年末年始に奈良県大和高田市の奥さんの実家に帰った時に築山古墳群を再度探索しました。前回のときに写真を撮り忘れたところや今回新たに訪ねたところを紹介します。
まずは近鉄大阪線の築山駅の前にあるインキ山古墳(前方後円墳)です。
前回は日が暮れてからだったので明るいときに再訪しました。
右手が墳丘で左が駅です。おそらく鉄道や駅の建設のときに墳丘が削られて道路が敷設されたのだと思います。
道路を進んで振り返ったところ。右手が駅で、墳丘上には保育園があります。この駅は築山という駅ですが、もともとこのあたりの地名が築山といいます。まさに古墳を表している地名だと思います。
次にかん山古墳。築山古墳群最大の築山古墳の隣(北側)にある築山児童公園の中にあります。公園の入口はまさに墳丘を登る感じです。
帆立貝型前方後円墳の前方部から。
右手に見える階段を登ると墳丘の頂上です。頂上からの眺めはなかなか素晴らしい。
南側の眼の前に築山古墳。
西を臨めば二上山から葛城・金剛連山。
北側には大谷自然公園。
林のあたりが公園で、公園内にふたつの円墳(大谷1号墳と2号墳)があります。見えないですが、このずっと先に馬見丘陵が広がっています。
東には近畿地方最大の円墳であるコンピラ山古墳と、ずっとむこうの左手に三輪山が見えます。
次は大谷自然公園内にある大谷1号墳。
2号墳。
円墳の肩越しに築山古墳が見えます。
築山古墳の北東すぐのところにある古屋敷古墳。
Wikipediaによると石室が露出しているとなっているのですが、私有地で中に入れないので確認ができませんでした。
築山古墳から南へ進んでJR和歌山線を越えたあたりの池田遺跡に隣接する領家山古墳。
道端にあった町内会の地図には「領家山古墳」と書かれていたのですが、どうやらこの丘陵全体が古墳ということではないようです。この丘陵上に3つほどの古墳があるそうです。
説明板にはたしかに「領家山古墳群」と書かれています。階段を登って天照皇太神社の社殿の裏側にまわると小さな円墳らしき小山がありました。
さらに南へいくと古墳らしきこんもりした空間。
ここには岡崎稲荷神社があり鳥居をくぐって境内の左側に行くと小さな祠がありました。
右側に墳丘が少し削られたと思われる痕跡があります。たぶん古墳と思われるのですが、一度ちゃんと調べてみます。
最後に盟主墳である築山古墳をぐるっと一周しました。
前方部の右隅。
前方部。
前方部左隅。
南側の前方部から後円部にかけて。
前回は北側(右側)しか撮影しなかったので、今回は反対側を撮りました。こちらはくびれ部に造り出しがあるのがわかります。
後円部。(前回の写真)
北側の後円部から前方部にかけて。(前回の写真)
この築山古墳群を含めて馬見丘陵に広がる馬見古墳群は葛城氏の墓域と考えられていますが、葛城氏の本貫地はもう少し南へいった葛城市から御所市にかけてのあたりと考えられるので、少し距離が離れているように感じます。この築山古墳群がぎりぎりのところかもわかりません。今回、ワンコとともに歩き回ってつぶさに観察したことで、この古墳群にたいへん興味を持ったので、あらためて勉強してみたいと思いました。
以上、築山古墳群レポートの続編でした。
↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。
まずは近鉄大阪線の築山駅の前にあるインキ山古墳(前方後円墳)です。
前回は日が暮れてからだったので明るいときに再訪しました。
右手が墳丘で左が駅です。おそらく鉄道や駅の建設のときに墳丘が削られて道路が敷設されたのだと思います。
道路を進んで振り返ったところ。右手が駅で、墳丘上には保育園があります。この駅は築山という駅ですが、もともとこのあたりの地名が築山といいます。まさに古墳を表している地名だと思います。
次にかん山古墳。築山古墳群最大の築山古墳の隣(北側)にある築山児童公園の中にあります。公園の入口はまさに墳丘を登る感じです。
帆立貝型前方後円墳の前方部から。
右手に見える階段を登ると墳丘の頂上です。頂上からの眺めはなかなか素晴らしい。
南側の眼の前に築山古墳。
西を臨めば二上山から葛城・金剛連山。
北側には大谷自然公園。
林のあたりが公園で、公園内にふたつの円墳(大谷1号墳と2号墳)があります。見えないですが、このずっと先に馬見丘陵が広がっています。
東には近畿地方最大の円墳であるコンピラ山古墳と、ずっとむこうの左手に三輪山が見えます。
次は大谷自然公園内にある大谷1号墳。
2号墳。
円墳の肩越しに築山古墳が見えます。
築山古墳の北東すぐのところにある古屋敷古墳。
Wikipediaによると石室が露出しているとなっているのですが、私有地で中に入れないので確認ができませんでした。
築山古墳から南へ進んでJR和歌山線を越えたあたりの池田遺跡に隣接する領家山古墳。
道端にあった町内会の地図には「領家山古墳」と書かれていたのですが、どうやらこの丘陵全体が古墳ということではないようです。この丘陵上に3つほどの古墳があるそうです。
説明板にはたしかに「領家山古墳群」と書かれています。階段を登って天照皇太神社の社殿の裏側にまわると小さな円墳らしき小山がありました。
さらに南へいくと古墳らしきこんもりした空間。
ここには岡崎稲荷神社があり鳥居をくぐって境内の左側に行くと小さな祠がありました。
右側に墳丘が少し削られたと思われる痕跡があります。たぶん古墳と思われるのですが、一度ちゃんと調べてみます。
最後に盟主墳である築山古墳をぐるっと一周しました。
前方部の右隅。
前方部。
前方部左隅。
南側の前方部から後円部にかけて。
前回は北側(右側)しか撮影しなかったので、今回は反対側を撮りました。こちらはくびれ部に造り出しがあるのがわかります。
後円部。(前回の写真)
北側の後円部から前方部にかけて。(前回の写真)
この築山古墳群を含めて馬見丘陵に広がる馬見古墳群は葛城氏の墓域と考えられていますが、葛城氏の本貫地はもう少し南へいった葛城市から御所市にかけてのあたりと考えられるので、少し距離が離れているように感じます。この築山古墳群がぎりぎりのところかもわかりません。今回、ワンコとともに歩き回ってつぶさに観察したことで、この古墳群にたいへん興味を持ったので、あらためて勉強してみたいと思いました。
以上、築山古墳群レポートの続編でした。
大和葛城の大古墳群―馬見古墳群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」) | |
新泉社 |
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古代日本国成立の物語 ~邪馬台国vs狗奴国の真実~ | |
小嶋浩毅 | |
日比谷出版社 |