行燈山古墳は国道169号線に面しています。次の目的地の黒塚古墳は国道を渡ってすぐのところにあるのですが、時刻はちょうど12時。そろそろ腹ごしらえを、ということになり近くの回転寿司屋に行ってみたところ、お店から溢れんばかりの順番待ちのお客さん。すぐにあきらめて引き返し、コンビニでおにぎりやサンドイッチを買って外のベンチに座って食べました。これはちょっと想定外でした。
お腹を満たしたあとはいよいよ黒塚古墳。全長が約130メートルの前方後円墳で、4世紀初頭から前半頃の築造とされています。前方部と後円部の落差が大きく、前方部正面に弧状のふくらみがあるバチ形をしていて、この特徴が前期古墳であることを表しています。平成9年からの調査で国内最多の33面の三角縁神獣鏡と画文帯神獣鏡1面が発見されました。
三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏から下賜された銅鏡百枚との考えが根強くあります。すでに国内で数百面の出土が確認される一方で中国では全く出土しないことなどから国内で製造された鏡であるとの説もあり、その評価は定まっていません。
近年になって進んだ三角縁神獣鏡の編年研究をもとに、この古墳の築造時期が西暦260年すぎ(3世紀中葉〜後葉)であるという説も出されています。ただ、この編年の考え方は三角縁神獣鏡が魏から下賜された銅鏡百枚であることを前提にしたものなので、その妥当性については素直に納得できないです。とはいえ、葺石や埴輪がないこと、崇神天皇陵や景行天皇陵などのように標高の高い斜面ではなく、出現期古墳とされている箸墓古墳や纒向石塚古墳などと同様に平地に築造されていることも合わせて考えると、築造時期はそれらの古墳と同じ時期、つまり出現期古墳のひとつと考えてもいいかも。
さて、前置きはこのくらいにして、古墳を見る前にまずは公園内にある古墳展示館を見学しました。
解説パネルは色褪せていましたが、書かれている内容はじっくり読んでみたいと思いました。
副葬品も少しだけ展示されています。
展示室の突き当たりを左に曲がった瞬間に目に飛び込んできたのがこれです。
竪穴式石室の復元模型です。思わず「デカッ!」と声が出てしまいました。33面の鏡が副葬されていた状況も再現されています。なかなか見事な模型でした。
石室の大きさは、内法長約8.3メートル、北小口幅0.9メートル、高さ約1.7メートルで、二上山麓の春日山と芝山の板石を持ち送りに積んで合掌造状の天井を作り出しています。石室には全長1メートル以上の刳抜式木棺が納められ、木棺の中央部には長さ2.8メートルの範囲に水銀朱を施し、両端はベンガラの赤色で塗られていたとのことです。
そして2階へ上がると鏡がずらっと並んでいました。圧巻です。
これが唯一の画文帯神獣。貸し出し中のために写真です。
まさかこの小さな展示施設にこれだけの実物が置かれているはずないな、と思いながら下に降りて職員の方に確認したところ、案の定、実物はすべて橿原考古学研究所附属博物館に所蔵されているとのことでした。つまり、ここにあるのは全てレプリカということです。
いよいよ外に出て古墳を見学します。
周濠には後円部に向かって橋が架かっています。
後円部の頂上の真ん中に展示館で模型を見た石室のパネルが置かれていました。
展示室の中だからデカイと感じたのかな、という思いが少しあったのですが、現場で見てもデカイと思いました。
前方部。意外に低い。
前方部から後円部を見ます。たしかに落差は大きいです。
後円部上から南方面を眺めると大和三山が見えました。
国内最多の三角縁神獣鏡が出土していること、これまで見てきた古墳は天皇陵を含めて山麓の斜面に築かれていたのに、この古墳は箸墓古墳や他の纒向型前方後円墳と同様に平地に築かれていること、そのことも含めて古墳時代前期あるいはそれを遡る出現期古墳の可能性があることなど、たいへん興味深い古墳です。
お腹を満たしたあとはいよいよ黒塚古墳。全長が約130メートルの前方後円墳で、4世紀初頭から前半頃の築造とされています。前方部と後円部の落差が大きく、前方部正面に弧状のふくらみがあるバチ形をしていて、この特徴が前期古墳であることを表しています。平成9年からの調査で国内最多の33面の三角縁神獣鏡と画文帯神獣鏡1面が発見されました。
三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏から下賜された銅鏡百枚との考えが根強くあります。すでに国内で数百面の出土が確認される一方で中国では全く出土しないことなどから国内で製造された鏡であるとの説もあり、その評価は定まっていません。
近年になって進んだ三角縁神獣鏡の編年研究をもとに、この古墳の築造時期が西暦260年すぎ(3世紀中葉〜後葉)であるという説も出されています。ただ、この編年の考え方は三角縁神獣鏡が魏から下賜された銅鏡百枚であることを前提にしたものなので、その妥当性については素直に納得できないです。とはいえ、葺石や埴輪がないこと、崇神天皇陵や景行天皇陵などのように標高の高い斜面ではなく、出現期古墳とされている箸墓古墳や纒向石塚古墳などと同様に平地に築造されていることも合わせて考えると、築造時期はそれらの古墳と同じ時期、つまり出現期古墳のひとつと考えてもいいかも。
さて、前置きはこのくらいにして、古墳を見る前にまずは公園内にある古墳展示館を見学しました。
解説パネルは色褪せていましたが、書かれている内容はじっくり読んでみたいと思いました。
副葬品も少しだけ展示されています。
展示室の突き当たりを左に曲がった瞬間に目に飛び込んできたのがこれです。
竪穴式石室の復元模型です。思わず「デカッ!」と声が出てしまいました。33面の鏡が副葬されていた状況も再現されています。なかなか見事な模型でした。
石室の大きさは、内法長約8.3メートル、北小口幅0.9メートル、高さ約1.7メートルで、二上山麓の春日山と芝山の板石を持ち送りに積んで合掌造状の天井を作り出しています。石室には全長1メートル以上の刳抜式木棺が納められ、木棺の中央部には長さ2.8メートルの範囲に水銀朱を施し、両端はベンガラの赤色で塗られていたとのことです。
そして2階へ上がると鏡がずらっと並んでいました。圧巻です。
これが唯一の画文帯神獣。貸し出し中のために写真です。
まさかこの小さな展示施設にこれだけの実物が置かれているはずないな、と思いながら下に降りて職員の方に確認したところ、案の定、実物はすべて橿原考古学研究所附属博物館に所蔵されているとのことでした。つまり、ここにあるのは全てレプリカということです。
いよいよ外に出て古墳を見学します。
周濠には後円部に向かって橋が架かっています。
後円部の頂上の真ん中に展示館で模型を見た石室のパネルが置かれていました。
展示室の中だからデカイと感じたのかな、という思いが少しあったのですが、現場で見てもデカイと思いました。
前方部。意外に低い。
前方部から後円部を見ます。たしかに落差は大きいです。
後円部上から南方面を眺めると大和三山が見えました。
国内最多の三角縁神獣鏡が出土していること、これまで見てきた古墳は天皇陵を含めて山麓の斜面に築かれていたのに、この古墳は箸墓古墳や他の纒向型前方後円墳と同様に平地に築かれていること、そのことも含めて古墳時代前期あるいはそれを遡る出現期古墳の可能性があることなど、たいへん興味深い古墳です。
三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡か―黒塚古墳と邪馬台国の真実 | |
安本 美典 | |
廣済堂出版 |
黒塚古墳の研究 | |
奈良県立橿原考古学研究所,橿原考古学研究所= | |
八木書店古書出版部 |
古代日本国成立の物語 ~邪馬台国vs狗奴国の真実~ | |
小嶋 浩毅 | |
日比谷出版社 |
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