかりでハラハラドキドキさせられたものです。でも等身が理想でも中身にスキがなかったらやはりモテませんよね。
そういう危なっかしいところが女性の心をつかんだだろうと思います。
以外にも山さんが当時自分の周囲では人気でした。中高生の女子としては、大人の渋い男性にあこがれるのも当然と言えば当然ですが。
長さんに関してもコロンボ刑事と重ねる人もいましたし、山さんに関しても「特捜最前線」や「非情のライセンス」の影響が強くてその延長かもしれませんが。スコッチ刑事にも通用するかもしれません。
昭和のドラマはいろいろと奥深いものがある気がします。