あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

気合入れ男旗振り見せどころ  あきオジ

2010-08-30 17:10:02 | 日記
この旗振りパフォーマンス
沼津仲見世から遠征してきたとか
そんな時代なのですね。
競い合い、見せあい
技術の向上をめざしている。
なんといっても多くの人に
見せたいのですね。

二人の男性が交代で振っていましたが
相当の腕力が必要ですね。
「よさこい」ではこの旗振りパフォーマンスが流行なのですね。
7,8年前に高知で見たときには、どの連でもやっているようなものでは
ありませんでした。
これからはイタリアの地方にあるパレードのように
旗を空中に投げたり
交換したり
そんなところまで進化するのかもしれませんね。

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雨はれてげんげ咲く野の夕日かな  放哉

(「げんげ」とはどんな花なのでしょうか?知っている人いませんか、山口地方あるいは小豆島の言葉かもしれません。)

木魚ほんほんたたかれまるう暮れて居る  放哉

今朝の夢を忘れて草むしりをして居た  放哉

(放哉の俳句は、鑑賞していると言うより、この俳人の人生を凝縮して見ているような気がします。素人の初心者ということもあり、俳句としての読み方が分からないのですが、独立した作品として読むことは極めて難しいのですが、いくつも流して読むと、何となく姿がみえてくるような気がするのです。)

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俳諧に古人ナシ タダ後世ノ人ヲ恐ル。 芭蕉

(俳句の専門家になろうなど考えることもなく、なりたいなどとも思いません。ただ、形式だけお借りして、日記代わりにしようとする。そんな魂胆なのです。でも、少しぐらい勉強しようと思って、買って来たのが「芭蕉百名言」(山下一海著)です。とりあえず、めくったところに書いてあった言葉です。頂点を極めた人はこのような発想をするのかと思いましたね。)

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好きだから夢中になることもあるけれど
入れ込んで、抜けられぬところまできたから
好きになるしかない。
それもあるかもしれません。

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盂蘭盆のに匂い残さぬ帰省かな あきオジ

踊り終わりそれぞれの道を帰りゆき  あきオジ

夜となればまた踊りだす若き娘ら   あきオジ

2010-08-30 16:55:04 | 日記
原宿の会場はメインストリート
明治神宮入り口
NHK前広場などいくつもありました
そのように配置しないと出場団体をさばけないようです。

いいですね。
素人が極めればここまで来るのですね。
圧倒的な迫力で感動しました。

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船沈みてあら波月を砕くかな  子規

秋風の上野の出茶屋人もなし  子規

冬の日の苅田のはてに暮んとす  子規

(子規は、新しい俳句の道を開き、実作でも刺激的な作品を残したと言うことですが、私にはまだ理解できません。それにしても「子規句集」を詠むと、洗練された言葉、その言葉の組合わせの巧みさ、あらゆる手法を使っての現代的表現をしているのを感じます。芭蕉の後の俳人の苦悩と同じように現代俳句の後継者も苦労したのでしょうね。形式にしても内容にしてもあらゆる道をこじあけてしまわれたら、後塵を拝するしかないのですからね。ご苦労様です。)

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笑顔合わせ日差しの中の盆踊り あきオジ

阿弥陀仏笑みを浮かべる盆踊り  あきオジ

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振り向けば笠も隠せぬ赤き紅  あきオジ

2010-08-30 15:58:27 | 日記
「よさこい」の演技
このような飾笠も使うのですね。
何でもありが「よさこい」の楽しさなのですね。

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いざいなん江戸の涼みもむつかしき  一茶

(この句を残して、一茶は信州に戻ったと言われてますが、そう言われれば、そんな気もしますね。江戸でもそこそこの評価を受けていたようですが、どう見ても江戸の粋というか、遊びの文化に馴染めなかったのは、分かりますね。)

夜に入ればせい出してわく清水哉  一茶

目出度さもちう位也おらが春  一茶

(ちう位とは真ん中というような意味ではなく、あやふや、いい加減、どちらつかずの意の信州方言だとか、誤解しながらそう信じても違和感のない不思議さがありますね。)

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盗人の首領歌よむけふの月  蕪村

かなしさや釣りの糸吹あきの風  蕪村

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出番すみ少女が輪になる木陰かな  あきオジ

2010-08-30 07:07:08 | 日記
「そうらん」祭り
踊り終えて燃焼しきった少女らは
木陰でシャーベットを加えている。
ひと夏の最後の祭りなのですね。

このような年寄りの思いとは裏腹に
夏休みの宿題の進捗についてお互いに探りを入れたり
咲きある人と引き算の人との「今」の思いは違うのですね。

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ゆさゆさと春が行ぞよのべの草  一茶

春風や東下りの角力取  一茶

我星はひとりかも寝ん天の川  一茶


(ときには一茶は歳時記を開くようなものですね。江戸時代の気配を感じるためには一茶が一番ですね。)

(田舎から出てきたものでなければ発見できない。そんな眼力の面白さがありますね。)

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あの雲がおとした雨にぬれている  山頭火

雨になれば雨をあゆむ、これがいまのわたしである。とにかく、お天気まかせ、足まかせである。今日も、一日中雨の中を歩む。通り雨で、少したつと、雲が切れて、太陽が顔をみせるが、まだ遠くの方には、黒い雨雲がたれこめている。体にじゃ、先ほどの通り雨が、まだ沁ていて、つめたい。あの雲がおとしていった雨がわたしの心にしみこんでしまったのだろう。

(山頭火の句は、日記とセットにすると光を放つ。そんな感想がありますね。俳句って分からないものですね。)

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ぼちぼちと育つタワーのいじらしさ  あきオジ

2010-08-30 06:52:37 | 日記
みんなで子ども、あるいは孫が育っているのを見守っている。
そんな感じかなあ。
定点で定期的に写真を撮っている人もいますね。
それぞれが自分を重ねて見守っているのですね。

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鎌をとぐ夕焼けおだやかな  山頭火

ひとり住めばあをあをとして草  山頭火

初孫がうまれたそうな風鈴の鳴る  山頭火

(穏やかな日々をたんたんとした描写した句はいいですね。日記と組み合わせてアップしましょうね。私もそれなら理解できますね。)

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風吹けば流れのままに歩きだす  あきオジ

2010-08-30 06:26:34 | 日記
ビール会社のシンボル
やがて消えていくものですが
今の時代にあっている限り
頑張っているのですね。
その時代に輝く
それもいいかもしれません。

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草の戸も住替わ代ぞひなの家  芭蕉

夏山に足駄を拝む首途哉  芭蕉

西行の庵もあらん花の庭  芭蕉

(芭蕉は相当の体力があったのでしょうね。旅の辛さもあるでしょうが、それでも前に向かう気力、俳句を作ろうとする気力もすごいですね。「歩くしかない」時代だからなのもしれませんね。時代が人を生む。そんなこともあるのですね。)

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ワーグナーの「ワルキューレ」
聞くも体力
辛抱も音楽鑑賞
日本人の体力では持たないような気がします。