あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

雨の中ぐたぐたうるさい自分を担ぐ  あきオジ

2011-02-18 18:00:49 | 日記
お分かりだと思いますが
正論を大声で語る人
同意を求めながら語る人を私は警戒します。
信じないということかもしれません。
特に中年の正義論が苦手です。

不条理であることを噛みしめている人の方が
信頼できるような気がするのですね。

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春が来たと大きな新聞広告  放哉

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春は待つ時間のじれったさかもしれませんね。

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正義論とりあえずにしたら雪やまず  あきオジ

2011-02-18 17:53:43 | 日記
正義論を語り合うおかあさんが
玄関でたむろしています。
ほかにすることないの?
と言いたくなります。

まあ、それもいいでしょうね。

それにしても恋人から夫婦のプロセスを抜きにして
おかあさんになってしまって・・・
恋人のどうしのときの呼び方から
いきなり「パパ」「ママ」になってしまう。
夫婦ってなんだろうね。

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朝凪の島を二つおく  山頭火

(瀬戸内海を見ているようでいいですね。このようななげっぱなしの表現をしている句が好きですね。きっと、言葉が飛び出してくるのでしょうね。)


赤タオル髭親父にも雪がふる  あきオジ

2011-02-18 17:44:13 | 日記
工事現場で働く人たちの威勢のいい声は気持ちがいい。
いかにも仕事をしている
そんなリアリティーを感じます。
給料のありがたさもきっと
ストレートなのでしょうね。

どこの時期からそんなことが消えてしまったのでしょうかね。

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雨の日や昔を語んやれふくべ  良寛

(「やれふくべ」こわれた瓢箪。解説書に良寛は学問、修行一途に過ごした。そんなことが書いてありました。ときには酒をのみ、程度に好色であったとしても良寛の評価が低くなるとも思えないのですが、どうして、こうなってしまうのでしょうかね。良寛にしても一茶にしても、どこにもいる野暮ったい人であったとしても、それでいいと思うのですが、どうなのでしょうかね。)

そこにありそこで終わりし福寿草  あきオジ

2011-02-18 06:37:08 | 日記
雪しろのかかる芝生のつくづくし  良寛

(良寛の句は、どこかで「ずっこけてしまう」ものがあります。偶像化され、美化され、そして物語となって存在するので、あれこれ言えないようになっているのだと思います。研究家でもない私がものを言うのは見当違いでしょうが、どうも、実態は違っているし、もっと一茶に近い、いや、それ以上の人ではなかったかと思うのです。それの方が安心してつきあえるような気がします。もう少しお付き合いして、それでも、変わらないようでしたら、「ちょっとごめんなさい」になりそうです。)

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利休が「黄金の茶室」に魅せられたようにランの花に魅せられることもいいかもしれません。

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春風を凛と受けとめランが咲き  あきオジ

2011-02-18 06:10:51 | 日記
永き日も囀(さえずり)たらぬひばり哉  芭蕉

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俳句(もどき)を始めて一年ほどたちます。
そろそろ、表現にも気を配ろうと思うのですが
俳句文法の習得は容易ではなく
俳句のしきたりに馴染むには気の遠くなるような時間が必要です。

やはり「気にしない」がよろしいようです。

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侘び茶とはいかなるものかと雪が降る  あきオジ

2011-02-18 06:06:03 | 日記
去年のラン展の出品作です。
素人にはよしあしはわかりませんし
それほど興味がありません。
ただ、いっぱい写真を撮りたい
そして、植物図鑑にはならないように写真を撮りたい
それだけです。

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冬雨の石段のぼるサンタマリア  山頭火

(どこまでも歩き続ける。それだけでも特異な存在に思えます。)

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