古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

インド旅行/モンゴル旅行/を思い出して。

2022年12月28日 02時04分20秒 | 古希からの田舎暮らし
 1998年のことですから25年もまえの体験ですが、思い出して書きます。6月にモンゴル旅行をしました。「モンゴルの人は写真をよろこぶからポラロイド・カメラを持っていくといい」とだれかにきいたので、「L版」の写真が写る大きなカメラを買って、80枚くらい撮れるように準備しました。現地の人にあげる写真です。
 朝の散歩に出て、出会った人の写真を撮ってその場であげたり、寺院のまえで露店を出している人を写して写真をあげたり、通訳の娘さんを撮って写真をあげたり、みなさんのうれしそうな顔がよかったです。喜んでもらえ、うれしかったです。三人の写真を撮ると一人ずつあげますから三枚いります。写真は全部つかって、足りないくらいでした。
 25年もまえのことですから、いまは事情がちがうでしょうけど。
 モンゴル旅行の4か月前・2月にインド旅行をしました。まえに書いたことがありますが、タージマハール寺院でのことです。入場して、向こうに大きな寺院が見えたところで、カメラを構えました。すると4,5歳くらいの女の子と弟みたいな子がカメラの前にパッと立ちました。
「おー、かわいいな。写真をとってあげよう」と写しました。「住所をきいてあとで送ろうか」と思いましたが、その子たちは手を出します。「モデルになったのだ。お金をくれ」という手です。二人で分けるように渡したら、もう一人が手を出してついてきます。「分けたりしない。自分がもらったものは自分のもの」。写真なんかどうでもいい。お金だ。
 あとで考えると「あの子たちはどこからか寺院にもぐり込んで、観光客がカメラを構えそうになると前に立ってたんだ」。どんなふうに成長するのでしょう。そんなインド社会を感じたあとだったので、モンゴルの人の感じが気持ちよかったです。
 そして思い出すのは、脱北して韓国に来た北朝鮮の人のことです。まえに書きましたが「命がけで脱北を助けても、いろいろ裏をかんぐって、感謝してもらえないことがある」という人情。北朝鮮の専制政治下で育った人の心情。読んだ本では「専制国家の国民の人格破壊」という言葉がつかってありました。

 自分にはどうしようもないことです。人はそれぞれ、したたかに生きてくしかない。
 図書館で『ロヒンギャ危機』(中公新書・2021年刊)という本を借りました。読もうと思います。
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