前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

ゴルトベルク変奏曲(箏版):みやざきえみこ

2021-09-27 22:23:19 | ゴルトベルク変奏曲
バッハの『ゴルトベルク変奏曲』の箏編曲版を聴きました。

編曲と演奏は、みやざきえみこさんです。



和楽器の「こと」と聞いた時、私は「琴」の字を思い浮かべるのですが
このCDでの演奏は「箏」です。

専門的な説明はできませんが、大雑把に言うと
音程を調節するための「柱(じ)」があるのが「箏」で、ないのが「琴」でだそうです。
初めて知りました。

演奏は十三絃箏で行われていますが
第15変奏、第21変奏のみ低音が出る十七弦の箏が使われています。


編曲もみやざきえみこさんご自身が行っています。
箏独奏バージョンに着手したのが2002年。17年近くの歳月を費やしたのこと。

ピアノ曲を「楽譜に忠実に」箏独奏に編曲するのは(楽器の特性上)物理的に無理なのですが、
それでも、箏を二面または三面使わず(二人~三人の合奏にはせず)独奏にしたのは
「鍵盤奏者と同じ恍惚感を味わいた」かったからだそうです。


頻繁に出てくるオクターブの読み替えや止む無く"省略"せざるを得なかった声部もありますが
「ゴルトベルク編曲版」好きとしては、やはり拍手を贈りたい。
しかし、どうやって弾いているのだろう。


ゴルトベルク変奏曲の楽譜が出版されたのが1741年。
それからおよそ280年後にアジアの島国で箏によって演奏されるとは
バッハ大先生も想像だにしていなかったでしょう。

因みにWikipediaによると・・・
楽器としての箏および箏曲の基礎を大成させたのが
江戸時代初期に活躍した八橋検校(やつはし・けんぎょう、1614年 - 1685年)とのこと。
その没年(1685年)は奇しくもバッハ大先生の生年でもあります。

そして箏曲の基本形の一つである「段もの」と呼ばれるいわゆる変奏曲に類似した形式は
八橋検校が何らかの形で西洋音楽、特にチェンバロの変奏曲に接触したことによって生まれたとの説も。
(諸説あるようですが)


そう考えると、ゴルトベルク変奏曲が箏で演奏(編曲)されるのは"必然"なのかも。
不思議な"縁"を感じますね。
でも、これでまた一つ、ゴルトベルク変奏曲の可能性が広がりました。


これは私の予想(というか願望?)なのですが、この演奏に触発されて
近い将来、必ずや「三味線版」が出るくるのでは、と思っています。
流石に三味線一棹では無理かもしれませんが。
(ギター独奏版はありますが奏法が違いますからね)

それか、三味線、箏、尺八の「和楽器三重奏版」とかに期待です。
是非、聴いてみたいですね。
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グールド/ゴールドベルク変奏曲の再創造(ZENPH RE-PERFORMANCE)

2019-05-01 20:54:46 | ゴルトベルク変奏曲
『グレン・グールド/バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1955年)の再創造』
(ZENPH RE-PERFORMANCE)
というCDを聴きました。





『ゴルトベルク変奏曲』との出会いは、グールドの1981年新録音盤です。
それもLP盤で発売されてすぐ、というものではなく、
かなり後にCDになってから聴きました。

その後、遡って55年録音のデビュー盤も聴きましたが、
自分にとっての愛聴盤、いつも手に取るのは新録音盤でした。
前にも書きましたが、一番多く聴いているクラシックCDだと思います。


グールドは、音楽の録音・再生技術の進化に伴い、
「聴き手が自分の解釈や好みで音楽を編集し音楽を作り上げる」
という新しい「聴取法」を考えていたようです。


ところで、バッハ大先生の鍵盤曲
「インヴェンションとシンフォニア」の演奏順(録音順)は、
 ①インヴェンション(15曲)を演奏し、次にシンフォニア(15曲)を演奏
 ②インヴェンションの1番を演奏し、次にシンフォニアの1番を演奏
のいずれかが普通ですが、
グールドの録音は、②でありながら、1番、2番、5番、14番・・・
と続いていきます。

曲の性格?や調性など、考え抜いた曲順のようです。


そんなグールドの「インヴェンションとシンフォニア」を
かつてウォークマンに録音する際、あえて、1番、2番、3番・・・と
本来の曲順に直して取込んで、聴いていました。

それを知ったグールド・マニアの友人に、
「グールドが喜びそうなことをやってるなあ」と言われて、
先ほどのグールドの"思想"を知りました。



今回のCD、「ZENPH RE-PERFORMANCE」とは、すごく大雑把にいうと、
録音を解析して、音楽的属性(音程、音符の長さ、打鍵や離鍵の速度)を抽出し、
デジタル処理をしてコンピュータ制御のピアノに演奏させ、
それを改めて録音したもの、のようです。

つまり、1955年にモノラル録音されたグールドの演奏を、
最新のピアノで「生演奏」し、最新技術でステレオ録音したものです。
(バイノーラル録音版も併録されています)

このCDが発売されたのは2007年のようなので、
恥ずかしながら10年以上もの間、こんな凄いことが起きているのを
知らずにいました。


この録音(「再演」)に対しては、賛否両論あるようです。
それも、音楽的な側面だけでなく、倫理的!な側面に対しても。


私としては、断然「支持派・肯定派」です。

そもそも一聴して「誰の演奏か」がわかるほどの耳もないですし、
持っている再生装置も、大層なもではありませんし。
何曲か、従来のモノラル盤と比較しながら聴きましたが、
「クリアなステレオサウンドでグールドを聴いている」感は十分あります。

なにより、グールド自身が喜びそうじゃないですか。
(グールド研究で有名な音楽評論家、宮澤淳一氏が
 詳しく考察されているので興味がある方はご参照を)




テクノロジーが驚異的に進化し続ける昨今、
クラシック音楽について、以前より空想(というより夢想?)
していたことがありました。

それは、
 「ある演奏家の過去の録音全てをデータ化してAIに取込み、
  その人の演奏の特徴やクセを学習させて、
  生前に録音を残していなかった作品を演奏させる」
というものです。

この空想で是非聴きたいと思っている曲があります。それは

①グールドが演奏する「フランク:前奏曲、コラールとフーガ」
②ボレットが演奏する「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」
③グールド、ボレットが演奏する「ムソルグスキー:展覧会の絵」

の3曲です。


ホルヘ・ボレットは最も好きなピアニストなのですが、
正規に録音されたものはあまり多くなく、
また、作曲家・作品にもかなり偏りがあります。

グールドも、残された録音は多いですが、
やはり作品選びには偏りが強い方ではないでしょうか。


前出のグールド・マニアの友人と、ボレットとグールドが
共に録音している曲を聴き比べよう、と探してみたのですが、
確かメンデルスゾーンの無言歌の1曲だけだったと記憶しています。

その当時、リリースされていた正規CDを比較しただけで、
データ上(PC等)で照合したわけではなく、
またその後、新たに見つかった録音もありますので、
絶対というわけではありませんが、先ほどの①~③はないはずです。


ボレットが演奏するフランクの「前奏曲、コラールとフーガ」
自分にとっては、あらゆるクラシックCDの中の究極の1枚なのですが、
もしグールドが演奏していたら、それに匹敵していたかもしれません。

またボレットが「ゴルトベルク変奏曲」を録音していたら、
グールド盤と共に、愛聴盤になっていた可能性もあります。

そして二人の「展覧会の絵」、聴いてみたくないですか?



「ZENPH RE-PERFORMANCE」は、自分にとっては、
そんな妄想の実現を予感させてくれるような"第一歩"でした。


※その後、「ZENPH RE-PERFORMANCE」シリーズは数枚しか出ていないので
 あまり受け入れられなかったのかもしれません。
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J.S.バッハ(ブゾーニ編曲) : ゴルトベルク変奏曲(塚谷水無子)

2018-07-28 17:36:35 | ゴルトベルク変奏曲
フェルッチョ・ブゾーニ編曲、バッハの『ゴルトベルク変奏曲』を聴きました。
演奏(ピアノ)は塚谷水無子さんです。





ブゾーニによるバッハ作品の編曲といえば「シャコンヌ」が有名です。
というより「シャコンヌ」位しかパッと思い浮かばない
という方が正確でしょうか。

恐らくコラール前奏曲などの小品は、いくつか耳にしているとは思いますが。


バッハの『ゴルトベルク変奏曲』は、ありきたりですが
グールドの演奏(新録音の方)で知りました。
もう30年位前でしょうか。

熱狂的なグールド・マニアという訳ではありませんが、大変好きな演奏で
クラシックCDの中では一番聴いている演奏かもしれません。


自分にとって、『ゴルトベルク変奏曲』に対して一つの転機が訪れたのは
ヴァイオリニスト、シトコヴェツキーによる
「ゴルトベルク変奏曲(弦楽三重奏版)」を聴いたことでした。

「グレン・グールドの思い出に」と添えられたこの編曲版は
確かグールドの没後何年かを記念したシンポジウムで
初披露されたと記憶しています。
グールドの新録音盤の解釈をかなり忠実に再現した演奏です。

「グールドのゴルトベルク変奏曲」の弦楽三重奏版、といった感じでしょうか。


でもこの演奏を聴いて、改めて『ゴルトベルク変奏曲』の素晴らしさを知り
またグールドの偉大さを再認識しました。





グールドの演奏がなければ、ここまで「ゴルトベルク変奏曲」が
メジャーな曲になっていなかったのでは、と思います。
この曲の、そしてバッハ作品の可能性を無限に広げたきっかけだと。


そして、シトコヴェツキー弦楽三重奏版は、図らずもグールド同様に
『ゴルトベルク変奏曲』の可能性を世に知らしめた名盤だと思っています。

その後も、シトコヴェツキーによる弦楽合奏版を始めとして
オルガン版、ギターデュオ版、金管五重奏版などなど
様々なアレンジによる「ゴルトベルク変奏曲」が存在しています。
どれも皆、「ゴルトベルク変奏曲の可能性」の表現です。
(好きでいろいろ買い集めています)



バッハの作品の多くは、没後長らく忘れ去られていたと言われています。
それらは演奏会で聴くものではなく、教会音楽あるいは練習曲だと
思われていたようです。

「バッハ復興」の一つは、メンデルスゾーンによる「マタイ受難曲」復活上演です。
1829年、バッハ没後、初めての上演でしたが、カットや楽器の改変などもありました。
ただそれは、その時代にあった「バッハ」を演奏することで、当時の人々に
バッハを理解してもらおうという意図だったようです。


そして、ブゾーニもまた、「バッハ復興」を目指した人でした。
それがバッハ作品のピアノ編曲であり、この『ゴルトベルク変奏曲』です。



私は長年クラシック音楽を聴いていますが、楽器も弾けず楽譜も読めません。
音楽理論を知っているわけでもないですし、自分の「耳」に自信があるわけでもありません。

このような編曲版を、オリジナルに対する冒涜、あるいは「ゲテモノ」と
嫌う人も多いかもしれません。


ただ、私は聴いていて涙が溢れてきました。

「なんと美しく愛に満ちた演奏(編曲)だろう」と。


編曲版を創って演奏する人たちは、おそらくその曲を誰よりも愛しているのでしょう。
この曲への、そしてバッハに対するブゾーニの愛と尊敬とが満ち溢れています。
(そして、塚谷水無子さんのバッハ、ブゾーニに対する愛と尊敬も)


「アリア・ダ・カーポ。ラルガメンテ(アリア)。
 ・・・ゴルトベルクとの別れを惜しむかのように拡大されたコーダ・・・」
(ブックレットより)

ダ・カーポ・アリアの最後。美しく切なく悲しげで・・・感動的です。
まさに別れを惜しむように、ゆっくりと、静かに繰り返される・・・


シトコヴェツキー版を初めて聴いた時と同じような感動を覚えました。

『ゴルトベルク変奏曲』まさに無限の可能性を秘めた曲です。


そしてこのCD、私にとっては繰り返し、繰り返し聴く「愛聴盤」になりそうです。



CDのブックレットには、曲の解説だけでなく、作曲家・演奏家ブゾーニについても
塚谷水無子さん自身によって詳しく書かれており、大変ためになります。

バッハのオルガン曲をピアノで再現するために最低音域を広げたピアノの開発を
ベーゼンドルファーに依頼したのが、他ならぬブゾーニだそうです。

この演奏でもベーゼンドルファーの「Model 225」という92鍵のピアノが使われています。



(追記 2018/08/13)

CDの帯にはこのように書かれています。

「ブゾーニはバッハの作品にいったいどんな魔法をかけたのだろう?」

まさに私はブゾーニと塚谷さんの魔法にかかってしまったみたいです。
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