あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

寒風の遊びの庭で鳩凍え   あきオジ

2011-02-05 20:26:39 | 日記
霧百里舟中に我月を領す   蕪村

(このようなわがままであり、悠々自適というものですね。それにしても、「嘘」っぽい。憧れですが、それが新しい観念的な美意識なのですね。)

霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き  芭蕉

(箱根の関を越えた時の句だとか。また、下敷きとなる歌枕などがあったのでしょうかね。それでも芭蕉の幽幻は圧倒的な美しさが匂いますね。)

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体開きコートを閉める金曜日  あきオジ

2011-02-05 20:18:03 | 日記
山霧の足にからまる日暮哉  一茶

おさなごや尿(しと)やりながら梅の花  一茶

初空や行留り也上総山  一茶

(季語が語る時代は過ぎてしまったのですね。野菜だって果物だって一年中ある。季語を探したり作りだしたりするのも奇妙な話なんだけれどね。)

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今日は柳家花禄の独演会を楽しみました。
将来が期待できますね。
芸人としての華がありますね。
これは努力して得たものだという説明に納まるのでしょうが
天性のものですね。

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句を作るそれもありしひな祭り  あきオジ

2011-02-05 04:45:14 | 日記
田一枚植えて立去る柳かな 芭蕉

(西行が「道のべに清水流るる柳かげ 柴氏と手こそたちどまりつれ」と読んだこの場所に来てしまった。そんな感慨があったのでしょうね。そこで句を作る。「奥の細道」で詠われる句は、それぞれが過去の歴史や思慕でつながっている。そんな世界があるだけでも驚きですね。でも、強引であっても、そんな世界とつながろうと思うのも面白いですね。あらゆるものが、興味を持つと楽しい。)

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もう、現役を引退して、慎ましくしていれば、どうやら生きられるとなったら、楽しく、心弾むことにに夢中にならないまでも遊び世界を二つや三つもちたいですね。
それにしても、話を聴くと、「カラオケ」と「ゴルフ」を昔の職場の仲間とするのが楽しみだという人が多いですね。それもいいかも。でも、せっかくのチャンスなのですから、これまでとは違った世界も楽しみたい。それが私の思いです。


枯れてなお姿をただす台かな あきオジ

2011-02-05 04:30:32 | 日記
蕎麦はまだ花でもてなす山路かな  芭蕉

(このような句に出会うと、利休の精神を思い浮かべますね。道潅に「山吹」で傘がないとお断りしたり、二畳の茶室にご招待したり、利休の茶室でのおもてなしの精神などがつながっていることを知ります。そのような精神文化がなければ、このような句は生まれないような気がします。この句も伊賀の地で作ったものですね。なるほど、じっくり読むとはまりそうです。でも、まだ、そこまでははまる心配はありません。)

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このような自然の中に溶け込んで、俳句を楽しむ。それも素敵な老後ですが、そう簡単ではなさそうですね。

「ゆずれない」苦い春はどのあたり  あきオジ

2011-02-05 04:05:20 | 日記
ふらここの会釈こぼるや高みより  炭太祇

(「ふらたた」とはブランコのことです。遊郭内に居を構えて句づくりしていたということです。芸妓がブランコにのって笑みを投げかけている。粋な句ですね。こんな世界もあったのですね。)

名月に麓の霧や田のくもり  芭蕉

(この句については、「阿弥陀堂だより」でウメばあさんが口にする印象的なシーンが思いだされます。ですから、勝手に「姥捨」あたりの棚田を連想していたのですが、伊賀盆地の風景だと言うことです。どこでもいいのが俳句だと思ったのですが、その景色さえも特定したがるのが学者なのですね。きっと、この句にでてくる霧やくもりの重なった自然現象についても考察されているのでしょうね。)

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今日は花禄の独演会を楽しみに出かけます。