太平洋戦争の末期、高尾山周辺へに掘られた浅川地下壕、
「い」 「ろ」 「は」と、三ヶ所の壕が有ったようですが、今回は一番大きい「い」を見学中です。
東京大学が設置したという地震計を見学して、
少し先で立ち止まる。
中田さんは元高校教師、人前で話されるのは得意そうに見えた。
差し込まれていた鉄棒を協力者に引き抜かせる。
細く深い穴を掘り、
中に発破を仕掛け、岩石を崩す、と言う作業を繰り返しトンネルを掘っていたという。
先へ進むと、二股に分かれるが、矢印の示す右側へ歩いた。
一段と天井が低くなるので注意を呼びかける中田氏
今までとは異なる地面に、慎重に進む参加者
石灰分が染み出し、鍾乳石が出来ていた。
岩石の下と言えども水分が多く、カビの発生があちこちで見られた。
前方の天井が高くなり、鉄骨むき出しの場所へ到着
直進方向は、カビや放置された資材などちょっと怖い雰囲気
集合! の声がかかり、鉄骨の下部分へ集まる。
この鉄骨、あちこちでサビが発生していた。
大丈夫なのだろうかという不安を懐きつつ、案内を聞く。
テレビの中継が入った時、
レポーターさんが不自然さに気づき、調査した処、
崩壊した岩石の下からダイナマイトが発見されたという。
戦争に負けそうな時期、ダイナマイトを隠すため落盤をさせたのではないかとの推測。
さもありなんと一同頷いた。
しかし、あちこちに小さなトンネルを掘り進めるより、もう少し大きな壕を掘り、湿気対策、空調対策をしたほうが、
効率的ではなかったのだろうか?
と素人は、考えつつ次へ
出口の明かりげ見えてきた。
当時の日本の実力はこんな物ではなかった筈だが、末期の有り様ということと推察。
出口が見えてきたが、足元にも最大限の注意が必要
出られそう!?!
空気が美味しい!?!
民家の脇から入る戦争の史跡、
出来れば、
もう少し手入れをされて、長く、多くの人に見学を出来るようリニューアルを期待したい。
最後の解説を聞きながら、
感じる戦後生まれの私でした。
空いたトランクに見つけた小冊子、
浅川地下壕を買い求め、
帰途につきました。
この裏山に、地下壕が眠っていたとは、・・・・・・。
来る時見られなかった案内板をパチリ、
パチリ
ここからはまっすぐに駅方向へ
向かいました。
以前このあたりから金比羅山から四ツ辻まで歩いたが、案内柱が見当たらない。
駅間近でちょっと寄り道、
百日紅の赤が見事でした。
日も暮れ始めた時間帯でしたが、
まだまだ花は見頃!!
と言う気持ちで、拝見
青空と草木を愛でられる時間の素晴らしさを体感しながら、
電車に乗りました。
余談ですが、
私に戦争体験を一言も語らずに逝った父
昨今のビルマなどの戦争体験番組を見ると、とても話せない体験をしてきたんだろうなと、
想像出来る気がする私。
亡き母が話してくれた、
「お父ちゃん 昨夜も「ぎゃー、やめろ!!」みたいな怒鳴り声で寝言を言っていて眠れなかった」
国民の一生を縛り付けた戦争、もう結構です!!
今朝も、合掌して、焼香した。
8月22日 月曜日は、17、970歩 歩きました。
神田上水の下見に不備があり、撮影に行き、新しいマンホールカードを蒐集、
帰宅は午後4時前でしたが、この頃は疲れやすいので早めが肝心!!
熟睡しました。
8月23日 火曜日 9時11分 室内の気温は、30.4℃ 湿度は 69%
外気温は、35.3℃ 湿度が59%
あれーっ、さっきの外気温は24.3℃だったのに、・・・・。
これからエアコンのお世話になります。