神代植物園の蓮
この色具合がいいですね。
でも、近所で写真を撮っている人が
「お仏壇の花ね」という。
蓮はそのつもりはないのにね。
やはり美しさの下にある
薄汚い泥の中から伸びあがり
咲く
その物語に惹かれるのですね。
記憶は確かではないのですが
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に登場する池にも
蓮が咲いていたような・・・・
・・・・・・・・・
蓮終り盆帰りの子らも帰途につき あきオジ
・・・・・・・・・
朝日歌壇
マクドナルドの無料コーヒーを飲みながら方代さんの伝記読み継ぐ
公田耕一
田澤拓也の「無用の達人 山崎方代」か。
そんな解説がありましたが、方代さんは鎌倉の人、きっと地元出身の歌人として興味をもったのでしょう。私も憚りながら、ファンなのですね。
朝顔もラジオ体操も「白熊」もみーんな懐かしい祖国の夏休み
郷 隼人
公田さんと郷さんがセットにならないと朝日歌壇も盛り上がりませんね。ホームレスとアメリカで収監されている日本人。ため息が出るような時間の長さを感じますね。
・・・・・・・・・・・・・・・
今日の山崎方代
手の内にあたたまりたる石ころは風雨にたえて来る石なり
優しくて、淋しくて、外観に似ず繊細で背筋が伸びている。
それが方代さん。
元々は山梨の人。
その土地がその人を育てる。
そんなことなのですね。
・・・・・・・
今日の蕪村
二またに細るあはれや秋の水
春は伏流水などが表に現れ
水量も多いのですが
夏が過ぎ水量が少なくなり
秋になるとさらに枯れてくる。
その水がさらに二股に分かれると、
迫力が薄くなる。
そんな当たり前のことを取り上げられると
自然とは摂理に基づいて動いているようでいて
その一つ一つはまったく違っているのだ。
そんなことを再発見させてくれますね。
・・・・・・・
今日の放哉
わが顔ぶらさげてあやまりにゆく 放哉
どのような状況か分かりませんが、「そうするしかない」という
諦めと覚悟が見えるようで面白いですね。
何か、人生そのものを含めて反省させられるような
不思議な句ですね。
・・・・・・・・・・
今日の牧水
古寺の木立のなかの離れ家に棲みて夜ごとに君を待ちにき
歌人の中でも突出した歌人は、精神的にも肉体的にもタフですね。
牧水の歌も汗の匂いすら感じる。
繊細すぎたり、観念的な言葉を組み合わせた現代短歌にない
青春の匂いを感じますね。
牧水は晩年、沼津で暮らしました。
下香貫、市道で暮らしたとか
井上靖と重なるかもしれませんね。
そして、戦後、間もないころ
「幾山河超えさえ行かば寂しさの終なん国ぞ今日も旅ゆく」
の石碑が建立されました。
しかし、この歌は牧水23歳のときのうた。
そんなものかもしれませんね。
・・・・・・・・・・・
朝の風
テレビを見なければ政治のことは気にならない。
野球のことも朝日新聞を読まなければ気にならない。
噂の中に入らなければ
「品定め」が気にならない。
静かなところで
騒音に煩わされることなく
そんなことを考えただけで
寒山拾得だ。
青い空を眺め
風に包まれる。
あり得ない暮らしは本当はあるのだ。
最近、そんなことばかり思います。
・・・・・・・・・・・
朝の風
日曜日は「こころの時代」(最近は、全く新鮮さもなく、番組を変えた方がいいくらいにつまらない。)「日めくり万葉集」(一週間まとめたもの)を見て、目覚めます。
夕がた「鬼平犯科帳」と「剣客商売」「日曜美術館」「N響アワー」が終わって寝る時間です。面白くもへったくれもありませんね。こんなことでいいのだろうか?そんな難しいこと考えたこともありません。
この色具合がいいですね。
でも、近所で写真を撮っている人が
「お仏壇の花ね」という。
蓮はそのつもりはないのにね。
やはり美しさの下にある
薄汚い泥の中から伸びあがり
咲く
その物語に惹かれるのですね。
記憶は確かではないのですが
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に登場する池にも
蓮が咲いていたような・・・・
・・・・・・・・・
蓮終り盆帰りの子らも帰途につき あきオジ
・・・・・・・・・
朝日歌壇
マクドナルドの無料コーヒーを飲みながら方代さんの伝記読み継ぐ
公田耕一
田澤拓也の「無用の達人 山崎方代」か。
そんな解説がありましたが、方代さんは鎌倉の人、きっと地元出身の歌人として興味をもったのでしょう。私も憚りながら、ファンなのですね。
朝顔もラジオ体操も「白熊」もみーんな懐かしい祖国の夏休み
郷 隼人
公田さんと郷さんがセットにならないと朝日歌壇も盛り上がりませんね。ホームレスとアメリカで収監されている日本人。ため息が出るような時間の長さを感じますね。
・・・・・・・・・・・・・・・
今日の山崎方代
手の内にあたたまりたる石ころは風雨にたえて来る石なり
優しくて、淋しくて、外観に似ず繊細で背筋が伸びている。
それが方代さん。
元々は山梨の人。
その土地がその人を育てる。
そんなことなのですね。
・・・・・・・
今日の蕪村
二またに細るあはれや秋の水
春は伏流水などが表に現れ
水量も多いのですが
夏が過ぎ水量が少なくなり
秋になるとさらに枯れてくる。
その水がさらに二股に分かれると、
迫力が薄くなる。
そんな当たり前のことを取り上げられると
自然とは摂理に基づいて動いているようでいて
その一つ一つはまったく違っているのだ。
そんなことを再発見させてくれますね。
・・・・・・・
今日の放哉
わが顔ぶらさげてあやまりにゆく 放哉
どのような状況か分かりませんが、「そうするしかない」という
諦めと覚悟が見えるようで面白いですね。
何か、人生そのものを含めて反省させられるような
不思議な句ですね。
・・・・・・・・・・
今日の牧水
古寺の木立のなかの離れ家に棲みて夜ごとに君を待ちにき
歌人の中でも突出した歌人は、精神的にも肉体的にもタフですね。
牧水の歌も汗の匂いすら感じる。
繊細すぎたり、観念的な言葉を組み合わせた現代短歌にない
青春の匂いを感じますね。
牧水は晩年、沼津で暮らしました。
下香貫、市道で暮らしたとか
井上靖と重なるかもしれませんね。
そして、戦後、間もないころ
「幾山河超えさえ行かば寂しさの終なん国ぞ今日も旅ゆく」
の石碑が建立されました。
しかし、この歌は牧水23歳のときのうた。
そんなものかもしれませんね。
・・・・・・・・・・・
朝の風
テレビを見なければ政治のことは気にならない。
野球のことも朝日新聞を読まなければ気にならない。
噂の中に入らなければ
「品定め」が気にならない。
静かなところで
騒音に煩わされることなく
そんなことを考えただけで
寒山拾得だ。
青い空を眺め
風に包まれる。
あり得ない暮らしは本当はあるのだ。
最近、そんなことばかり思います。
・・・・・・・・・・・
朝の風
日曜日は「こころの時代」(最近は、全く新鮮さもなく、番組を変えた方がいいくらいにつまらない。)「日めくり万葉集」(一週間まとめたもの)を見て、目覚めます。
夕がた「鬼平犯科帳」と「剣客商売」「日曜美術館」「N響アワー」が終わって寝る時間です。面白くもへったくれもありませんね。こんなことでいいのだろうか?そんな難しいこと考えたこともありません。