あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

師走の夜の吊鐘ならす身となり  放哉

2009-08-27 06:08:36 | 日記
時代植物園のモミジアオイ

この花、こどもの色紙を切り抜いたような形
風通しのいい形
スコットランドかどこかの国で育てられている花のようです。
日本人はそれほど好まれない花のように思えます。

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今日の放哉

師走の夜の吊鐘ならす身となり  放哉

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今日の方代さん

右左口(うばぐち)の名に負うお坊先生も死んでしまえば石とこうろぎ

右左口の峠の道のうまごやし道を埋めて咲いておるらん

方代さんの若い時の作品には新鮮さと同時に品格があるように思えます。なぜだか分かりません。しかし、生活していないと見えない景色を表現していて、信頼できる歌人のように思えます。
私は、「野暮ったさ」が残る作家が好きなのです。

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今日の蕪村

しら露やさつ男(を)の胸毛ぬるるほど

「さつ男」とは猟師のこと。それが分からない理解できない。しかし、俳句の題材となるのですね。背丈のある篠畑の中を歩く猟師の姿が桐の中に消えて行く。秋らしい雰囲気がいいですね。

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今日の一茶

うしろから寒が入る也(なり)壁の穴

さすがの一茶というよりなるほど一茶という作品ですね。
低俗と趣向の面白さのすれすれを楽しむのが一茶ですね。
俳人になって、安定した収入を得るために、苦労があったと思います。
旦那衆を適当におだてながら弟子にしておかなければいけないでしょうし
高踏的になりすぎて弟子が離れるような作風には進めないでしょうし
葛藤もあったと思いますが
その微妙さが人間的であり
楽しめるとことですね。

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金音が響く蔵の瓦屋根  あきオジ

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夕べの風

どのような体勢でも体が水平になると眠ってしまいます。
起きていなければならない理由がないからです。

知人が聖フランチェスカの言葉を引用してました。
「愛されるより愛したい」論理がひっくり返ってしまった。
だから、言葉が動き始めたのですね。