前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

フランク 『大オルガンのための6つの小品』より「終曲」

2011-10-08 21:19:08 | セザール君の作品
教会のオルガニストも務め、
即興演奏の腕前も「バッハの再来」と賞されたセザール・フランクは
オルガン作品をいくつも残しています。

一般的に演奏機会が多いのは、最晩年の『3つのコラール』や
『大オルガンのための6つの小品』の中の数曲でしょうか。

『大オルガンのための6つの小品』は小品とは名ばかりで
第2曲「交響的大作品」は30分近くありますが・・・。

第3曲「前奏曲、フーガと変奏曲」は色々な方のピアノ編曲版もあり、
CDでも結構聴けます。


今回、ミヒャエル・フローンマイヤーというピアニストが演奏する
ピアノ編曲版オルガン曲集のCDを買いました。
珍しく『大オルガンのための6つの小品』の第6曲「終曲」のピアノ版が
含まれていましたので。

この「終曲(Final)」という曲、
時間も11~2分ですし、覚えやすい勇壮な旋律が全編に出てきますので、
比較的地味になりやすいオルガンコンサートでも映えると思うのですが
あまり演奏される機会はないみたいです。




中間部はこの主題の音型から派生した、ゆっくりとした旋律になります。
この辺のコントラストが実に「うまいなあ」と感じます。




一番の聴きどころは曲の最後。
様々な音色・和音が洪水のように溢れ出る中、その"背後"で冒頭旋律が微かに流れるところです。


我が家の小さなコンポでは、パイプオルガンの音は少々聴き取りづらいのですが、
今回のピアノ版だと旋律の動きがよくわかり、改めて「いい曲だなあ」と実感しました。

オリジナル(オルガン版)でもピアノ版でも、絶対"コンサート映え"しますね。
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題名のない音楽会 『調性ってなに? フランク交響曲ニ短調』

2011-09-19 08:13:46 | セザール君の作品
日曜日に放送された、題名のない音楽会『調性ってなに? 名曲百選12』では
フランクの交響曲ニ短調が取り上げられていました。

作曲家の吉松隆さんをゲストに、音楽と調性について語られました。


よく指摘されるのが、調性と色彩の関係です。

音を聴いて色を感じたり、文字や数字に色を感じたりと、
一つの知覚・感覚への刺激が他の知覚・感覚を呼び起こすことを「共感覚」といいます。

調性と色彩の関係もそれに近いものがありますが、
特に「共感覚」の持ち主でなくとも、長い西洋音楽の歴史の中で、
例えば「ハ調=赤(または白)」「ヘ調=緑(自然の色)」などのイメージができあがっています。

これらはベートーヴェンの9つの交響曲の影響も強いのでは、
というのは、司会の佐渡裕さんの意見です。
(第6番ヘ長調「田園」からヘ長調=緑や茶などの自然色という印象)

音と色の関係に最も拘ったのは、スクリャービンでしょう。
(彼は文字通り「共感覚」の持ち主だったとされています)
交響曲第5番では音と色の融合を目指し、鍵盤によって色彩を操作する「色彩ピアノ」を開発しました。


また、作曲家が調性を選ぶ際には、ほかにも楽器の特性、
その曲で中心となる楽器が一番よく響く調というのも関係するようです。
ホルンが重要な役割をする曲が変ホ長調、というように。
(概ね弦楽器は♯系、管楽器は♭系が得意とのこと)


さらに、ハ調(C)、二調(D)・・・といった文字からの連想もあるそうです。

 「Deus(神)」=ニ長調(D dur)
 「death(死)、demon(悪魔)」=ニ短調(d moll)

といった連想から、ニ短調→ニ長調が「苦悩から歓喜へ」といった物語性も生まれました。
(いわゆる「運命」スタイル)

フランクの交響曲ニ短調も「ニ短調→ニ長調」の形式です。


フランクの交響曲に使われている主題は、
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番終楽章冒頭にでてくる2つの対話主題、

 「Muß es sein?」(そうでなければならないのか?)
 「Es muss sein!」(そうでなければならない!)

に関係していると指摘されています。

フランクでは、
第1楽章(ニ短調)の主題が「Muß es sein?」(そうでなければならないのか?)に
第3楽章(ニ長調)の主題が「Es muss sein!」(そうでなければならない!)に
相当します。
(第3楽章の主題は第1楽章第2主題からの派生です)


フランクは敬虔なクリスチャンでした。
そんな神に帰依する気持ちが、「神との対話」がこの交響曲に表れているように感じます。

レクイエムなどの宗教曲や標題音楽ではない純粋な器楽曲(絶対音楽)で
これほど「宗教性(神)」を感じさせる作品はほかにないのでは、と思います。
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フランク 『前奏曲、コラールとフーガ』(ホルヘ・ボレット)

2010-08-13 09:16:55 | セザール君の作品
一曲、一枚のCDとの出会いが人生を大きく変える・・・

有名ミュージシャンのエピソードなどではたまに聞きますが、
普通はあまりないことかもしれません。


でも、ある一曲と出会ったことで、
今まであまり気にも留めていなかった作曲家を好きになり、
全く知らなかったピアニストの素晴らしさを知る・・・

そこから、音楽の聴き方、楽しみ方が大きく広がったとすれば、
それはやはり、人生を大きく変えた出会いといえるでしょう。


もう、今から20年前になります。
キューバ出身のピアニスト、ホルヘ・ボレットが演奏する
セザール・フランクの『前奏曲、コラールとフーガ』こそ
私にとっての「人生を変えた一曲」です。


このジャケットもカッコいい!


ゆっくりとしたテンポで神秘的な音色を奏でる前奏曲、
分散和音風の煌くような旋律が印象的なコラール、
そしてフーガにおける圧巻の構成力。

最初の一音から最後の和音まで、一分の隙も無い完璧な演奏。


ボレット以外にも様々な人の演奏を聴きましたが、
彼の演奏を凌駕するどころか、肉薄する演奏すらない、
というのが、私の正直な感想です。


あらゆるクラシック音楽の中で、
ボレットが演奏する『前奏曲、コラールとフーガ』こそ
私にとって究極の一曲です。
(好きだからこそ滅多に聴かない曲でもありますが)


もし、この曲をまだ聴いたことがない人がいたら、
あるいはボレットの演奏で聴いたことがなければ、
是非、聴いてみてください。

人生が変わるかもしれません・・・・


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

広瀬悦子さんに関するエントリーの際にも書きましたが、
リスト編曲の「タンホイザー序曲」も大変好きな演奏です。


この曲は、バッハ大先生の「平均律」やベートーヴェンのソナタ、
ショパンの練習曲のような作品とは明らかに違います。
リストが「ピアニストの技巧を見せつけるために編んだ曲」
といっても過言ではないでしょう。

そのような曲を、カーネギー・ホールで披露するボレット。
加えて「リスト直系の弟子」であることも影響してか、
「前時代的なヴィルトゥオーゾ」と評されることがあります。


そんなボレットがキャリアの最晩年に録音した中の白眉が、
セザール・フランクの『前奏曲、コラールとフーガ』です。
彼のことを「時代遅れ」と揶揄していた人達は、
この演奏の前にひれ伏すことになるでしょう。

この曲を、これほど完璧に、深く美しい音色で弾いた人は、
これまでいたでしょうか?(これからもいないでしょう)


そして、この曲を聴いたあとで、もう一度、
あの「タンホイザー序曲」に耳を傾けてみます。
高度な技巧と深い音楽性、そして煌く美音を兼ね備えた
真の「巨匠」だからこその演奏であることを
改めて感じずにはいられません。

その上で、
「聴衆を熱狂させることこそがエンターテインメントだ」
「"芸術"こそエンターテインメントであるべきだ」
とでもいうような想いが伝わってきます。


彼の演奏に出会えたことを、「奇跡」として感謝しています。


コメント (2)
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フランク 『ピアノ五重奏曲ヘ短調』

2010-03-17 20:56:23 | セザール君の作品
弦楽四重奏曲に続いて、フランクのピアノ五重奏曲ヘ短調を
聴きました。

この作品は晩年の傑作群の中では最初期の1879年に
作られました。


フランクの作品は総じて"渋い"ものが多いですが、
それでも交響曲などは終楽章は長調に転じて明るく締めくくられます。

ところがこのピアノ五重奏曲は違います。
言葉は悪いですが徹底的に"救いがない"というか、
最後まで暗いまま終わります。
初めて聴いたときは、かなり驚きました。


特に終楽章(第3楽章)は、何かに追い駆けられているような、
危機が迫りくるような恐怖感を覚えます。

"思索的"とか"叙情的"とか言われることもあるようですが、
私には"恐怖"、"危機感"という風にしか感じられません。
(もちろん「名曲」であることには違いないですが)


私のお気に入りの演奏、
ヤナーチェク四重奏団&エヴァ・ベルナートヴァ(P)が
特にそういう雰囲気だからかもしれません。
(録音の古さも影響しているかも・・・)




ところで、ピアノ五重奏曲というジャンルは、
モーツァルトもベートーヴェンも残していません。
ピアノ三重奏、ピアノ四重奏は書いていますのでちょっと不思議です。
「弦楽四重奏団+ピアノ」という編成が"奇異"に映ったのでしょうか?


その代わり、ロマン派に傑作が多いですね。
シューベルト、シューマン、ブラームス、ドヴォルザーク、
フォーレ、フランク、ショスタコーヴィチ・・・。
(シューベルトの作品は「弦楽四重奏団+ピアノ」という編成ではなく、
第2ヴァイオリンの代わりにコントラバスが入っています)

しかも、フォーレを除いてみな1曲づつしか書いていません。
(と思います。初期の習作は除きます)


ベートーヴェン以降、弦楽四重奏曲は"内省的"というか
少し"堅い"ジャンルになりましたが、
ピアノ五重奏曲は親しみやすい?というか解り易い感じがします。



ピアノは"万能楽器"ですが、唯一「持続音を出せない」という
欠点があります(言うまでもなく弦楽器は持続音が大得意)。
ですから、一つの旋律を最初はピアノで、再現部では弦楽器で、
なんてやってくれますと結構うれしいです。
(非常に"ベタ"な手法かもしれませんが・・・)

こういう"ツボ"はドヴォルザークが外さないんですよね。
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フランク 『弦楽四重奏曲ニ長調』

2010-03-15 21:46:56 | セザール君の作品
セザール・フランクの弦楽四重奏曲ニ長調を聴きました。


フランクはベルギー生まれですが、主にフランスで活動していたので
フランスの作曲家として見られています。

あまり目立たない作曲家ですが、大好きな作曲家の一人です。
学生のとき(1990年)に没後100年を迎えましたが、
全く話題に上っていませんでしたので、個人的に特集?しました。
(確かチャイコフスキー生誕150年とかとかぶっていたような)


現在、フランクの作品で演奏機会が比較的多い傑作は
皆、晩年になってから作られました。
それも、ピアノ五重奏曲、ヴァイオリン・ソナタ、交響曲と
それぞれ一曲ずつ、狙いすましたかのように・・・。

弦楽四重奏曲も一曲だけで、亡くなる年に作られています。
初演はフランクにしては珍しく好評だったようです。



ある作曲家の「最高傑作は何か?」という問いはかなり難しい問題です。
技巧的に優れている、時代を先取りしている、
美しい旋律がある、深い精神性、あるいは人気がある・・・、
どこに注目するかで違ってきます。

フランクの曲で最も好きな曲は、実は別の曲ですが、
「最高傑作」となると、この弦楽四重奏曲ではないかと思います。

晩年の作品の特徴となっている「循環形式」が
これでもかというくらい発揮されており、正に"集大成"といった感じです。


ただ、その分"長大"で"難解"といった感は否めません。
CDも何種類も持っていますが、どれも一長一短で、
個人的には満足のいくものはありません。

美しい旋律の表現は十分でも、
「循環形式」や対位法といった技巧的な部分の表現が明確でないと、
この曲の真価は明らかにならないと思っています。
(特に四つの楽器が均等に目立たないと・・・)



第4楽章は、その後で展開する主題を挟んで、
第3楽章、第2楽章、第1楽章の主題が順に回想されます。
まさにベートーヴェンの「第九」の終楽章を模したようです。
(一方、交響曲の動機は、
 やはりベートーヴェンの最後の弦楽四重奏曲第16番の
 動機との類似を指摘されています。)


コーダで第3楽章の旋律が浪々と謳われる部分を聴くたびに、
「どうだ!」というフランクのこの曲に対する自信の表れを感じます。
コメント (2)
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