あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

秋風に折(おり)て悲しき桑の杖  芭蕉

2009-08-10 16:01:41 | 日記
西洋美術館のロダン

「考える人」は人生の苦悩を象徴している彫刻と言われるけれど
その彫刻としての量感と男性としての力強さが圧倒的ですね。
この圧倒的というのは彫刻として不可欠ですね。
ミケランジェロの彫刻などを見ると
天から襲いかかるような威圧感がある。

でも、このような無理な姿勢をしているのだ。
これじゃ考えることなどできはしまい。
でも、その不自然さが逆に観るものに感動を与える。
ミケランジェロの作品も生身の人間と比較したら
かなりいびつなのでしょうね。

この不自然な姿勢が観る者に美的感動を与える。
これはロココ以降の特徴かもしれませんね。

美は乱調にあり
本当に美しいものは不自然なものが集合されている。
美しいものを並べても何も意外など生まれてこない。

・・・・・・・・・・

朝の風

本当に大切なことは、その言葉を聞いた時、どきっとするものです。

・・・・・・・・・・・・・

今日の一茶

井戸にさえ錠のかかりし寒さ哉

井戸を無断使用させないように錠をかける家もあるとか
そんな風景と寒さ重ねているのが一茶らしいですね。
一茶も蕪村も心理的な意味での「寒さ」を表現する句が多いですね。
彼らにとって「もののあわれ」とは違った
無常感なのでしょう。

・・・・・・・・・・・

今日の若山牧水

みそはぎの 花咲く溝の 草むらに 寄せて迎え火 焚く子等のをり

こんな風景がつい最近まであったのですね。このような伝統的な風習が消えて新しい形の風物詩が生まれるのですね。いい風景が見えてきました。さすがに牧水ですね。短歌に調えてしまいます。

・・・・・・・・

今日の芭蕉

秋風に折(おり)て悲しき桑の杖 

亡くなった知人を悼む句ということですが
しみじみとした情感が漂う、さすがの芭蕉
そんな感じですね。
堂々として品格がある。やはり一歩抜けている。
そんな感じがしますね。

・・・・・・・・・・・・

窓開けて蝶が飛び立つ積乱雲  あきオジ

・・・・・・・・・・

ここから浪音きこえぬほどの海の青さの  放哉

ちょっと、これでいいの?そんな句ですね。
そんな句はそれでいいのですね。
あれこれ考えないのです。
だから、小豆島のどこからか切り離された世界の風景に
惹かれるのですね。