古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

彼岸花いっぱいの土手になーれ。

2011年09月30日 04時00分19秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
              
 桾原からオリエンタルゴルフ場を抜けて新庄の交差点に出ると、いま田んぼの畦は彼岸花の花盛りです。酒米・山田錦の稲刈りは10月10日頃からですからそれまでは写真のような秋の景色が見られるでしょう。東条町は彼岸花を畦に植えようと地域で呼びかけがあったのか、こんな景色がとどろき荘周辺のあちこちで見られます。
 ぼくは彼岸花が好きではありませんでした。子どもの頃「毒のある花だから摘んではいけない」といわれていました。事実毒の花です。でもネットで調べてみると、彼岸花に興味を持っている人は多いようで、彼岸花の名所・全国一覧表が写真付きでアップされています。
 大豆畑トラストをやっていたときは、20メートルほどの畦に球根を植えました。彼岸花は年々増えてつながり、いまでは彼岸花の花の帯ができているはずです。それに味をしめて去年の冬はうちの畑の畦に植えていきました。ネットで調べてみると、この球根は三年のうち二年は花が咲くけれどあとの一年は「お休み」して球根を増やすのに栄養をまわすそうです。球根というより鱗根ですが。
 そうか。去年このあたりは花が連なっていたはずのに花が出ないのは「お休み」なのかと納得しました。どんなときに使ったか忘れましたが、子どものときおばあちゃんが彼岸花の根を掘り出しておろし金ですり、うどん粉なんかと混ぜて貼り薬にしていたこともありました。昔は飢饉のときこの根をさらして毒を抜き、そのでんぷんを食べて飢えをしのいだそうです。オーストリアではこの根からアルツハイマー病の特効薬を開発したとも書いてあります。
 このところ畑の草やトマトの茎などいろいろと片付けるものがあり、毎日のように夕方燃やしました。畝間の草削りもして畑はすっきりしましたが、竹の燃料がなくなりました。裏山で切った竹はいっぱい積み上げてあるので、薪サイズに切って燃料づくりをしなければなりません。することがあとからあとから出てきます。仕事に追われるのでなく、たのしんで体を動かしたいと思います。
 
 
コメント
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