あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

落日の山に向かう帰省バス  あきオジ  

2011-02-14 17:55:29 | 日記
海が少し見える小さい窓一つもつ  放哉

(この何もない日常生活。終わることがない日々。その何もないことを楽しめる人もいれば、無念さを感じる人もいる。放哉は何を感じていたのでしょうか。あっちいったり、こっちいったりの揺れの中にあったとすれば、それはそれですね。)

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「剣客商売」のスペシャルで放映された作品を繰り返し見ています。
このシリーズの登場人物は鬼平と違って、伸びのびした自由人であることが楽しいですね。
それに情感たっぷりの音楽がいいですね。フォーレの曲が流れたりして、うれしいですね。

年をとると繰り返し見ても飽きません。都合がいいですね。

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白き山寒緋櫻の枝の先  あきオジ

2011-02-14 17:39:57 | 日記
高尾山
寄付者の木札
寄付する人もする人
受け取って宣伝するのもする人
どっちもどっち
でも、ちょっとぎとぎとしていませんか。
開店記念の花飾りのようなもの

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遅き日のつもりて遠きむかしなか  蕪村

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昔を懐かしむ気などさらさらありませんが、自然の中に自分の人生を重ねる。それも面白い老後かもしれませんね。
そうそう、楽しみは向こうからやってくるのですね。

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ありがたき緞子の法衣に雪が降り  あきオジ

2011-02-14 17:23:44 | 日記
高尾山の雪景色を撮りに行ってきました。

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白河の関屋の月にもるからに人の心をとむるなりけり  西行

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盛岡の開運橋は懐かしきむかしのままに岩手山見ゆ  あきオジ

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逢ひたい、捨炭山が見えだした  山頭火

(ときとして、感情のままに言葉をつっこむ。それが山頭火。俳句としてどうか知りませんが、俳人山頭火が見えるような気がします。)

まっさらな雪の橋をわたりきり  あきオジ

2011-02-14 05:55:14 | 日記
伊勢佐木町の運河です。

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生死の中の雪ふりしきる  山頭火

雪へ足跡もがつちりとゆく  山頭火

(山頭火も当時の知識人ですが、教養をひけらかすような句にはほとんど出あいません。意識して、古典的手法を外しているのか、美学的構造をさけているのかわかりませんが、下敷を感じさせないところがすごいところですね。朝日俳壇などを見ると「○○忌」を強調したり、ときとして、本歌取りがあったり、難しい漢字を意図的に使用し、そのような教養に負けないように選者も関心を示したりするのが分かります。それでいいのかどうか分かりませんが、そのようなことを避けるのが俳句だと思っていますので「おやおや」と思いますね。)

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素人は素人を貫くのがいい。


ふれることそれもできずに雪をみる  あきオジ

2011-02-14 05:48:16 | 日記
山下公園の飾りもの

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分別の底たたきけり年の昏  芭蕉

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「しみじみ」が俳句の頂点にある情感なのでしょうかね。ため息のような諦めもあるし、無常観にひたる。それも大切な要素なのですね。そのような状況を提供する場所に出かけるというのは順序が逆なのでしょうか。)





手のひらで雪受けし夜はしずまりて  あきオジ

2011-02-14 05:34:12 | 日記
みなともらいです。
もう一週間前のことですね。

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父母のしきりに恋し雉子の声  芭蕉

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斎藤佑樹投手フィーバーですね。
それもいいかも。

まじめで謙虚で言葉使いが丁寧で
こんな青年に夢中になり
成績が上がらないと別のアイドルを探す
大人げないと思うけれど
それで商売している人もいますからね。

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