あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

一羽きてそして群れとなる鴎町  あきオジ

2011-02-06 20:35:25 | 日記
秋風のお堂で顔が一つ  放哉

師走の夜のつめたい寝床が一つあるきり  放哉

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中華街の春節を見ていて
自分にとって生まれ育ったところだけれど
自分にはもう一つの祖国がある。
その我が祖国という遠いところから父は母はやってきた。
その気持は一言で言えないだろうけれど
日常生活では忘れている。
春節がやってきて思いだす。

人は一様ではない。
その人にとっての常識が他の人の常識とはいけない。
そんなことだっていっぱいある。

確信に満ちた姿勢の正しい人より
おろおろして決めることができない人の方が
信頼できるような気がします。

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あれほど、意地悪の限りをしてくれた
人が入院したと言うことです。

花籠を乾いた空に添えてみる  あきオジ

2011-02-06 20:28:21 | 日記
草臥て宿かる比(ころ)や藤の花  芭蕉

(疲れていても花を見ている。奈良から八木への旅の途中のでの句だそうですね。「猿蓑」に収められた句です。体全体が俳句だと思っていたのですが、芭蕉も推敲に推敲を重ねて、それでもとらない句もいっぱいあるのですね。そこが芭蕉ですね。言葉を選び直して、助詞を工夫して、いくつも試しているのですね。そこだけ取りあげてもプロですね。)

ありがたき春節なれや無礼講  あきオジ

2011-02-06 19:35:14 | 日記
中華街へ出かけました。
春節ということで大挙して人が出ています。
爆竹の音もいいですね。
中途半端よりも思いきりがいい。
現場に行ってみて分かりました。

祭とは非日常的な無礼講なのです。

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しばらくは花の上なる月夜かな  芭蕉

(こんな美しく滋味あふれる俳句だけでいいのだろうか。そんな思いにさせられる句ですね。)

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宇宙には季語なき世界もあり続け  あきオジ

花もないそれでいいのだ人なき世  あきオジ

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梅一輪壺にざくっと投げられて  あきオジ

2011-02-06 05:42:55 | 日記
風流のはじめや奥の田植うた  芭蕉

西か東か先ず早苗にも風の音  芭蕉

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思えば、戦後に育った私たちは
懸命に働く親を見て
「親を楽にしたい」
「食事に不自由しない生活をしたい」
と極めて現実的で切実な思いが真ん中にありました。
それが判断基準でしたから
我慢もできました。

今の時代もそれなりの判断基準があり
対応しているのでしょうね。
でも、古い夢が小さい時代に生きてくると
先のことは期待しませんね。

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祈願する梅咲く寺の門くぐる  あきオジ

2011-02-06 05:24:17 | 日記
独身や上野歩行(あるい)てとし忘   一茶

御地蔵の手に居へ給ふ蛙かな  一茶

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何もない日が続きます。
時間に余裕があると、何か書きたいと思いますが
そんなときは書くことさえ「どうでもいいこと」だと思ってしまいます。
どうでもいい日々
そして、何かを残そうとすることも思わない。
それがいいのでしょうね。

名僧とは、きっと、歴史にも残らない人なのでしょうね。

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いつのまに冬抜けてゆく海青し  あきオジ

2011-02-06 05:07:29 | 日記
春の雲人に行方を聴くごとし  飯田龍太

(上手な人が俳句を作るとこんな句になるのか、そんな感じがいいですね。)

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母も死に子も死に河がながれてゐた  高屋窓秋

(このような季語もなく、形式がありそうでみえない。暗澹たる気分だけ伝わってくる句は、それなりの雰囲気が流れていいですね。)高屋は戦前の作家ですね。おもしろい句を探していて、何度かぶつかりましたので相性がいいかもしれません。)

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何となく日を過ごす楽しさが戻ってきました。
まあ、動ける状態を大切にして暮らしましょう。




じっとして花を待つも冬景色   あきオジ 

2011-02-06 04:53:24 | 日記
死んでいく段取りもある雪深し  あきオジ

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ことごとくのけぞる雛を納めけり  千葉皓史

(我が家も雛飾りしてます。そんな季節なのですね。)

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姉から江ノ島水族館が面白いと教えられました。
なるほど・・・・
近いうち行ってみましょう。

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