2014年の冬シーズン、フジテレビ系列の火曜夜9時枠で全11話が放映された、フジテレビ&共同テレビの制作によるミステリードラマ。
大倉崇裕さんの短篇推理小説集『福家警部補シリーズ』の映像化で、本作に先がけ2009年にはNHKでも永作博美主演により『福家警部補の挨拶/オッカムの剃刀』が単発ドラマとして制作・放映されてます。
警視庁捜査一課強行犯第13係の主任で、寝食を忘れて捜査に没頭するマニア気質の主人公=福家警部補に連ドラ初主演の檀れい、その上司で彼女とは犬猿の仲の係長=石松警部に稲垣吾郎、福家にこき使われる鑑識係巡査に柄本時生、といったレギュラーキャスト陣。
そこに反町隆史、富田靖子、片平なぎさ、古谷一行、室井 滋、岩城滉一、八千草 薫etc…といった豪華ゲストたちが絡んでいきます。
『刑事コロンボ』の大ヒットにより広く知られるようになった「倒叙法」による本格ミステリーってことで、『古畑任三郎』『実験刑事トトリ』に次ぐ人気シリーズになるかと期待されたのですが、残念なクオリティーにより主演の檀れいさんがバッシングを受ける羽目になっちゃいました。
不人気ゆえか再放送もレンタルビデオも見当たらず、あらためて観直すことが出来ないので、本放映当時に書いた記事を以下にコピペしておきます。ほとんど憶えてないんだけど、よっぽど残念な出来だったみたいですw
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☆『福家警部補の挨拶』#01(2014年の記事)
倒叙法、つまり最初に犯人が犯行に及ぶ姿を視聴者にハッキリ見せてから、刑事や探偵が鋭い洞察力で逮捕に辿り着くまでの過程を描く『刑事コロンボ』方式の作劇。
これは上手くやれば普通の謎解き物よりずっと面白くなるんだけど、ハードルが高いせいかチャレンジする創り手が少ない、みたいな事を以前『実験刑事トトリ』の記事に書きました。
『福家警部補の挨拶』の初回を観て、如何に『トトリ』や『古畑任三郎』が良く出来ていたか、そして如何に『コロンボ』が偉大な作品であったかがよく分かりました。
あらためて書くまでも無いと思いますが、この作劇は犯人が誰なのか最初から判ってるだけに、犯行のトリックや動機、それを解き明かしていく刑事のキャラクターを如何に面白く見せるか?が重要になって来ます。
檀れいさんならすこぶるチャーミングな変人刑事像を見せてくれそうな気がしたんだけど、観たらあまりに実直すぎる役作りと演技で、とんだ肩透かしを食らいました。
古畑やトトリは、コロンボの飄々とした人懐っこさをアレンジして魅力的なキャラクターを創り上げたワケですが、福家警部補はあえて二番煎じ三番煎じを避けたのかも知れません。
初回の犯人はセレブな人気脚本家(反町隆史)って事で、コロンボ方式を踏襲するなら主人公の刑事は大抵、その作家の大ファンだったりするんですよね。
だから最初は純粋に尊敬しつつフレンドリーに犯人と接する事になり、ちょっとした友情も芽生えたりする。犯人を追い詰めながら、刑事自身も内心は傷ついたりするからドラマになるんだと思います。
その辺り、古畑やトトリは臆面もなく真似してました。それがあるからこそコロンボは面白いって事を、創り手が充分に理解してたからだと思います。
対して福家警部補の作者さんは、それに気づいてないのかあえて模倣を避けたのか、刑事の個人的な心情をまるで描かないもんだから、主人公がただの捜査マシーンにしか見えない。人間的な魅力がちっとも伝わって来ないんです。
さらに、稲垣吾郎くんが演じる福家の上司ですよ。福家の存在を極端に疎んじ、その推理をことごとく否定する割に、彼女が犯人を特定したらすかさず逮捕に踏み切って、100%信頼してるじゃないすかw 言動が矛盾しててキャラが見えて来ません。
「刑事さん」とか「係長」って呼ばれるといちいち「警部です」って訂正するくだりは面白かったけど、稲垣くんが演じればこそですよね。基本的には、わざわざ稲垣くんが演じるほどのキャラクターじゃないと感じました。
福家にこき使われる鑑識係の柄本時生くんも、なんだか薄っぺらいキャラクターで観てて痛々しかったです。
せっかくの倒叙法も、これじゃあ台無しだと思います。キャラクターの魅力や掛け合いの面白さが無かったら、単に最初からネタがバレてる底抜けミステリーに過ぎないですから。
俳優さんの役作りも工夫が見えなくて残念だけど、これはそもそも原作からして凡庸なんだろうと思います。倒叙法ミステリーの典型的な失敗例じゃないでしょうか?
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