あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

「厩火事」滑舌なりし絽の羽織  あきオジ

2011-02-07 17:30:52 | 日記
携帯が鳴る冬の日はしんしんと  あきオジ

ばかなこと思いつくも冬の朝  あきオジ

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ただ風ばかり吹く日の雑念  放哉

仏にひまをもらつて洗濯している  放哉

(放哉にしても山頭火にしても半俗半僧ということなのでしょうが、仏教を学んだとか修行をしたとか、しているとか、そんな気配が感じられませんね。そこが面白いですね。)

梅の宿三々五々の別れかな  あきオジ

2011-02-07 17:18:43 | 日記
流れゆく雲も消えて冬の空  あきオジ

梅一輪さして明るき障子窓  あきオジ

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なぜか、芭蕉を探しても、蕪村を探しても、ぴたっとした句がありません。
このごろ、そんなことがときどきあります。
慣れてきたのでしょうか。
それとも退屈し始めたかもしれません。

しばらく時間をとれば何とかなるのでしょうが
休むと、その休んだぶんだけ、気分が弛緩してしまうような気がするのです。

まあ、諦めない、止めないでぼちぼち続けましょう。

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異国から春吹くごとく人がくる  あきオジ

2011-02-07 07:09:17 | 日記
海の月扇かぶつて寝たりけり  一茶

夏山や一足づつに海見ゆる  一茶

(一茶は絵柄の吟味にはあまり深い思いが無かったような気がします。「あっこれはいい」と気づいたら、そのまま句にしてしまい、それでおしまい。芭蕉のように背景を変えたり、小道具を置きかえたりすることはしなかったのではないでしょうか。何となく、そう思います。私のように作りっぱなしで校正さえしない。そんないい加減さではありませんが、数多くが俳句の作りかただったのでしょうかね。ですから、デッサンが面白いけれど、「再構成」がないので絵柄が見えてこないことがありますね。それが芭蕉の素晴らしいところなのかもしれませんね。)

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春節を祝う祖国を遠くおき  あきオジ

2011-02-07 07:00:07 | 日記
春節のパレードの獅子舞
日本のそれと違って可愛いですね。

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あらしのあとの馬鹿がさかなうりに来る  放哉

あらしの中のばんめしにする母と子  放哉

(放哉も俳句で知る限りでは、寂しそうなおじさんという雰囲気ですが、実際に会ったりすると、「いい人だけど」と注釈をつけられ、あれこれ言われて、どちらかと言えば、お付き合いしたくない、遠慮したい。そんなタイプの人だったかもしれませんね。学歴、経歴などをことあるごとに持ち出すような人だったかもしれませんし、俳句の内容とは裏腹に傲慢な人だったかもしれません。でも、そんな人だったらいいですね。身近な人に感じますから。人は実際逢わなければ分かりませんし、逢っても分かりませんね。きっと、放哉自身が自分でも分からないのでしょうからね。)

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