古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

談山神社で紅葉観賞

2020年11月29日 | 旅行・車中泊
2020年11月15日、奈良県桜井市にある談山神社まで紅葉を観に行きました。富田林の自宅を出て竹内街道から山麓バイパスに入り、24号線から橿原神宮を経て明日香村を通過、石舞台を右手に見ながら峠を越えて目的地に到着。明日香村は通過しただけでしたが、以前に来たのは40年くらい前のこと。そのときは田舎の風景がもっと残っていたように思うのですが、道路が整備されてお店も増えて、何となく田園も小さくなって、すっかり景色が変わっていました。何よりも驚いたのは石舞台です。里山の中にが浮かぶように存在していたのが、今ではきれいに整備された公園の中にあるモニュメントのように見えました。中学2年のときに歴史研究会の活動で訪ね、高校1年では春の遠足でやって来たのですが、残念ながらそのときののどかな雰囲気はあまり感じられませんでした。

談山神社も結婚前に奥さんと来て以来の35年ぶりくらいです。そのときは今回走った石舞台から多武峰につづく道は車で越えることができずに、桜井の市街から南下する道を走りました。便利になったなあと感心していたら、峠の手前から渋滞です。峠を下ったところにある談山神社の駐車場に入る車の列が続いていて、駐車場まで1時間と案内がありました。結局、50分くらいでたどり着くことができたのですが、これは境内も結構な人だろうなと予想されました。前に来たときは確かもっと寒い季節で、境内には誰もいなかった記憶があります。









赤・黄・緑のグラデーションが青空に映えてきれいでした。











この十三重塔、以前に来たときはもっと小さな印象があったけど、意外にも大きく感じました。拝殿からの眺めも素晴らしい。







拝殿には神社所縁の資料が展示されていました。多武峰縁起絵巻には教科書などでよく見る蘇我入鹿惨殺のシーンを見ることができました。



銀杏の大木が金色に輝いていました。





藤原鎌足公にご対面。意外にもデカ鼻でした。



●神社公式サイトより
「舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。 この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、 聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、 西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。 後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。(中略)鎌足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。 大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。」

藤原鎌足を祭神とする談山神社は上記のように藤原氏ゆかりの神社ですが、神仏習合によって境内に建てられた妙楽寺は天台宗の寺院で、藤原氏の氏寺である法相宗の興福寺や藤原氏の氏神である春日大社との仲は良くなかったそうで、興福寺の僧兵に焼き討ちされたことがあるそうです。なんとまあ。







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