日本が戦争に負けた八月十五日前後には敗戦にまつわる昔の映画がテレビ放映され、人々は空襲の被害を受けた可哀想な子どもたちを見させられることになる。識者と称する人たちは「戦争体験を風化させてはならない」といい、『語り部』たちは「悲惨な戦争から目をそらさないで!」という。
そのときよく取り上げられる映画に『火垂の墓』がある。子どもが空襲で親を失い、逃げまどい、栄養失調で死ぬ悲惨なストーリーが、アニメで映画化され、上映され、何度もテレビ放映された。アニメ版ではもの足りなかったのか、実写版の『火垂の墓』も西脇あたりの田舎でロケをしてつくられたそうだ。この実写版は「見たくない」と思って見ていないけれど。
ぼくは戦争には反対だし、満蒙開拓青少年義勇軍として満州に渡った少年たちの体験を「聞き取り」したこともある。昭和10年代には全国から85000人の少年たちが「志願」によって集められ、満州に渡り、25000人の少年は日本に生還できなかった。しかしいま日本で暮らす人々に、その悲惨な地獄絵を「目をそらさないでください」と押し付けることにはためらいがある。
ある若い知人は『火垂の墓』(アニメ)を「きらいや!」という。悲しいから見たくない。そんなやさしいこころ根に土足で踏み込んで「戦争を風化させるな! 目をそむけるな!」というのはどうか。深夜の電話のような荒っぽさはいまの時代にはもう合わない。
『火垂の墓』の野坂昭如の文はすごい。ふつうの文章をゴテゴテ連ねたのではとても書けない場面を、一つの文でこう書いた。小説のはじめのほう、夜の省線(いまのJR)三宮駅の描写につづく、清太の死ぬ場面である。
もはや飢はなく、渇きもない、重たげに首を胸におとしこみ、「わあ、きたない」「死んどんのやろか」「アメリカ軍がもうすぐ来るいうのに恥やで、駅にこんなんおったら」耳だけが生きていて、さまざまな物音を聞き分け、そのふいに静まる時が夜、構内を歩く下駄のひびきと、頭上を過ぎる列車の騒音、急に駆け出す靴音、「お母ちゃーん」幼児の声、すぐ近くでぼそぼそしゃべる男の声、駅員の乱暴にバケツをほうり出した音、「今、何日なんやろ」何日なんや、どれくらいたってんやろ、気づくと眼の前にコンクリートの床があって、だが自分がすわっている時のままの姿でくの字なりによこ倒しになったと気づかず、床のかすかなほこりの、清太の弱い呼吸につれてふるえるのをひたとみつめつつ、何日なんやろな、何日やろかとそれのみ考えつつ、清太は死んだ。
ぼくは神戸に住んでいたときは大倉山の中央図書館で本を借りた。ある日、一冊の本を見つけた。野坂昭如の小説『火垂の墓』『アメリカヒジキ』の二編が本になっている。借りて帰った。表紙は皮装で天は金、手ざわりのいい、張りのある紙で、印字はくっきりしている。本の風格というか品というか、凛とした存在感をもつ本だ。定価を見ると、文庫本なら数百円で買える本が、25000円となっている。それだけお金をかけた本かどうかぼくにはわからない。しかし金儲けのためにこの作品を本にしたのではないことはわかる。
何歳まで生き、どんなしあわせな人生をおくることになろうと、生涯大事にしたい思いを、野坂は書いてくれた。そのことへの感謝が伝わってくる。「これでもか。これでもか」と悲惨さを押しつける映像はすたれて、この小説は未来に伝えられていく。
数ヶ月考えてきたことです。まとまらないまま書きました。戦争体験の伝承については異論のある方がおられるでしょう。お考えをきかせてください。
そのときよく取り上げられる映画に『火垂の墓』がある。子どもが空襲で親を失い、逃げまどい、栄養失調で死ぬ悲惨なストーリーが、アニメで映画化され、上映され、何度もテレビ放映された。アニメ版ではもの足りなかったのか、実写版の『火垂の墓』も西脇あたりの田舎でロケをしてつくられたそうだ。この実写版は「見たくない」と思って見ていないけれど。
ぼくは戦争には反対だし、満蒙開拓青少年義勇軍として満州に渡った少年たちの体験を「聞き取り」したこともある。昭和10年代には全国から85000人の少年たちが「志願」によって集められ、満州に渡り、25000人の少年は日本に生還できなかった。しかしいま日本で暮らす人々に、その悲惨な地獄絵を「目をそらさないでください」と押し付けることにはためらいがある。
ある若い知人は『火垂の墓』(アニメ)を「きらいや!」という。悲しいから見たくない。そんなやさしいこころ根に土足で踏み込んで「戦争を風化させるな! 目をそむけるな!」というのはどうか。深夜の電話のような荒っぽさはいまの時代にはもう合わない。
『火垂の墓』の野坂昭如の文はすごい。ふつうの文章をゴテゴテ連ねたのではとても書けない場面を、一つの文でこう書いた。小説のはじめのほう、夜の省線(いまのJR)三宮駅の描写につづく、清太の死ぬ場面である。
もはや飢はなく、渇きもない、重たげに首を胸におとしこみ、「わあ、きたない」「死んどんのやろか」「アメリカ軍がもうすぐ来るいうのに恥やで、駅にこんなんおったら」耳だけが生きていて、さまざまな物音を聞き分け、そのふいに静まる時が夜、構内を歩く下駄のひびきと、頭上を過ぎる列車の騒音、急に駆け出す靴音、「お母ちゃーん」幼児の声、すぐ近くでぼそぼそしゃべる男の声、駅員の乱暴にバケツをほうり出した音、「今、何日なんやろ」何日なんや、どれくらいたってんやろ、気づくと眼の前にコンクリートの床があって、だが自分がすわっている時のままの姿でくの字なりによこ倒しになったと気づかず、床のかすかなほこりの、清太の弱い呼吸につれてふるえるのをひたとみつめつつ、何日なんやろな、何日やろかとそれのみ考えつつ、清太は死んだ。
ぼくは神戸に住んでいたときは大倉山の中央図書館で本を借りた。ある日、一冊の本を見つけた。野坂昭如の小説『火垂の墓』『アメリカヒジキ』の二編が本になっている。借りて帰った。表紙は皮装で天は金、手ざわりのいい、張りのある紙で、印字はくっきりしている。本の風格というか品というか、凛とした存在感をもつ本だ。定価を見ると、文庫本なら数百円で買える本が、25000円となっている。それだけお金をかけた本かどうかぼくにはわからない。しかし金儲けのためにこの作品を本にしたのではないことはわかる。
何歳まで生き、どんなしあわせな人生をおくることになろうと、生涯大事にしたい思いを、野坂は書いてくれた。そのことへの感謝が伝わってくる。「これでもか。これでもか」と悲惨さを押しつける映像はすたれて、この小説は未来に伝えられていく。
数ヶ月考えてきたことです。まとまらないまま書きました。戦争体験の伝承については異論のある方がおられるでしょう。お考えをきかせてください。