川越蔵の街
・・・・・・
それとなく秋風動く新学期 あきオジ
夏風や壁が遮る時はなく あきオジ
新学期校舎の谷を抜ける風 あきオジ
・・・・・・・・・・・
今日の山頭火
のびてのびてくさのつゆ
伝統的な俳句が好きですかと問われれば、「好き嫌い以前に興味がありません」と答えるでしょう。どれもこれも同じで「美の再構成」という意味からも、冒険もなければ改革もない。昔ながら季節感、孫の成長、終戦記念日、そんな素材をよってたかって利用する。NHK俳壇などでは「二重季語」などの指導、過去形より現在形がいいのではないか、そんなことばかり。
ですから、破綻したというか形式を壊そうとする試みるから、面白いから山頭火や放哉に注目しているだけ。そして、そのスタイルを真似ているけれど、真剣に句を作っているわけでなないのです。
「名句といわれる」句を鑑賞し、その伝統を破ろうとする意欲に目を向け、「芸ごと」あるいは、日記代わりに試みてみる。その程度です。でも、続けることはことのほか大変です。
最近はしなくなりましたが、芭蕉を取り上げた解説書などをいくつか取り上げて、比較してみる。季節にふさわしい句を探してみる。それも大変ですね。季節の句を探し、見つけても、その句を自分が、気に入るかどうかの問題があります。しおりをつけて放置しておき、再度読んだ時、気に入ればアップしますが、なかなかそうはいきません。俳句の場合、故事、過去の和歌、あるいは句を下敷きにしていますから、そこから読みとかなければなりません。そんな面倒なこと私にはできるはずもありません。そんなこんなで句を選ぶのが大変なのですね。それでも拾い上げても、数日後には、その記憶もない。そんなことも多いですね。
まあ、いいか、
続けることにだけ意味がある。
そんな感じで進めています。
でも、ときおり、面白いこともありますよ。
突然、「こんな句もあったのか」という発見ですね。
散歩していて野の花に出会う。
気付かなかった風景に包まれる。
空気を感じる。
そんな感じもいいですね。
・・・・・・・・・・・
今日の放哉
障子しめきって淋しさをみたす
放哉の「寂しさ」「ひとり」にこだわる句にであったとき
この方は、こだわった自分から抜け出すために句にしている。
だから、本当は「寂しい」などというのは「抜け殻なのだ」と思うのです。
そう、そこには放哉はいないのですね。
・・・・・・・・・・・
今日の蕪村
暮まだき星の輝く枯野哉
山をこす人にわかれて枯野かな
蕪村が取り上げる枯野には独特の風景が広がりますね。
美しいし空の青さが輝いている。
・・・・・・・・・
今日の芭蕉
名月や児(ちご)たち並ぶ堂の縁
技巧的にも芭蕉「さすがの芭蕉」そんな句ですね。一歩誤れば厭味だし、技巧が気になる句ですが、いいですね。「阿弥陀堂だより」に登場する飯山の阿弥陀堂を連想しました。でもこの「児」とはどのような存在だったのでしょうか。
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それとなく秋風動く新学期 あきオジ
夏風や壁が遮る時はなく あきオジ
新学期校舎の谷を抜ける風 あきオジ
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今日の山頭火
のびてのびてくさのつゆ
伝統的な俳句が好きですかと問われれば、「好き嫌い以前に興味がありません」と答えるでしょう。どれもこれも同じで「美の再構成」という意味からも、冒険もなければ改革もない。昔ながら季節感、孫の成長、終戦記念日、そんな素材をよってたかって利用する。NHK俳壇などでは「二重季語」などの指導、過去形より現在形がいいのではないか、そんなことばかり。
ですから、破綻したというか形式を壊そうとする試みるから、面白いから山頭火や放哉に注目しているだけ。そして、そのスタイルを真似ているけれど、真剣に句を作っているわけでなないのです。
「名句といわれる」句を鑑賞し、その伝統を破ろうとする意欲に目を向け、「芸ごと」あるいは、日記代わりに試みてみる。その程度です。でも、続けることはことのほか大変です。
最近はしなくなりましたが、芭蕉を取り上げた解説書などをいくつか取り上げて、比較してみる。季節にふさわしい句を探してみる。それも大変ですね。季節の句を探し、見つけても、その句を自分が、気に入るかどうかの問題があります。しおりをつけて放置しておき、再度読んだ時、気に入ればアップしますが、なかなかそうはいきません。俳句の場合、故事、過去の和歌、あるいは句を下敷きにしていますから、そこから読みとかなければなりません。そんな面倒なこと私にはできるはずもありません。そんなこんなで句を選ぶのが大変なのですね。それでも拾い上げても、数日後には、その記憶もない。そんなことも多いですね。
まあ、いいか、
続けることにだけ意味がある。
そんな感じで進めています。
でも、ときおり、面白いこともありますよ。
突然、「こんな句もあったのか」という発見ですね。
散歩していて野の花に出会う。
気付かなかった風景に包まれる。
空気を感じる。
そんな感じもいいですね。
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今日の放哉
障子しめきって淋しさをみたす
放哉の「寂しさ」「ひとり」にこだわる句にであったとき
この方は、こだわった自分から抜け出すために句にしている。
だから、本当は「寂しい」などというのは「抜け殻なのだ」と思うのです。
そう、そこには放哉はいないのですね。
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今日の蕪村
暮まだき星の輝く枯野哉
山をこす人にわかれて枯野かな
蕪村が取り上げる枯野には独特の風景が広がりますね。
美しいし空の青さが輝いている。
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今日の芭蕉
名月や児(ちご)たち並ぶ堂の縁
技巧的にも芭蕉「さすがの芭蕉」そんな句ですね。一歩誤れば厭味だし、技巧が気になる句ですが、いいですね。「阿弥陀堂だより」に登場する飯山の阿弥陀堂を連想しました。でもこの「児」とはどのような存在だったのでしょうか。