朝比奈隆が1996年に初めてシカゴ交響楽団を指揮した、
ブルックナーの交響曲第5番のDVDを買いました。
NHKで放送された当時も録画して観ていましたが、改めて観たく(聴きたく)なったので。
例えば、ベートーヴェンをあるいはブラームスを得意とする指揮者、
チャイコフスキーやショスタコーヴィチを好んで取り上げる指揮者もいると思いますが、
彼らを「ブラームス指揮者」「ショスタコーヴィチ指揮者」などと呼ぶのを
あまり聞いた記憶はありません。
唯一、ブルックナーにだけ「ブルックナー指揮者」なるものが存在します。
(「マーラー指揮者」って言い方もするかな?)
その人達の指揮と、他の指揮者のブルックナーと一体何が違うのか?
その本質がなんなのかはよくわかりません。
テンポが遅め?(マタチッチは結構早いですね)
スケールが大きい?(音量が大きいのと同じこと?)
故・岩城宏之さんの著書「フィルハーモニーの風景」の中に書かれてある、
ベームが指揮したミュンヘンのオケについてウィーン・フィルのメンバーが
語っていることはとても印象的です。
オーケストラ自体は非常に優れている。だがわれわれと違うところは・・・
ミュンヘンのオペラオーケストラは、歳をとったベームの間延びしたテンポに、
忠実につけて弾いていただけだった。
おれたちフィルハーモニカーは、ベームの遅いテンポ通りに演奏するが、
ジイさんの心の中の本当の意図を読み取って音楽を盛り込み、
充実させて救っている。
ミュンヘンのようでは、ベームはただの老人指揮者であるに過ぎない・・・
朝比奈御大がシカゴ響でブルックナーを振った時、すでに88歳!
その遅いテンポの中、シカゴ響の手練達は、朝比奈の意図を汲み取ったのか。
ただ言えるのは、終楽章のコーダ、壮大なクライマックスを聴くたびに、
胸が、そして目頭が熱くなるということです。
聴衆の喝采は、高齢の指揮者が長大な交響曲を指揮したことに対する、
単なる"労い"の拍手ではないでしょう
朝比奈隆の指揮を観る機会は何度かありました。
その中でも特に印象に残っているのが、
1994年6月4日、NHK交響楽団によるベートーヴェンの交響曲第5番です。
確かN響の定期公演に登場するのは7、8年振りとかだったと思います。
素晴らしい演奏に接した際の"感動"にも"質の違い"がありますが、
感動の大きさ、という点でいえば、今もってこの演奏会を凌ぐものには出会っていません。
まさに体が震えるような。
その時、強く感じたのは「これは本物だ」という想いです。
日本から遠く離れた国で、その文化、歴史の中で、200年近く前に作られた音楽作品。
極東の島国・日本で、日本人指揮者、日本人ばかりのオーケストラで演奏されたベートーヴェン。
だが、これは世界中のどこに出しても恥ずかしくない「本物のベートーヴェンだ!」
そう確信しました。
(理由や傍証を求められても説明はできません)
朝比奈隆の指揮全てが"名演"というわけではありませんし、
全ての演奏を手放しで賞賛するつもりもありません。
でもこの、シカゴ響とのブルックナーは、紛れもないブルックナーです。
だからそれが、「ブルックナー指揮者」と呼ばれる証なのでしょう。
ブルックナーの交響曲第5番のDVDを買いました。
NHKで放送された当時も録画して観ていましたが、改めて観たく(聴きたく)なったので。
例えば、ベートーヴェンをあるいはブラームスを得意とする指揮者、
チャイコフスキーやショスタコーヴィチを好んで取り上げる指揮者もいると思いますが、
彼らを「ブラームス指揮者」「ショスタコーヴィチ指揮者」などと呼ぶのを
あまり聞いた記憶はありません。
唯一、ブルックナーにだけ「ブルックナー指揮者」なるものが存在します。
(「マーラー指揮者」って言い方もするかな?)
その人達の指揮と、他の指揮者のブルックナーと一体何が違うのか?
その本質がなんなのかはよくわかりません。
テンポが遅め?(マタチッチは結構早いですね)
スケールが大きい?(音量が大きいのと同じこと?)
故・岩城宏之さんの著書「フィルハーモニーの風景」の中に書かれてある、
ベームが指揮したミュンヘンのオケについてウィーン・フィルのメンバーが
語っていることはとても印象的です。
オーケストラ自体は非常に優れている。だがわれわれと違うところは・・・
ミュンヘンのオペラオーケストラは、歳をとったベームの間延びしたテンポに、
忠実につけて弾いていただけだった。
おれたちフィルハーモニカーは、ベームの遅いテンポ通りに演奏するが、
ジイさんの心の中の本当の意図を読み取って音楽を盛り込み、
充実させて救っている。
ミュンヘンのようでは、ベームはただの老人指揮者であるに過ぎない・・・
朝比奈御大がシカゴ響でブルックナーを振った時、すでに88歳!
その遅いテンポの中、シカゴ響の手練達は、朝比奈の意図を汲み取ったのか。
ただ言えるのは、終楽章のコーダ、壮大なクライマックスを聴くたびに、
胸が、そして目頭が熱くなるということです。
聴衆の喝采は、高齢の指揮者が長大な交響曲を指揮したことに対する、
単なる"労い"の拍手ではないでしょう
朝比奈隆の指揮を観る機会は何度かありました。
その中でも特に印象に残っているのが、
1994年6月4日、NHK交響楽団によるベートーヴェンの交響曲第5番です。
確かN響の定期公演に登場するのは7、8年振りとかだったと思います。
素晴らしい演奏に接した際の"感動"にも"質の違い"がありますが、
感動の大きさ、という点でいえば、今もってこの演奏会を凌ぐものには出会っていません。
まさに体が震えるような。
その時、強く感じたのは「これは本物だ」という想いです。
日本から遠く離れた国で、その文化、歴史の中で、200年近く前に作られた音楽作品。
極東の島国・日本で、日本人指揮者、日本人ばかりのオーケストラで演奏されたベートーヴェン。
だが、これは世界中のどこに出しても恥ずかしくない「本物のベートーヴェンだ!」
そう確信しました。
(理由や傍証を求められても説明はできません)
朝比奈隆の指揮全てが"名演"というわけではありませんし、
全ての演奏を手放しで賞賛するつもりもありません。
でもこの、シカゴ響とのブルックナーは、紛れもないブルックナーです。
だからそれが、「ブルックナー指揮者」と呼ばれる証なのでしょう。