屯田物語

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”ふらここ”の生い立ちを知る

2007年05月09日 | 日常
   ふらここの会釈こぼるるや高みより    炭 太祇

太祇は江戸時代(1709~1771)の俳人
”ふらここ”とは”ぶらんこ”のことで、この時代からぶらんこがあったとはね、
滑り台やシーソーはなかったのかなあ。
時代劇の映画でもみたことがなかった。

ネットで調べたところ、次のような記述・・
「平安時代の嵯峨天皇の時代に鞦韆(ゆさはり)といわれるブランコが
「経国集」という書物の中に登場してくることから平安時代初期には使用されていた」




8日午前10時過ぎの大通公園を、歯医者の予約まで時間があって、
テレビ塔の真下から東の方向へ歩いてきた。
トウキビ屋台も出ていたが、まだ冷凍ものなので味のほうはどうかなあ。

"ベンチでごろ寝"している人もいて、これものどかな風景というべきか。

治療のあと、紀伊国屋書店で「名俳句1000」を購入・・
”ふらここ”はずいぶん前からあったことをこの句から知ったというわけである。