あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

ころり寝ころべば青空  山頭火

2009-08-18 05:40:03 | 日記
神代植物園の蓮

昨日もアップしましたが
同じものではありません。
それにしても蓮は終わりましたね。
来年までのお別れです。
蓮は来年も咲くでしょうが
私は元気でいられるでしょうか。
永遠であるようなことすら
何一つ確かなものはないのですね。

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今日の山頭火

ころり寝ころべば青空  

無一物。何と自由で気楽な身だろう。何もいらない。疲れたら、ただある身を野に横たえて、空を仰ぐ。放浪の一日にとって、心から憩いの時である。視野に葉青い空。ひろがる空。限りない青。そこを流れる雲。放浪の身であればこそ、味わえる充実感が、ここにはある。むずかしく考えることは、もうやめよう。放下してしまえば、人生の重い荷物は、何ともなくなる。旅は、そんな心をいざなう。

俳句と日記を重ねると別の世界が生まれるような気がしますね。いいですね。宗教者のような雰囲気さえ感じます。西行、一遍、一茶、自分が好きな歌人はみな旅人だった。偶然ではなく、そのような形を人生に求める人が好きなのです。山頭火は句集ではなく、日記と重ねる。随筆と重ねる。それがいい。その路線で楽しんでいきましょう。

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若山牧水

霜解くるひなたの路次をほがらかに呼びつつ来る鮒を買はうよ

若山牧水は44歳でなくなっています。子規も若死でしたが、それなりの作品を生みだし、充分な量の作品を残しています。
この句の「ほがらかに」という言葉がいいですね。私は、大好きな言葉です。短歌の中で使用されるケースをあまり知らないのですが、いいですね。同様のような言葉の広がりになると「鮒を買ふ」という言葉につながると、物語は温かいですね。

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今日の蕪村

秋たつや何におどろく陰陽師

芭蕉と蕪村に出て来る「前提教養がないと理解できない」句は
困りますね。当時も、今の時代も知識人だけが楽しめる。
そんな気配があります。
でも、あれこれあるけど、そのうちどこかでひっかって見えてくる。
その日のために、「こんな句があった」という記憶だけ残しましょう。
「陰陽師」が過去のものではなく、江戸時代にも存在したのが不思議ですね。しかし、言葉として物語空間が広がって面白いですね。

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「仕事ある」嬉しさ誘う蓮が咲きました  あきオジ

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