あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

さるすべり煉瓦街を冷やしけり  あきオジ

2010-08-14 22:12:09 | 日記
今日はずいぶん歩きました。
帰りの電車で始発からぞっと寝ていましたが
まだ、足りないようです。
寝ることにしましょう。

おじいちゃんの時間は終わりました。

・・・・・

短夜や一寸のびる霧の苗  子規

(子規の長さに関する感性の鋭さはさすがですね。ふつうは適等でいいや、別に計る人がいるわけではないから。そんな言い方をすることを許さないのですね。そこが面白いですし、本当のような嘘が混じっているから面白いのですね。)

鯉泳ぐ疏水の水はいずこから   あきオジ

2010-08-14 22:03:20 | 日記
川越の駄菓子屋横町に向かうところに
疏水があり鯉が飼育されています。
色が鮮やかで
鯉は冷たいきれいな水がなければだめだ。
そんなことを言い出すかもしれませんね。

・・・・・・

電車の中で「一茶俳句集」を読んでました。
本を読むことはめったにありません。
最近は、このような本をカバンに入れて出歩きます。
それも楽しみですね。

・・・・・・・

今春が来たようす也たばこ盆  一茶

鬼灯の口つきを姉が指南役  一茶

(淡々としたものとして読むか、恋愛指南を重ねて読むのとでは大違いですね。素直に読めないでときどき深読みする悪い癖があります。)

・・・・・・・

台風の隙間をぬける秋の風  あきオジ

2010-08-14 21:38:34 | 日記
川越に出かけました。
まっすぐその気になったのではなく
巾着田の蓮の写真を撮るつもりだったのですが
拝島で乗り換えするのを間違えてしまいました。
そして到着したのが川越でした。

・・・・・

その続きがありまして
川越を出るとき八王子行きの電車が30分後
待てない
乗ってしまえ
乗ったのがりんかい何とかという電車でした。
なぜか川越、大宮、池袋
そんなことなら池袋から上野に回って
不忍池の蓮の写真を撮ろうということになりました。

・・・・・

いくつかの個人的な用事もあったのですが
それも省略でした。
明日もありますから。

・・・・・・

そんなことえあれこれ並べたのは
ときどき、そんなことで更新を怠けたり
遅くなったり・・・
そう思っているのは自分だけで
誰も気にしてはいない。
それを分かっているのですが
気になるのです。
性分なのでしょうね。

・・・・・

一人のたもとがマッチを持って居た  放哉

昼だけある茶屋で客がうたってる  放哉

(放哉と山頭火二人が並んで仕事していたら、毎日喧嘩というか
野の知り合いをしながら、二人で抱き合って酒を飲んでいる。
そんなシーンを思います。
だから、いつも山頭火の墓まいりくらいでちょうどよかったのだと思うのです。)

・・・・・・・・・



豪華船冬にむかって出港す   あきオジ

2010-08-14 05:20:14 | 日記
名句を作ろうと思いません。
作れるはずもありませんから
最初から「その気」はありません。

また技巧的な句を作るつもりはありません。
逆に品のない「いじり回し」句になりそうな気がします。

当面は、5・7・5と指を折りながら
整えばそれでいいか。
そんなことでいこうと思います。
わかりやすさがなによりですね。

・・・・・・

裏木戸出入りす朝顔実となる  放哉

・・・・・

「NHK特集で流していた仏陀最後の旅」を見ました。
五月寛之が道案内している番組で
現地で取材しただけに現実味があります。
また原始仏教の雰囲気が伝わってきます。

・・・・・・


苦しみを語らぬベッドのわれもこう  あきオジ

2010-08-14 05:02:14 | 日記
みなとみらいの赤レンガ倉庫
でかけたのは8月1日です。
あっという間に時間は過ぎるのですね。

・・・・・

萩の葉にひらひら残る暑哉  一茶

麦秋や子を負いながらいは(わ)し売  一茶

梅咲くや門跡を待つ青畳  一茶

(ちょっと、季節は違いますが、一茶の中では穏やかな句のような気がします。芭蕉の格調高い句のあと、後継者は道を失いそれぞれの流派のスタイルに固定化していったということです。その後、改革を図るのは大変だったと思います。ベートーヴェンこ交響曲の後、多くの作家が後継者として、懸命に努力したけれど、乗り越えられなかった、その葛藤に似ていますね。ベートーベンのあと、ブラームスが20年かけて交響曲を作曲して後継者して、活躍したということです。そのように蕪村が登場し、一茶が登場したのかもしれません。卑俗性に独自な世界を求めた一茶も晩年は、新たな世界に到達している。不思議ですね。)

・・・・・・

でも、格調高い境地になると
なぜか句も一様に見えてくるから、これもまた不思議ですね。

「高い山で仙人になるのはたやすい」という言い方がありますが、格調高い、独特の境地を
求めれば一様になるのですね。そのあたり、蕪村や一茶はどのように考えていたのか、いつか、探ってみようかと思うのですが、今はその時期ではありません。

・・・・・・