あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

寡黙なる子も笑顔はじける盆踊り  あきオジ

2010-08-31 16:31:12 | 日記
夏のイベントが終わり
今度は秋の収穫が始まりますね。
大好きな柿が実のる季節も近づいてきます。
その日、その日を面白く
楽しく。
そして、その日のことはそれでおしまい。
それに徹します。

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秋風や干魚かけたる浜庇   蕪村

秋風や酒肆(しゅし)に詩うたう漁者樵者  蕪村

甲賀衆のしのびの賭けや夜半の秋  蕪村

(この句の間の抜けた雰囲気や言葉遊びも面白いし、蕪村が勝手に創り出したイメージにしても意外性があって面白いですね。蕪村は芸術家なのですね。虚構を大切なものにしている。そこがすごいですね。絵画的であり、コラージュ的手法が巧みですね。)

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世は無常
だとすれば明日はあてにならない
それなら今を楽しめばいい
そんな意味不明な理屈を並べて
とりあえず
今を思い切り楽しむ。
好きなことを思い切り楽しめばいい
そんなわけのわからないことを並べて
一人でうなずいています。
その変化を誰も気づかない。
それでいいのです。

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世渡り上手
それもいいけど
退屈な人になってしまいます。

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それはそれもうひと踊り夜更けまで  あきオジ

2010-08-31 15:50:08 | 日記
原宿のよさこいです。
女性も美しいですが
最近は男性もそれなりの役割があり
ポジションもしっかりあって
堂々としていますね。

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御仏の黄を花に薫りもなくて  放哉

炎天の旅の蟻等がかりの世となる  放哉

船乗りと山の温泉に来て雨を聞いている  放哉

(放哉と山頭火はお互いの存在を句詩で知っており、お互いに敬愛していたようです。放哉が亡くなった後、山頭火は墓参りに立ち寄っていますね。尊敬する二人でしたが、仮にあったとしたらどうなのでしょうかね。スムーズに会話が弾んだのでしょうか。いやいや余計なことを詮索する段階ではありませんでした。)

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同じあほならおどらにゃそんそん

けだし名言、この言い切りがすごいですね。
その後、あれこれ言われないように
「えらいやっちゃえらいやっちゃよいよいよいよ」と続くのも圧倒的ですね。
名言ですね。

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浮草を見つめる一茶旅の宿   あきオジ

2010-08-31 15:01:02 | 日記
明治神宮の入り口です。

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一茶の生きた時代
俳諧は隆盛だったようですが
一茶のように出稼ぎ状態で
俳諧師をめざす。

俳諧で生きる難しさ
芭蕉を越えられないジレンマ
そして、通俗を追わなければ
弟子が集まらない。

故郷には家があっても
居場所がない。
あれこれ悩んで
結局は江戸ににも居場所を見つけることができなかった。
詳しいことは知りませんが
案外、そんなことがあったのではないでしょうか。
そして、信州あるいは旅の句に活路を求めたのですね。

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石仏誰が持たせし草の花   一茶

しぐるるや軒にはぜたる梅もどき  一茶

かすむやら日が霞やらことしから  一茶

(人生の半分くらいは旅の日々、定住することもなく、畠があるのにもかからず、農業に専念するわけでもない。ただ、句会などの指導料で生計を立てていたとなると、一茶は造り続けるしか自分の存在理由を見つけることができなかったのかもしれません。)

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今日も猛暑
とても屋外で写真を撮る気力は出てきません。
古本屋で「折々のうた」を一冊手に入れました。
写真入りで気に入りました。

そろそろ取りあげる歌も広げたいのですが
素人の初心者はそう簡単にはいかない。
とりあえず、読むだけにしましょう。

それでいいのですね。

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自分には自分のスタイル夏祭り  あきオジ

2010-08-31 07:17:31 | 日記
「よさこい」の演舞場です。
それにしても場違いな服装で登場するのが原宿
意外性を発揮する。
それも、都会風の表現なのでしょうかね。
でも、おじさんとしては常識の外にあること
腰が引けましたね。

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秋風やむしりたがし赤い花  一茶

大声に夜寒かたるや垣越えに  一茶

死神により残されて秋の暮  一茶

(一茶の句はどれを選んでも、絵柄が見えてくる日と、何も出てこない日があります。それはとても不思議なことですね。涙が出る程感動した翌日には、文字が並んでいるだけ、そんなこともあります。それが俳句の想像力を膨らませて楽しむ形式かななどと思ったりもします。)

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嬉しいことも終わる
そのとき楽しみ
そして、切り替えられる
それが江戸時代の発想法だったのかもしれません。
潔さを守る装置も準備されていたのですね。
オシャレですね。

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酒樽があの放哉の島暮らし  あきオジ

2010-08-31 07:00:01 | 日記
明治神宮に奉納された酒樽です。

明治神宮の参道には玉砂利
なぜかと思っていたのですが
神様は海から上がってくる。
だから、海を再現することでお迎えの準備をしているのだとか

形だけが残っていることってありますね。

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人つめたくいる迄藪蚊出ることか  放哉

鉛筆とがられせして小さな生徒   放哉

たばこが消えて居る寂しさをなげすてる  放哉

(山頭火が「さみしい」「悲しい」と言葉にし表現しますが、放哉は自負心がそうさせるのか分かりませんが、言葉にしない。言葉にすることを避けている。にもかかわず、「一人っきり」と表現する。それが資質なのでしょうかね。まだまだ、読みなれる段階、迂闊に決めつけないように注意しなければいけませんね。)

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言葉なく明治の森は暑き空  あきオジ

2010-08-31 06:42:04 | 日記
今日も猛暑とか
雨が降らないと困る人もいるだろう。

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雪空の最後の一つをもぐ  山頭火

わたしも柚子が好物である。ほどんどの柚子がとり去られた中で、ひとつ黄色い柚子がぽつんと、取り残されているのを見ると、何ともいえぬ感概がわく。まるで、世の中に取り残された、自分をみているような気になるのである。今年は、柚子が豊作であった。最後の一つが雪催いの空に残っている。その柚子を棒でとっていただく。
雪にやられて、水分は少なくなっているが、まだ匂いはいくらか漂ってくる。(山頭火日記)

(句だけ読むと、雪空のどこをもぐのだろうか?そんな読み方しかできません。かりに「もぐ」から連想されるものも、思い浮かびません。でも、日記を読むと、その情景が鮮やかに見えてきます。となると、表現する力が未熟なのか、俳句形式が表現を狭めているかのどちらかになります。私にはわかりませんが、自由律の俳句なら、さらに自由に表現してくださると素人の私にも理解が可能だと思いますが、私のために作っているわけではありませんね。私はおこぼれを頂戴しているにすぎないのですから。)

とんぼ捕ろとろその児のむれにわが子なし  山頭火

(山頭火の句の中に我が子を登場させたものはほとんど、見たことがありません。それだけにどきっとしますね。この句からあれこれものを言いだす人がいっぱいいるのでしょうね。)

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