古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

纒向遺跡・纒向古墳群(葛城・纒向ツアー No.29)

2020年01月22日 | 実地踏査・古代史旅
 上ツ道をJR巻向駅付近まで南下してJRの踏切を渡ると、卑弥呼の神殿跡かと大騒ぎになった大型建物跡が出た纒向遺跡辻地区に出ます。前回訪ねたときには発掘後に埋め戻されたままの状態でしたが、その後に整備が行われたとのことだったので再訪しました。





 柱を復元することで建物の位置がわかるようになっていますが、この整備はどうなんだろう。いまひとつ想像力が働かない。地面もこんな風にしてしまうと3世紀の風景が甦ってこない。個人的にはこれなら整備前の方が良かったと思います。







三輪山をバックに。


 二度目の訪問であることと、整備状況にガッカリしたこともあって短い滞在時間でした。団地の間を抜けて次の目的地へ向かいます。途中、纒向小学校の東側に見える纒向石塚古墳を撮影します。前回訪問時に墳丘に上ったのでパスします。



 そのあと、右折して小学校の南側に出ると校舎の右側に纒向石塚古墳、左側に纒向矢塚古墳が見えます。



 纒向矢塚古墳も前回のときに墳丘に上っているので撮影のみ。



 そして目指したのが東田(ひがいだ)大塚古墳です。田んぼの真ん中に古墳が浮かぶのどかな風景。





 東田大塚古墳は全長約120メートルの纒向型前方後円墳。前方部は畑になっています。幅20メートルの周濠跡が確認され、発掘調査により3世紀後半の築造であることがわかっています。



 纒向型前方後円墳とは、定型的な前方後円墳が成立する前の弥生時代終末期に見られる前方後円形の墳丘墓を古墳として積極的に定義しようとしたもので、全長と後円部径、前方部長の比率が3:2:1になっているのが特徴です。「初期ヤマト政権の中枢たる纒向遺跡との政治的、祭祀的関係のもとに成立した」との見解により「纒向型」と呼称されます。さっき写真に収めた纒向石塚古墳や纒向矢塚古墳も該当します。

墳丘への上り口。

簡単に上がって行けそうですが「私有地 立入禁止」の札に遮られました。







 時刻は15時半を少し回った頃です。予定ではこのあと桜井市埋蔵文化財センターに寄って見学をするつもりだったのですが、さすがに疲れました。16時半が閉館なので行くなら急ぐ必要がありますが、前回も見学しているので「まあいいか」と思ってパスすることにしました。
 
 結果的に東田大塚古墳が最終踏査地ということになりました。2日間で訪ねたところは60カ所以上、そのうち古墳は40カ所。とくに2日目は細くて傾斜のある山の辺の道を自転車で走るという無茶をしたことが重なって疲労はピーク。前回の纒向訪問時もそうでしたが、夕方の太陽が傾きかけた中、西陽を浴びながら桜井駅までひた走るのはお楽しみが終わってしまった寂しさとともに何とも空しい気持ちになるのです。そんな気持ちを振り払って、写真だけでもと最後までチャンスを狙って撮りました。

三輪山。


大和川。


箸墓古墳。



以上、29回にわたる葛城・纒向を巡る実地踏査ツアーの報告を終わります。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



古代日本国成立の物語 ~邪馬台国vs狗奴国の真実~
小嶋 浩毅
日比谷出版社

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 馬口山古墳・フサギ塚古墳・... | トップ | 美山かやぶきの里 車中泊の... »

コメントを投稿

実地踏査・古代史旅」カテゴリの最新記事