あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

朝顔や登りつめたる煉瓦塀  あきオジ

2010-08-18 17:01:33 | 日記
川越の露地を入ると、そこには自然のままの庭があります。

・・・・・・

草花を画く日課や秋に入る  子規

朝顔や我に写生の心あり  子規

(いつも思うのですが、子規の句には駄作がすくなく、どれも「手際がいい」と思うのです。ちょっと素直さが足りない私は、正岡子規の手際の良さに満たされないのです。日本の美には乱調にあり、破綻が必要なのです。でも、著名な俳人ですし、評価が定まっている俳人ですから、大切にしていきます。)

・・・・・・

「薬師寺」を録画しておいたのを見ました。
伽藍や彫刻、そして平山郁夫の壁画を紹介しているのですが
かなりの部分は西塔の再建の経過紹介にさいています。
西岡常一の宮大工としての活躍ぶりを丁寧に紹介しています。
この西岡常一という人物は魅力的でいろいろな語録を残しています。

この種の番組を録画しておいて何度も見ています。
年寄りでなければできないことです。

そして、ありがたいことです。

・・・・・・・・

このごろは訪ねる人なき夕べかな  あきオジ

2010-08-18 14:58:23 | 日記
川越の昔ながらの道です。

・・・・・・・

このごろ、日記代わりの俳句というところに落ち着いてしまい
それ以上を望まなくなりました。

・・・・・・・

いつまで生きる曼殊沙華咲きだした  山頭火

悔いるこころの曼殊沙華燃ゆる  山頭火

・・・・・・

「ジャッジ」を見ました。
孤島の裁判官の奮闘記です。
内容も充実しているので
繰り返しの鑑賞しても考えるヒントはいっぱいあります。
「Drコトー診療所」と同じような感動がありました。
脚本もプロが見たらあれこれあるのでしょうが
真面目な展開ですし、俳優の演技も個性的でいいですね。
例のごとく、5回シリーズと言うこともあり
3回見てしまいました。
探せば楽しみは無限にあるのですね。

・・・・・・・・

あれこれ思いが先走って
文章や引用する俳句も多すぎますね。
なるべき短く
そして引用する俳句も控えめにします。

心がけるべきは自分の思いを表現すること。

・・・・・・

午後から雨になりました。
乾燥していたのでほっとしました。




 


舗道に熱風抜ける学生街   あきオジ

2010-08-18 14:56:50 | 日記
夏草を見ていると元気が出てきます。

・・・・・・

ひょいと四国へ晴れきつてゐる  山頭火

秋晴れの島をばらまいておだやかな  山頭火

石を枕に雲のゆくへを  山頭火

(四国は懐かしいところです。瀬戸内海の景色が圧倒的な感動を与えてくれました。私のお気に入りは紫雲出山から見た瀬戸内海です。山の上から船が走っている風景は、何ともいえず美しいです。景色が美しいとそこに住んでいる人たちも心美しく見えてくるし、それはかなり事実に近いです。)

・・・・・・

斎藤茂吉、石川啄木、北原白秋の短歌集を購入しました。
今までもっていた文庫なのですが、どこを探しても出てこないのです。
そんなことが近ごろ多くなりましたね。
まあ、それはそれ、それでいいのです。

・・・・・・・・・


吾木香軽いながれをうけており   あきオジ

2010-08-18 06:21:50 | 日記
吾木香言葉のひびきも姿も
独特の世界が見えてくる。
そんな言葉がありますね。

・・・・・・・・

落葉焚く煙の中の顔である  放哉

久し振りの雨の雨だれの音  放哉

あらしがすっかり青空にしてしまった  放哉

(放哉の句には一人での長い生活がなければ表現できない世界がある。そんな気がします。繰り返し何度も読まないと見えてこないものがあるような気がします。)

・・・・・・

「ジャッジ」支部長判事の奮闘記

NHKで放映しえいますが、なかなかよくできたドラマで
感動しています。
そんなことで忙しい日々になっています。

・・・・・

・・・・・・・・


盆帰りそろぞれの袋いっぱいに  あきオジ

2010-08-18 06:02:12 | 日記
浅田正作の言葉です。
「朝日のように爽やかに」にもアップしました。

・・・・・

人に遇う

みんなこわれた
なんにもならなかった
だが 私の先に
そのことを喜びとして
歩いてゆく人がいた


  悲痛

ひとつになれない
私が 分裂している
この悲痛が
私を歩ませている


  いれもの

やどかりが
自分の殻を
自分だと言ったら
おかしいだろう
私は 自分の殻を
自分だと思っている


   回心

自分が可愛い
ただ それだけのことで
生きていた
それが 深い悲しみとなったとき
ちがった世界が
ひらけて来た


   帰る所

帰る所があるので
待っていてくださるので
安心して
遊んでいられる


   幸せもの

とおい昔
死ぬほどに苦しんだ
あのことが
私を ここまで


   からまわり

私の願いは なんだったのか
フッと 気がついたら
こんな私にかけられた
大きな願いに
立ちあがっていたはずの私が
からまわりしていた


   自力

もう 弱音をはくまいと
思っていたが 駄目だった
駄目だったので
自力とわかった


   難物

人生五十年が
七十年にのびたのは
仕上がるのに
手間ひまかかる 難物が
ふえたからでは


   驕慢心

酒ものまぬ たばこも止めた
パチンコもマージャンも
なんにも出来ない
甲斐性なしが
自分は 善人だと
思い込んでいる


   鬼

折れて見て
初めて見えた
鬼の角
折れた思いが
また 角になり


   骨道を行く

人生 それは
絶望以上の現実だった
だが この苦悩に身を投じ
骨となって
願に生きた人がある
骨道ひとすじ
私もこの道を行こう


   まむし

なにかひと言いいたくなる
この根性の根っこに
人に噛みつくまむしが
住みついていて
ときどき
鎌首をもたげる


   教え

わが身 喜べるのも
教えのお陰さま
わが身 悲しむのも
教えのお陰さま
教えなければ
喜びも知らず 悲しみも知らず


   当り前が

当り前が拝める
当り前が
当り前でなかったと
当り前が拝めるとき
どうにも始末のつかん
わが身から
ひまもらえる


   畜生

交差点に差しかかったら
信号が黄色にかわった
ブレーキを踏みながら
「チクショウ」と言った
あさましや 畜生は
仏法聴聞にゆく
車のなかにいた


   いただく

他人が なんの苦もなく
手にしている幸せが
自分だけに
与えられない不運を
恨みつづけたが
今は その悔しさまでが
いただかれて


   見える

昔はいつも 誰かと
自分をくらべて
いじけたり のぼせたり
今も やっぱり
それをやるが
やったあとに
それが見える


   柿如来

せどの柿もいでいたら
フト 気がついた
この柿の木は
甘い実が成ったときだけ
やってくる この家の主を
何十年も黙って
迎えていてくれた


   人とせず

愧づかしくない生きかたなど
人間の生き方では
ないと思う


   自我

なんにも わからないものが
また わかったつもりで
行き詰まっていた


   思い違い

死ぬことが
情けないのではない
空しく終わる人生が
やりきれないのだ


   自分

愧づかしい自分
愧づかしい自分を
見ている
自分ではない自分


   只もらい

魚買うた リンゴ買うた
その金
自分の仲間の人間に
払ったが
魚に リンゴに
金払った人間は誰もいない


   泥鮒

泥に酔った鮒が
新しい水に入れられて
どれだけ泥を吐いても
泥が出て来るので
泥が自分だったと
呆れている


   無明

くらさを くらさとも
感じられず
光が当てられた
一瞬だけ ドキンとする
この鈍感さを
悲しいとも思わず


   始まる

己れの地獄発見
そこから 仏法が始まる
この地獄 深くして底なし
ここから
真の人生が始まる


  体得

楽になりたくて
仏法聞き始めたが
楽を求めぬのが
一番楽と
体でわかって来た


   ここ

ここに居て喜べず
ずい分
よそを捜したが
ここをはなれて
喜びは
どこにもなかった


   逆風浄土

むかい風のなかを
自転車でゆく人が
ひとこぎ ひとこぎを
ていねいに
頭をさげつづけて
ゆきます


   人智

世の中が
便利になって
一番困っているのが
実は
人間なんです


   節分

福はうち
鬼はそと
待ってください
待ってください
その二人は
絶対別れられないのです
その豆
福だけを欲しがる
この私に投げてください


   枯草のうた

枯草は
次のいのちのために
土に伏して
その実を抱いている


   恥ずかしいけれど

男が 女にひかれ
女が 男にひかれて
愛欲にしずむ
恥ずかしいけれど
私は いくつになっても
女にひかれる

・・・・・・

いろいろ眼をそとに向ければ
限りなく広く楽しい世界が見えそうだ。