屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

嵐山の東屋に刻んだ記憶

2011年06月12日 | 日常


北邦野草園という名称ではあるが、
わたしたちはいつも嵐山と呼んでいた。
アイヌがあって、小中学校の遠足のコースにもなっていた。



嵐山の頂上に東屋があった。
五十年ほどまえ、中学のクラス仲間とバトミントンをやったりしていた。
遊びにあきると、東屋のどこかにそれぞれなにかしらの言葉を刻みこんだりした。
その当時は武者小路実篤に夢中になっていた年頃だったので、
”友情”と彫っていたのかもしれない。
そこは取り壊されているから怒られることはないだろうが、今更ながら懐かしい思い出の場所である。
今年はそのクラス会がある。卒業して55年目の夏である。