古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

今年の冬はリコリスを補植します。

2011年09月28日 04時12分42秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から

 サツマイモはツルボケだったと書きましたが、写真のように長い芋が出てきました。50センチの曲尺(『カネジャク』と読みます)と比べたら長さがわかるでしょうか。比較のために置いた上の大きなサツマイモも顔色なしの長さです。これが横なりに三株分の長さにできていました。(縦にできていたら掘れなかったでしょう)
まさにツルボケ芋の代表選手です。
 それを折らないように掘ったのは娘たちです。毎日曜日に孫たちとやってきて、サツマイモをひと畝ずつ掘ってくれます。ぼくなら、三本爪の備中(ビッチュウ)鍬で掘りますから、こんな芋は一鍬で折ってしまっていたでしょう。時間を掛けて丁寧に掘ってくれました。なおツルボケは肥料過多もあるでしょうが、『ツル上げ』をしっかりしなかったのがよくなかったようです。毎年よくできるので今年はツル上げをサボっていました。
 畑の北側は上の田んぼですが、東・南・西は土手になっています。土手の肩に去年の冬500球のリコリス/彼岸花(球根)を植えたことは何度か書きました。そのリコリスが咲きはじめ、きのう畦を歩いて数えたら100本を越えました。(球根はくっついて増えますので二本咲いたのもありますが一本に数えました)いまでは毎朝、リコリスを数えながら土手を歩くのがたのしみです。土手の肩は草を刈ったので地面からチラッと出た芽を見つけるとうれしくなります。
 彼岸花は強い花で「半年放置した球根を30センチ以上埋めても芽を出す」と本に書いてありました。だから500球全部がいずれ芽を出すだろうと彼らを信じているのですが、いまは歯抜け状態なので冬に補植することにします。買えばひとつ50円するので、以前植えていまは球根が増えているむーな村にもらいに行こうと思います。
 彼岸花は毒があってモグラがいやがり、土手に穴をあけたりするのを防ぐのに役立ちます。だから昔はあちこちの田んぼの畦に群生していました。大正や明治の時代だけでなく江戸時代に植えた彼岸花も咲いていたでしょう。秋の田んぼの風情でした。しかしトラクターや田植え機やコンバインが入るよう耕土改善が行われ、土手も新しく築かれて彼岸花を見なくなりました。ちらほら生えている土手がありますが、昔の球根が頑張って地中から伸びてきたかもしれません。
 東条町の田んぼには彼岸花の群生が見られる畦がところどころあります。とどろき荘の裏など。県道20号線ぞいでは金屋のローソンの駐車場から見えるエノキの下。そのうち我が家の畑も群生の仲間入りをしたいと思っていますが我が今生で見られるでしょうかねー。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする