上野不忍池の蓮
今年もハスで楽しみました。
これからはコスモスですね。
去年は確か、彼岸花を楽しみに出かけました。
あの不思議さは、なんとも
いえません。
好きなのはコスモス。
・・・・・・・・・・
今日の蕪村
やぶ入りの夢や小豆の煮るうち
この句いいですね。藪入りで帰ってきた子どもであるけれど
ほっとしたのか居眠りをしている。こんなことも小豆の煮えるまでの一時なのだというのもいいですね。
この句は蕪村の代表作の一つなのでしょうか。
他の評価はどうでもいい。
自分は名作だと思っています。
・・・・・・・・・
今日の放哉
木槿の花がおしまひいになって風吹く
この終わっていく何かの余韻がいいですね。
置き去りされて残る自分
その自然との対比が放哉の俳句なのですね。
自然が移ろい
世に生きる人は、その流れに
誘われて日常を維持していく。
しかし、ことごとく自分を表現することで
失敗する放哉は
自分を抑え込んでも
おきざりにされる
どうしようもない自分なのですね。
そのやるせなさが伝わってくる句ですね。
人生は土産などもたない手ぶらの旅みたいなものなのですね。
・・・・・・・・・・
今日の斎藤茂吉
陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ
力強く、壮大な景色を描くのはやはり斎藤茂吉
よどみなく壮大でいいですね。あれこれの古典的知識がなくても
鑑賞できる短歌は気持ちがいい。
この歌は、蔵王のどこかに歌碑がありそうですね。
蔵王のスケールの大きい山の風景
いいですね。感動します。
・・・・・・・・・・・
今日の子規
つらなりていくつも丸し雪の岡
先ほど斎藤茂吉の歌を取り上げましたが、ここでは子規の句
スケールの違いというか表現形式の違いがもたらす緊張感の違いが面白いですね。
・・・・・・・・・・・・
今日の方代
何ごともなかったように一本の杉は季節の花をつけたり
方代さんの若い時の言葉の選び方は直線的で爽やかですね。
「なにごともなかったように」が方代さんですね。
気持ちよい歌ですね。
震えるような緊張で添削している姿が想像できますね。
・・・・・・・・・・
朝の風
八月になり、あちこちに気持ちが散らばり
出かけようと思ったら天気が悪いとか
花の写真を撮りたくても開花時期ではなかったり
今のところ、タイミングが悪いですね。
まあ、いいか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日の一茶
ふるさとや寄るもさはるも茨(ばら)の花
解説
故郷の柏原に帰ってきた。しかし、会う人はことごとくトゲのある茨の花のようなもので、誰ひとり自分を暖かく迎えてはくれない。
解説がしゃれてますね。
大蛍(おほぼたる)ゆらりゆらりと通りけり
解説
大きな源氏蛍が、暗やみの中を大きな弧を描きながらゆらりゆらりと飛んでゆく。
これを写生の句だとすれば、なかなかですね。さすがの一茶。劇的。
大の字に寝て涼しさよ寂しさよ
解説 わが家の座敷で大の字に寝そべると、折から涼しい風が吹いてきて、とても気持ちがよい。しかし、故郷では誰ひとり暖かく迎えてくれる人もなく、一人ぼっちとなった自分の寂しさがこみあげてくる。
庶民派一茶ですね。この句にしてはいけないような微妙さの綱渡りが一茶ですね。
寝せつけし子の洗濯(せんたく)や夏の月
解説 夜になって子どもを寝かしつけた農家の女が、休む間もなく小川で洗濯をしている。夏の夜の月がその流れにきらめいている。
まとめて読むと一茶もいいですね。
夏のいい雰囲気が伝わってきますね。
ちょっと、好きなところが出てきました。
・・・・・・・・・・・
夕べの風
「男はつらいよ」を見ていたら
画面にテレビが出てきました。
チャンネルは回転式のものでした。
あの形を知っているのとリモコンしかしらない。
ここで世代が分かりますね。
東京オリンピックを知っているのは60代ですね。
あれと同じですね。
きっと、これからは電動歯ブラシを知っている。
それしか知らない。
そんなこともあるかも知れませんね。
・・・・・・・
秋風が床這うばかり新学期 あきオジ
・・・・・・・・・
ブログをいじっていたら
半日過ぎました。
楽しい道楽です。
今年もハスで楽しみました。
これからはコスモスですね。
去年は確か、彼岸花を楽しみに出かけました。
あの不思議さは、なんとも
いえません。
好きなのはコスモス。
・・・・・・・・・・
今日の蕪村
やぶ入りの夢や小豆の煮るうち
この句いいですね。藪入りで帰ってきた子どもであるけれど
ほっとしたのか居眠りをしている。こんなことも小豆の煮えるまでの一時なのだというのもいいですね。
この句は蕪村の代表作の一つなのでしょうか。
他の評価はどうでもいい。
自分は名作だと思っています。
・・・・・・・・・
今日の放哉
木槿の花がおしまひいになって風吹く
この終わっていく何かの余韻がいいですね。
置き去りされて残る自分
その自然との対比が放哉の俳句なのですね。
自然が移ろい
世に生きる人は、その流れに
誘われて日常を維持していく。
しかし、ことごとく自分を表現することで
失敗する放哉は
自分を抑え込んでも
おきざりにされる
どうしようもない自分なのですね。
そのやるせなさが伝わってくる句ですね。
人生は土産などもたない手ぶらの旅みたいなものなのですね。
・・・・・・・・・・
今日の斎藤茂吉
陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ
力強く、壮大な景色を描くのはやはり斎藤茂吉
よどみなく壮大でいいですね。あれこれの古典的知識がなくても
鑑賞できる短歌は気持ちがいい。
この歌は、蔵王のどこかに歌碑がありそうですね。
蔵王のスケールの大きい山の風景
いいですね。感動します。
・・・・・・・・・・・
今日の子規
つらなりていくつも丸し雪の岡
先ほど斎藤茂吉の歌を取り上げましたが、ここでは子規の句
スケールの違いというか表現形式の違いがもたらす緊張感の違いが面白いですね。
・・・・・・・・・・・・
今日の方代
何ごともなかったように一本の杉は季節の花をつけたり
方代さんの若い時の言葉の選び方は直線的で爽やかですね。
「なにごともなかったように」が方代さんですね。
気持ちよい歌ですね。
震えるような緊張で添削している姿が想像できますね。
・・・・・・・・・・
朝の風
八月になり、あちこちに気持ちが散らばり
出かけようと思ったら天気が悪いとか
花の写真を撮りたくても開花時期ではなかったり
今のところ、タイミングが悪いですね。
まあ、いいか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日の一茶
ふるさとや寄るもさはるも茨(ばら)の花
解説
故郷の柏原に帰ってきた。しかし、会う人はことごとくトゲのある茨の花のようなもので、誰ひとり自分を暖かく迎えてはくれない。
解説がしゃれてますね。
大蛍(おほぼたる)ゆらりゆらりと通りけり
解説
大きな源氏蛍が、暗やみの中を大きな弧を描きながらゆらりゆらりと飛んでゆく。
これを写生の句だとすれば、なかなかですね。さすがの一茶。劇的。
大の字に寝て涼しさよ寂しさよ
解説 わが家の座敷で大の字に寝そべると、折から涼しい風が吹いてきて、とても気持ちがよい。しかし、故郷では誰ひとり暖かく迎えてくれる人もなく、一人ぼっちとなった自分の寂しさがこみあげてくる。
庶民派一茶ですね。この句にしてはいけないような微妙さの綱渡りが一茶ですね。
寝せつけし子の洗濯(せんたく)や夏の月
解説 夜になって子どもを寝かしつけた農家の女が、休む間もなく小川で洗濯をしている。夏の夜の月がその流れにきらめいている。
まとめて読むと一茶もいいですね。
夏のいい雰囲気が伝わってきますね。
ちょっと、好きなところが出てきました。
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夕べの風
「男はつらいよ」を見ていたら
画面にテレビが出てきました。
チャンネルは回転式のものでした。
あの形を知っているのとリモコンしかしらない。
ここで世代が分かりますね。
東京オリンピックを知っているのは60代ですね。
あれと同じですね。
きっと、これからは電動歯ブラシを知っている。
それしか知らない。
そんなこともあるかも知れませんね。
・・・・・・・
秋風が床這うばかり新学期 あきオジ
・・・・・・・・・
ブログをいじっていたら
半日過ぎました。
楽しい道楽です。