古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

ベートーヴェン『運命』の音楽会に行きました。

2012年04月14日 05時12分22秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 道子さんが退院した日、桜の花見をしながら帰ろうと東条川に寄り道しました。そのとき撮ったコスミックホール前の道路です。先日ボタンティアの方が花を植えておられました。加東市にも小野市にもきれいな道路があり、三木市もそんな町づくりをしようとボランティア養成に努めています。道子さんもうちの村のゴミステーションやバス停に花を植えてささやかな奉仕をしています。
 ブログで道子さんの入院を書いたらいろんな方からメールやコメントをいただき、ありがとうございます。無理をせず、私たちの能力に見合った田舎暮らしをしていきますので、これからもよろしくお願いします。おしゃべりはいい養生になります。裏山に植えた木々も花を咲かせてお待ちしています。お訪ねください。
 さてきのうは西宮の芸文センター・音楽会で行ってきました。車で西宮北トンネルを抜けると六甲山系の南側は桜がまさに満開です。鷲林寺前の信号で左に曲がり、北山ダム、甲呪寺、甲山森林公園を通り、旧『播半』横に下りてくる道は花盛り。新甲陽から広田神社にかけても桜のトンネル。神戸屋で昼食をとって広田神社に寄ると『コバノミツバツツジ』がほぼ満開。シートを敷いてツツジの花見客もおられました。
 音楽会は、PACオーケストラ・佐渡裕指揮でベートーヴェンの交響曲第5番『運命』とドボルザークのチェロ協奏曲などでした。『運命』はあまりに有名な曲で、カラヤンやクライバーのレコードで何度も聴く機会があったので比較するのは酷です。若いオーケストラが一生懸命演奏していました。
 この『運命』は第二次大戦のとき、イギリスからドイツ向け放送のテーマ曲になっていました。イギリスはどうして敵国の作曲家の音楽を使ったか。この交響曲が人類の共有財産ともいうべき名曲であり、ベートーヴェンの『第五番』だったからです。「5」はローマ数字では「V」。勝利(VICTORY)の頭文字です。そして当時のイギリス首相・ウインストン・チャーチルのマークになっていたあの「Vサイン」は、味方の兵士や国民を鼓舞しました。ハイネの詩集を焼いたり(ユダヤ人だから)ショパンの曲の演奏を禁じた(ポーランド人だから)ヒットラーとの違い。些細なことではありません。
 横文字・カタカナ英語を禁じ、「鬼畜米英」とわめいた日本人の偏狭さを、独善体質を、私たちはいくらか克服したでしょうか。
 さあ、きょうからぼちぼち畑仕事をします。
コメント
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