夕暮れとき、日が長くなると嬉しいし
短くなると、それなりに落ち着く
この微妙な変化の繰り返しが
俳句を産んだのではないでしょうか。
毎日同じ、色合いも同じでは
俳句は進化しなかったのかもしれません。
・・・・・
私のいまの俳句鑑賞方法
深読みしない。
ストレートに読む。
夜の風呂上がりに読む
できるだけ数多く読む
根拠も何もありませんし、指導を受けたわけでもありません。
何となくそうなったのです。
ですから机の上は毎日読む俳句集や短歌集で溢れています。
でも、「仕事」などという大げさな表現は使いませんが
毎日顔を洗うような感覚で読んでいます。
当分は、そのような日課にします。
いつか、挫折する。
それは「飽きてしまった」ときでしょう。
・・・・・・・・
生きて居るばかりぞ我とけしの花 一茶
むさしのへ投げ出す足や秋の暮 一茶
春の日や雪隠草履の新しき 一茶
・・・・・・
鉄鉢の中にも霰 山頭火
冬雨の石段をのぼるサンタマリア 山頭火
雨ふるふるさとははだしであるく 山頭火
・・・・・・・・・
短くなると、それなりに落ち着く
この微妙な変化の繰り返しが
俳句を産んだのではないでしょうか。
毎日同じ、色合いも同じでは
俳句は進化しなかったのかもしれません。
・・・・・
私のいまの俳句鑑賞方法
深読みしない。
ストレートに読む。
夜の風呂上がりに読む
できるだけ数多く読む
根拠も何もありませんし、指導を受けたわけでもありません。
何となくそうなったのです。
ですから机の上は毎日読む俳句集や短歌集で溢れています。
でも、「仕事」などという大げさな表現は使いませんが
毎日顔を洗うような感覚で読んでいます。
当分は、そのような日課にします。
いつか、挫折する。
それは「飽きてしまった」ときでしょう。
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生きて居るばかりぞ我とけしの花 一茶
むさしのへ投げ出す足や秋の暮 一茶
春の日や雪隠草履の新しき 一茶
・・・・・・
鉄鉢の中にも霰 山頭火
冬雨の石段をのぼるサンタマリア 山頭火
雨ふるふるさとははだしであるく 山頭火
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