古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

東京から八ヶ岳・松阪を経て大阪へ帰る車中泊旅②

2020年11月06日 | 旅行・車中泊
東京を出発して八ヶ岳のホテルで一泊。2日目は縄文時代中期の井戸尻遺跡や井戸尻考古館を見学した後、諏訪湖を経て木曽路を南下、名古屋を通過して津市に入ったところにある「道の駅 津かわげ」で車中泊。

3日目の朝は7時過ぎに目が覚めて、準備を済ませて8時過ぎに出発、松阪駅近くにある松阪シティーホテルを目指します。松阪までやってきた目的の一つが、このホテルの朝食バイキングで提供される松阪牛の牛スジカレーを食べることです。到着したのが終了間際の8時40分頃でギリギリ間に合いました。期待を上回る美味しさのカレーやほかの食材も食べ放題で宿泊客800円、外来客850円という料金はたいへんお得だと思います。40分ほどで朝食を済ませて車に戻りました。




この日の目的の二つ目は、松阪市にある宝塚古墳および松阪市文化財センター「はにわ館」を訪ねることです。はにわ館では宝塚古墳から出土した日本最大級の舟形埴輪の実物が展示されています。この舟形埴輪は私がこのブログの第一部や著書「古代日本国成立の物語」で「不弥国の位置」を説こうとして魏志倭人伝に記された「水行」を考えた際に知った埴輪で、そのときから実物を見てみたいと思い続けた埴輪です。実物を見たときの感動というか驚きというか。これだけ圧倒的な迫力で迫ってくる埴輪は初めてです。圧巻でした。いやあ、来てよかったなあ。




はにわ館で宝塚古墳の情報をしっかりインプットしてから古墳に向かいました。この日の天気は初日、2日目と打って変わって青い空に白い雲の快晴。下から見上げた古墳が青空に映えて美しかったなあ。墳丘からの眺めも最高でした。古墳公園として二基の古墳が復元整備されていて、舟形埴輪が出土した造り出し部もきれいに復元されて埴輪が並べられていました。





このあと、松阪市内を何か所かまわって帰路につきました。松阪から大阪に帰るルートは3つ。ひとつは伊勢に行くときにいつも使う名阪国道、もうひとつは下道の国道165号線、そして3つ目が国道166号線から368号線、422号線、369号線、165号線とつながるルートです。国道165号線は走る機会は何度かあったので、この際、走ったことのない3つ目のルートを走ることにしました。この道は伊勢本街道と呼ばれ、江戸時代に大阪方面から伊勢参りに行く際に使われていた道です。

松阪市街を抜けて166号線から368号線に入ってしばらく走ると道幅が極端に狭くなって山道に入り、峠に向かってどんどん登っていきます。木々が茂ってうす暗いので昼間でも点灯が必要です。途中、カーブの広くなったところで3台の車とすれ違いましたが、広い場所で良かったと思っていた矢先、前方にマイクロバスを発見。「大丈夫かな」と思いながらガードレールいっぱいに寄せてみて「こりゃ無理だわ」と思っていると、バスの運転手が右へ寄れという。互いにギリギリまで寄せて何とかやり過ごすことができました。それにしても、マイクロバスの運ちゃんはこの道を知ってて来たのかな。迷惑な話だ。この細い山道を櫃坂道(ひっさかみち)というそうです。いわゆる「酷道」です。

途中、眺望がひらけた場所があったものの、まだまだ続きそうなワインディングロードに気持ちの余裕はなく、そのまま行き過ぎてしまいました。そして少し走って道が広くなったところが仁柿峠(にがきとうげ)といいます。伊勢参りが盛んだった頃は旅籠が並んでいたようで、その名残を十分に感じ取ることができました。




ここからは道幅も広くなってだらだらと下りに入り、それまでがうそのような快適な道になりました。でも、この酷道は二度と走らないと心に誓いました。途中、栗拾いを楽しんだり、道の駅に寄ったりしながら楽しく帰りました。



9月20日に大阪を出発して、名古屋、浜松、御前崎、富士五湖巡りから東京へ、そして北海道一周を楽しんで再び東京に戻り、八ヶ岳から木曽路、松阪を経て10月11日に大阪に戻ってきました。3週間にわたる車中泊三昧は一生の記念になる旅となりました。 (終わり)





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