ひでんかの”雅でない”日々

庶民の"ひでんか"の日々はちっとも雅じゃないけれど、いろんな人達と楽しい毎日を過ごしています

最期の対面

2014-05-11 18:37:00 | ひでんかの「日々の徒然」

父方の伯母が亡くなりました。
父のただひとり残った姉で、ご主人様が亡くなってからは、一人で暮らしていました。
お通夜は無く、告別式も家族葬で行うと言うことですが、式の日は父の透析と重なるため、お願いして今日、会わせていただくことになりました。

ホームへ父を迎えに行き、車イスを積んで相模原まで。
かなり時間がかかることを予想していたのですが、新しい道ができて、連絡していた到着予定時間の30分前には斎場に着きました。
暫く待って、従姉夫妻が到着。
(私よりも4歳(くらい?)年上で、子供の頃、祖母に連れられて遊びに行き、着替人形で遊んで貰ったことを覚えて居ます。)
従姉と会うのは、伯父のお葬式以来なので13年ぶり?
ただ、今年のお正月に、年賀状を交換した後で、昨年の父の様子を話して、
「気候が良くなったら、姉弟を会わせましょうね」
と約束し、連休が終わったところで連絡しようとしていた矢先でしたので、最初にメールを貰った時はとても驚きました。
(毎年、年賀状をやりとりしても、直接連絡することなど無かったのに、
まるで、この日のためだったようです)

安置室で対面した伯母は、顔色も良く(お化粧もありますが)肌にはハリもあり年齢(84でした)よりも若く見えます。
本当に眠っているようで、枕元で、話していると
「人が寝ているのに、うるさいわねぇ」
と起き上がってきそうでした。
従姉の話によると、確かに前日まで元気でいたそうです。
新聞受けに2回分の新聞がたまっていたことから、ご近所の方が従姉に連絡して、見に行った時には亡くなっていたと。
テレビがつけたままになっていて、照明が点いていなかったことから、検死の結果、前日の午後テレビを見ている間に亡くなったのではないかとのことです。
お布団に横になって、肘を立てて枕にしたまま、従姉も最初は
「テレビを点けたまま寝ないでよ」
と声をかけたそうですので、伯母自身、気がつかないうちに亡くなったのでは無いでしょうか。
不謹慎な言い方ですが、とても羨ましい最期では無いかと。
(母娘関係ではいろいろあったという従姉も
「ぽっくり逝きたいとずっと言っていたので、くやしいけど、羨ましい」と)

伯母が亡くなったと伝えた時、最初は「会わなくてもいい」と会いに行くのを渋っていた父。
(「外出したら帰りに好きなモノが食べられるよ~」
と釣ったりもして?)

伯母に会った後で
「6人姉弟で、とうとう一人になっちまったか」
とポツリ呟く父。
30分ほどでしたが、弟として姉の最期に対面できてよかったです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする