トラックと少しばかりの支援物資を持って、石巻へ行ってきました。
震災の後に現地へボランティアに行った同窓生から出た
「トラック提供」のお願い。
そこから紆余曲折(山あり谷あり?)いろいろありましたが、なんとか、石巻で活動するボランティア団体へ、トラックを提供できることになりました。
その車を現地に届けるにあたり、なぜだか「ミッション遂行メンバー」にご指名を受け、
「どうせ行くなら」と慌てて集めた「支援物資」とともに、同窓生2名と共に埼玉を出発しました。
高速は、福島県内に入ると、あきらかに路面状態が悪化します。
でも、名ドライバー(本日ハンドルを握るのは、植木屋さんのO君。さすがに、お仕事で運転している方は違います!)のおかげで、順調に東北道を進みました。
宮城県に入ったところで、給油と昼休憩で国見SAへ。
左)現地へ届けたトラック
(まわりは機動隊や自衛隊の車両が多かったです)
右)お昼は東北支援メニュー(?)の「白石うーめん」
更に、東北道を進みます。
車窓からは、ところどころ屋根にブルーシートが掛けられた家はありますが、大きな被害は確認できませんでした。
でも、仙台市の東部道路の分岐を過ぎたところで、突然、道路右側(海側)に広がったのは、田んぼのあぜに打ち上げらたままの自動車と、瓦礫(山にまではまだなっていません)が散乱する光景でした。
車窓の左側は、高層ビルが建ち並ぶ仙台の町が見え、右側は生々しい津波の傷跡がまだ残っています。
とても対照的な風景でした。
三陸道に入り、午後2時過ぎに石巻に着きました。
市街地に入ると、道路はヘドロが乾いた後の白っぽい色の変わり、ガラスが割れたままの店舗、壁には波の痕が残る建物が並んでいますが、営業している店舗も少なくありません。
道を行き交う町の人たちは、マスクをしている人も少なく、ごくごく普通に歩いています。
そして立ち寄った「日和山公園」(よく、テレビの中継や報道写真に写る場所です。石巻出身の友人から「石巻に行くのなら、ぜひとも見て来て欲しい」と言われた場所です。町が一望できます)
ここまでの間は、思ったよりも被害が少ない様子でしたので、ちょっと安堵の気持ちで進んできましたが、高台から見た海側の町の様子は、テレビで見たままの光景でした。
さすがに震災発生直後と比べると瓦礫の撤去も進んでいるようでしたけれども、かわりに土台の痕だけが残った広大な土地と、ところどころにぽつんと残る家。
(見たカンジでは普通の戸建て住宅なのですが、遠目には外観に破損は見えない家)
それなりの大きさの船が、家と家の間に転がったままになっていたり...。
なんとも言いようのない、今までに見たことが無い風景でした。
とはいえ、私は、ここから見た震災前の町の様子は知りません。
でも、それを知っている方の目には、本当に辛く悲しい風景なのだと思います。
公園脇の神社に復興を記念して、日和山をあとにしました。
そこから、ボランティア団体のベースキャンプがある石巻専修大学へ向かいます。
途中、信号機が動いていない交差点で交通整理をしていたのは、山梨県警の警察官。
道ですれ違う清掃車は大阪市、そういえば途中の高速で前を走っていたのは、熊本県警の車でした。
本当に全国から支援に駆けつけているのだと実感しました。
ベースキャンプで、トラックと支援物資を引き渡し、今回のミッション(?)は完了です。
ボランティアさんに駅まで車で送っていただきました。
帰りは、タイミング良く期間内だった「JR東日本パス」を利用します。
石巻駅も仙石線はまだ運行再開していませんでしたが、石巻線は動いていて、ちょうど学校帰りの高校生達と一緒に、私たちも帰路につきました。
車内の高校生達は、こちらの高校生達と変わらず、たわいない話で盛り上がっています。
滞在時間も短く、避難所に行ったわけでも無いので、決して「現状」を知ることにはならないと思うのですけれど、町の人たちの様子や、青々とした稲が広がる広大な田んぼを見て、「日常」に戻りつつある石巻の姿に、ちょっぴり安心しました。
駅舎の”サイボーグ002”。(石巻は石ノ森正太郎さん縁の地デス)
このポーズ最高!!
ガンバレ石巻!!!