続仏教セミナー(2)
「如風於空中 一切無障礙(にょうふうおくうちゅう いっさいむしょうげ)」
法華経の如来神力品にある偈頌(げじゅ)(詩歌的フレーズ)です.
このセミナーの478番で取り上げた題材です.これを
書いた私も、風にはなり切れなくて、人との衝突もありました.
しかし風になりきっていたときを思い出してみますと、いつも
心は爽やかでした.
「いつも」ということが大切なのですね.「いつも」という
ことばはお経文では「毎自作是念」(まいじさぜねん)と書かれて
おります.どこに書かれている?同じく法華経の如来寿量品
(にょらいじゅりょうほん)に説かれております.
「毎自」
仏様は「いつも」お思いなのです.
仏様は一体何をいつもお思いなのですか?それは
そのあとに「以何令衆生徳入無上道速成就仏身」
(いがらしゅじょう とくにゅう むじょうどう
そく じょうじゅ ぶっしん)
おまじないのような言葉ですが、意味は「何を以てか
衆生を無上道(この上なき覚り)に入らしめ、すみやかに
仏の身をならせしめるかを(いつも念じておられる)
のでございます.
だけどまだ覚りを得ていないわたしちがこれを発言するとしたら
ちょっとあつかましいかもしれません.でも無上道ではないけれど、
「いつもすがすがしい心をもって」生きていくことを推奨すること
に使わせてもらうことは可能だと思います.
(すがすがしいニャン)
ところで、「おまじない」と申しましたのは、これは枕経で
お唱えする経文で、死者の霊が仏の教導で迷わず善地へと進め
ますようにという願いをかけているのです.

さて、「風」ではなく「空中」のほうを取り上げると、
「空中」に浮かび上がることになります.「雲中供養仏」
のように.
お寺に行けば壁画で雲の上の神仏が楽器を演奏
している絵図がありますよね.あれが「雲中供養仏」
です.彼らは空中で遊んでいます.
彼らは遊んでいても人と意見も身をも衝突させることはあ
りません.無障礙ですから.私たちの日常もこうありたい
ものですね.
還俗僧侶ゴタ坊春の助