私たちは無意識のうちに明日はいつも通り来るものだと漠然と思っているのかも知れませんね。
明日はこないかも知れない。
目の前の人と今度出会う機会はもう巡ってこないかも知れない。
この場所を訪れることはもう二度とないかも知れない。
この感情を味わうことはこれが最後かも知れない。
晴れの日でも雨の日でも、今生きている一日はかけがえのない一日であり、一瞬一瞬に私たちは生きている。
良いことがあっても、悪いことがあっても、日々是好日。
好日とは待つものではなく、見つけ出すこと。
英語に「セレンディピティ(serendipity)」という言葉があります。
脳科学者の茂木健一郎さんが書いてみえるのですが、セレンディピティとは「偶然の中で幸運に出合う能力」
人生には不運に思えることや望まぬ結果になることもある。
しかし、そんな不運に見えることの中にも実は幸運が潜んでいることがある。
何かを探していた時に、それとはまったく別の価値ある物を発見する能力、それが「セレンディピティ」
例えば、ケガをして入院を余儀なくされたスポーツ選手が、その病院で一生を共にする伴侶と出会うとかね(笑)
中国の故事にも「塞翁が馬」というのがありますね。もっとも塞翁の場合は幸運だけじゃなくて不運も見つけてしまうんですが(苦笑)
思いがけない病気に倒れ、入院を余儀なくされると、いろいろよくないことを考えたり、自分の不運を呪ったり、役にも立たない後悔をしてしまいがちです。
脳梗塞で自分の脳の一部が死んでしまったというのは自分でいうのも何ですが、けっこうショックなはず。
でも、自分の身体の一部が自分の思い通りにならならいというのは、なかなかできる体験じゃなく、不謹慎かも知れませんが正直「面白い」と思ってしまいました。
昨日まで、自分自身だと思っていた身体というものが、実は自分=身体じゃなかった。
もう一方の見方をすれば、自分のすべてだと思っていた意識というのは、自分を構成する一部でしかなかった!
いや、現実の日常生活に戻れば、その大変さに辟易するだろうとは容易に予想できるのですが、自分の手が自分の思い通りに動かないってスゴい! 何なの? 不思議!? と思ってしまったんです。
もちろん、命があったからこんなことも書けるというのは重々承知しています。
重度の障害がどれほど本人にも、家族にも負担をかけるか。病院ではそうした場面を否応無く見てしまうことも多いです。
でも、そんな中でも、見つけようと思えばいろいろ面白いことが発見できます。
なにせ時間だけはたっぷりありますからね。
晴れの日でも雨の日でも、生きていれば日々是好日。
今日も年下の療法士さんに手取り足取り支えられながら、リハビリを頑張ってきました。
食事も美味しく、お腹もよく空きます(苦笑)
カロリーも制限されているので、これで退院までにほどよく痩せないかな?
明日はこないかも知れない。
目の前の人と今度出会う機会はもう巡ってこないかも知れない。
この場所を訪れることはもう二度とないかも知れない。
この感情を味わうことはこれが最後かも知れない。
晴れの日でも雨の日でも、今生きている一日はかけがえのない一日であり、一瞬一瞬に私たちは生きている。
良いことがあっても、悪いことがあっても、日々是好日。
好日とは待つものではなく、見つけ出すこと。
英語に「セレンディピティ(serendipity)」という言葉があります。
脳科学者の茂木健一郎さんが書いてみえるのですが、セレンディピティとは「偶然の中で幸運に出合う能力」
人生には不運に思えることや望まぬ結果になることもある。
しかし、そんな不運に見えることの中にも実は幸運が潜んでいることがある。
何かを探していた時に、それとはまったく別の価値ある物を発見する能力、それが「セレンディピティ」
例えば、ケガをして入院を余儀なくされたスポーツ選手が、その病院で一生を共にする伴侶と出会うとかね(笑)
中国の故事にも「塞翁が馬」というのがありますね。もっとも塞翁の場合は幸運だけじゃなくて不運も見つけてしまうんですが(苦笑)
思いがけない病気に倒れ、入院を余儀なくされると、いろいろよくないことを考えたり、自分の不運を呪ったり、役にも立たない後悔をしてしまいがちです。
脳梗塞で自分の脳の一部が死んでしまったというのは自分でいうのも何ですが、けっこうショックなはず。
でも、自分の身体の一部が自分の思い通りにならならいというのは、なかなかできる体験じゃなく、不謹慎かも知れませんが正直「面白い」と思ってしまいました。
昨日まで、自分自身だと思っていた身体というものが、実は自分=身体じゃなかった。
もう一方の見方をすれば、自分のすべてだと思っていた意識というのは、自分を構成する一部でしかなかった!
いや、現実の日常生活に戻れば、その大変さに辟易するだろうとは容易に予想できるのですが、自分の手が自分の思い通りに動かないってスゴい! 何なの? 不思議!? と思ってしまったんです。
もちろん、命があったからこんなことも書けるというのは重々承知しています。
重度の障害がどれほど本人にも、家族にも負担をかけるか。病院ではそうした場面を否応無く見てしまうことも多いです。
でも、そんな中でも、見つけようと思えばいろいろ面白いことが発見できます。
なにせ時間だけはたっぷりありますからね。
晴れの日でも雨の日でも、生きていれば日々是好日。
今日も年下の療法士さんに手取り足取り支えられながら、リハビリを頑張ってきました。
食事も美味しく、お腹もよく空きます(苦笑)
カロリーも制限されているので、これで退院までにほどよく痩せないかな?